旅 瀬戸内(たびせと)

源頼朝の墓 GoogleMap
     
    源頼朝公の墓・希義公の土と石   
     
   源頼朝の墓    希義公の土と石   
  白旗神社横の階段を上りきった平地に、鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓地がある。
ここは、頼朝公の持仏堂(法華堂)のあった所で、頼朝が53歳で没するとここに葬られた。
頼朝公の墓に向かって右横には、同母弟の希義公の墓の土と石が置かれている。
またさらに少し離れた所には「元祖島津豊後守忠久石塔道」と書かれた石碑があり、島津忠久の墓・大江広元の墓・三浦一族の墓へつながる細い山道が続いている。
 
  源頼朝の墓
源頼朝は、治承4年(1180)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦2年(1185)に平家を滅ぼしました。
また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて武家政治の基礎を築きました。
正治2年(1199)に53歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。
法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。
現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪(しげひで)が整備したものとされます。(現地案内版)
国指定史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)
この平場は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡です。
治承4年(1180)平家追討のために挙兵した源頼朝は、同年に鎌倉入りしました。
元暦2年(1185)に平家を、文治5年(1189)に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、鎌倉を拠点とする武家による全国的な政権の基礎を築きました。
以降、江戸時代が終わるまで、約700年間にわたり、武家による政権が続くことになります。
建久10年(1199)に頼朝が53歳で没すると、法華堂は幕府創始者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰を集めました。
鎌倉幕府滅亡後も法華堂は存続しましたが、17世紀の初頭までには堂舎がなくなり、石造りの墓塔が建てられました。
現在の墓域は、安永8年(1779)に薩摩藩主島津重豪によって整備されたものです。
              鎌倉市教育委員会
(現地案内版)  
   
    元祖島津豊後守忠久石塔道の石碑とその道   

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