旅 瀬戸内(たびせと)

       
      雲龍寺 GoogleMap    
             
     
     雲龍寺山門  
     
  雲龍寺      雲龍寺本堂  
      
  長治公と雲龍寺
天徳2年(958年)に慈恵僧正の創建と伝えられているが、羽柴秀吉との三木合戦時には、三木城内にあったため、殿堂及び伽藍は焼失しました。
天正8年(1580年)1月17日、一族の最後を弔うために、雲龍寺7世の住職春泰禅師が、当時の三木城主別所長治公の自害の席に招かれたときに、長治公は後事を禅師に託し、日頃から愛用していた「天目茶碗」と「唐子遊びの軸」を形見として贈りました。
三木城開城後、領主杉原伯耆守は秀吉に上訴して寺院を建立しました。
天正13年(1585年)秀吉から境内山林竹林並びに三十石の寄進状及び制札を賜り、以後代々の徳川将軍家より御朱印状を賜りました。
秀吉の兵糧攻めにあい、城内の藁まで食べたとの言い伝えにより、当寺では、毎年1月17日に藁にみたてた”うどん”を食べて当時を忍ぶ会が催されています。
この寺は古い歴史のある寺院で明治維新までは公寺に属しており、特別な上位の寺でありました。
その創建は村上天皇の勅命によるもので、天皇の勅願所でありましたが、廃絶すること久しく、その後、播磨、備前、美作の守護職であった時の豪族赤松円心入道則将が古い事伝を知り、深くこれを惜しんで朝廷に再建を奏請して、そのご聖慮に沿い天皇より高源山の山号を賜りました。
時は後醍醐天皇の元享2年(1322年)で天皇の祈願所となりました。
のち、文明年間になって、時の城主別所加賀守就治が異忠禅師を招いて再建し、そのとき規模を一新して禅寺として開山した寺院であると伝えています。
(現地案内板)雲龍寺周辺図
 
         
   金毘羅宮   雲龍寺 鐘楼      
           
   雲龍寺 庭園    別所長治公・照子夫人首塚      
             

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