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屋島城跡と千間堂跡 天智6年(667年)に屋島に城が築かれたと日本書紀に記されています。 この城は、当時勢力の強かった中国の唐や朝鮮の新羅(しらぎ)からの侵攻に備えて築られた城の一つで、この屋島が九州から瀬戸内海を通って大和(奈良)に至る当時の海路交通の重要な要衝(ようしょう)であったことが分かります。 大和朝廷の命を受けた百済(くだら)からの渡来人が築城したものといわれる朝鮮式山城の水門跡や石塁などが今でも残っています。 また、この屋島には唐招提寺を開いた鑑真(がんじん)和上が、天平勝宝6年(754年)に大和に向かう途中、暴風雨に合って屋島北嶺に上陸し堂を建てたといい伝えのある千間堂跡があるが、現在は湿地となっています。(現地案内板より) |