旅 瀬戸内(たびせと)

       
  スマートフォンで表示   鳥取城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地ー GoogleMap    
             
     
     吉川経家公像と鳥取城跡  
     
    鳥取城跡   鳥取城山上の丸跡   
  史跡鳥取城跡附太閤ヶ平(しせきとっとりじょうせきつけたりたいこうがなる)ー黒田官兵衛ゆかりの地
鳥取城は、戦国時代中頃(天文年間)に久松山の自然地形を利用した山城として築かれたことに始まる。
以後、因幡地方の政治拠点となり、近世においては因幡(いなば)・伯耆(ほうき)二国の支配拠点の城として長い間存続した。
このため、鳥取城跡には、中世の山城的遺構と近世城郭遺構が併存しており、日本城郭史上でも類例の少ない城跡である。
このことから、学術的・歴史的にも貴重な城跡として昭和32年に国の史跡に指定された。
鳥取城の築城時期については諸説があるが、この城が因幡支配の拠点の本城となったのは武田高信(たけだたかのぶ)の時期であり、後に山名豊国(やまなとよくに)がここに移った。
この頃の鳥取城の中心は、山上ノ丸とそこから西方に延びる非常に急な尾根を中心に設けられており、現在も斜面を平らに削った平坦な遺構が数多く残っている。
山頂を中心とした山上ノ丸は、久松山を大きく切り開き、その廻りを高い石垣で囲っている。
本丸には、天守櫓(てんしゅやぐら)・車井戸(くるまいど)・多聞櫓(たもんやぐら)・著見(つきみ)−月見ー櫓等を設けていた。
天守櫓は元禄5年(1692)に落雷のため消失してしまい、再建されたことはなかったが、その他の建物は明治時代の初めまで残っていた。
山上ノ丸には、本丸の他にも東側に二ノ丸、三ノ丸と呼ばれる曲輪(くるまわ)があり、一段低いところに出丸が設けられている。
西の尾根を下ると鐘ヶ平(かねがなる)、太鼓ヶ平(たいこがなる)、松ノ丸(まつのまる)などの曲輪が残されている。
なお、鳥取城は戦国時代の末に、織田氏と毛利氏の対立から二度にわたって、羽柴秀吉(はしばひでよし)の攻撃を受けている。
特に天正9年(1581)の秀吉と鳥取城将・吉川経家(きっかわつねいえ)との戦いは「鳥取の渇(かつ)え殺(ころ)し」として知られ、そのときに秀吉が築いた陣跡が本陣山に残っており、太閤ヶ平として鳥取城跡とあわせて指定されている。
                                                           文化庁
                                                           鳥取市教育委員会
                                                           平成13年3月
(現地案内板) 鳥取城山上ノ丸案内図 久松山ろく史跡見て歩き
 
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   湖山池・千代川河口・鳥取砂丘方面ー鳥取城山上ノ丸よりー     
         
   鳥取城跡 天守櫓石垣    鳥取城 山上ノ丸 本丸跡   本陣山ー太閤ヶ平   
      鳥取城 山上ノ丸 本丸跡
鳥取城の山上ノ丸は、山頂部を数段に切り開いて構築し、その中央部の一段高い場所にあたるこの地が本丸である。
本丸には、天守櫓の他、著見櫓・多門櫓、それをつなぐ走櫓などの建物があり、御天守奉行がこれを守っていた。
本丸の中央部には、池田長吉の改築の時掘ったといわれる車井戸がある。 昭和60年9月 文化庁 鳥取市教育委員会
(現地案内板)
前方奥には天守櫓石垣が、またその左手前柵の中には、車井戸が見られる。
史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 車井戸
池田長吉(いけだながよし)が慶長7年(1602)から行った城内大改築の時に掘った井戸と伝えられている。平成15年3月 文化庁 鳥取県教育委員会
(現地案内 
  史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 
秀吉本陣跡ー太閤ヶ平(たいこうがなる)−
織田信長は、天正8・9年(1580・81)の2度、羽柴秀吉を総大将として鳥取に侵攻し、毛利方の拠点であった鳥取城(久松山山頂)を攻めた。
帝釈山(後には太閤ヶ平・本陣山と呼ばれる)に築かれた秀吉本陣は、高低差4m以上の土塁と空堀に囲まれ、内寸58m、櫓台も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしている。
また、周囲のあらゆる尾根に陣城を配置し、鳥取城に対する強大な包囲網を敷いている。
本陣および陣城群は、一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣でもあった可能性が指摘されている。 鳥取市教育委員会
(現地案内板より)
 
         
  鳥取城 山上ノ丸 天守櫓     鳥取城 山上ノ丸 出丸跡    鳥取城 山上ノ丸 二ノ丸跡  
  鳥取城 山上ノ丸 天守櫓
この天守櫓からの眺めは素晴らしい。
日本海を背後に、湖山池から千代川河口、鳥取砂丘方面まで雄大な景色を眺めることが出来る。
  鳥取城 山上ノ丸 出丸跡    鳥取城 山上ノ丸 二ノ丸跡   
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   鳥取城 山上ノ丸 三ノ丸跡    鳥取城 山上ノ丸 本丸跡   鳥取城 山上ノ丸 車井戸   
  鳥取城 山上ノ丸 三ノ丸跡    鳥取城 山上ノ丸 本丸跡       史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 車井戸
池田長吉(いけだながよし)が慶長7年(1602)から行った城内大改築の時に掘った井戸と伝えられている。
 平成15年3月 文化庁 鳥取県教育委員会(現地案内板)
 
 
         
   鳥取城跡   鳥取城跡 二のノ丸跡     鳥取城跡 天球丸跡  
  鳥取城跡    鳥取城跡 山下ノ丸ー天球丸跡より二ノ丸跡方面ー
鳥取城跡 山下ノ丸 二ノ丸跡
二ノ丸には、江戸時代の前期には、藩主が住み、家老などが政治を司る、藩主の御殿があった。
鳥取池田家三代・吉泰(よしやす)の時代に御殿が三ノ丸に移され、享保5年(1720)の石黒大火(いしぐろたいか)で全体が消失した。
三階櫓(さんかいやぐら)などは早く復旧されたが、御殿は幕末の弘化3年(1846)になるまで再建されなかった。
二ノ丸は鳥取城を象徴する場所として市民に親しまれており、昭和32年(1957)に国の史跡に指定された後、最初に石垣の修復工事が行われた。
(現地案内板参考) 
  鳥取城跡 山下ノ丸 天球丸跡(てんきゅうまるあと)
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、鳥取城の城主になった池田長吉の姉、天球院に由来する曲輪(平地)である。
若桜鬼ヶ城主山崎家盛の夫人であった天球院が、山崎家を去って長吉のもとに寄寓し、この曲輪に造られた居館に住んだことから名付けられたという。
  平成9年2月 
  文部科学省  鳥取市教育委員会
(現地案内板より抜粋)
 
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   鳥取城跡 二ノ丸跡    鳥取城跡 三階櫓跡   鳥取城跡 二ノ丸跡・二ノ丸三階櫓跡   
  鳥取城跡 山下ノ丸 二ノ丸跡
二ノ丸には、江戸時代の前期には、藩主が住み、家老などが政治を司る、藩主の御殿があった。
鳥取池田家三代・吉泰(よしやす)の時代に御殿が三ノ丸に移され、享保5年(1720)の石黒大火(いしぐろたいか)で全体が消失した。
三階櫓(さんかいやぐら)などは早く復旧されたが、御殿は幕末の弘化3年(1846)になるまで再建されなかった。
二ノ丸は鳥取城を象徴する場所として市民に親しまれており、昭和32年(1957)に国の史跡に指定された後、最初に石垣の修復工事が行われた。
(現地案内板参考) 
  鳥取城跡 三階櫓跡(さんかいやぐらあと)
この櫓台には、一階八間四方、二階六間四方、三階四間四方の櫓が建てられていた。
元禄5年(1692)に山上ノ丸の天守櫓が焼失したのちは、この櫓が鳥取城を象徴するものとなり、明治12年の解体撤去までその威容を誇っていた。
   平成15年3月  文化庁 鳥取市教育委員会
(現地案内板) 
  鳥取城跡 二ノ丸跡・二ノ丸三階櫓跡  
         
   鳥取城跡 三ノ丸跡    仁風閣    鳥取県立博物館  
  鳥取城跡 山下ノ丸 三ノ丸跡
江戸時代前期、城の中心(本丸)は現二ノ丸にあり、現三ノ丸は二ノ丸と呼ばれ、隠居した藩主の居所が置かれていた。
その後、三代藩主池田吉泰(よしやす)は、享保元年(1716)から3年をかけ三ノ丸の造成を行い、自らの居所(御殿)を置き本丸とした。
直後の享保5年(1720)の石黒(いしぐろ)火事で焼失したが、後に復興し城の中心として発展した。
弘化3年(1846)二ノ丸に御殿が再興されると、藩主の居所は一時期二ノ丸へ移るが、すぐに戻っている。
三ノ丸は、万延元年(1860)の拡張で最終形態となった。
        鳥取市教育委員会
(現地案内板参考)
今は高等学校になっている。
  仁風閣(国重要文化財 昭和48年6月2日指定)
旧藩主池田家の別邸として建てられたフレンチ・ルネッサンス様式の建物。
明治40年時の皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓の宿舎として使用された。
(現地案内板参考) 
  鳥取県立博物館 
TEL0857-26-8042 
〒680-0011 
鳥取県鳥取市東町二丁目124番地
開館時間:9:00〜17:00
(4月〜10月の企画展開催中の土曜日。
日曜日および祝日は、9:00〜19:00まで開館)
休館日・開館延長日:毎週月曜日、国民の祝日の翌日 
*月曜日が祝日の場合は翌平日を休館日とする 
年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料:常設展ー一般180円、20名以上の団体150円
   
 
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   鳥取城跡 内堀   稲荷神社ー二ノ丸跡ー   石切場跡  
  鳥取城跡 内堀   鳥取城跡 稲荷神社ー二ノ丸跡ー   鳥取城跡 石切場跡
目の前の崖(がけ)は、石垣を築くために石を切り出した石切場の跡。
もともとこの場所には、久松山(きゅうしょうざん)の中腹から続く尾根があった様子である。
しかし、二ノ丸の敷地を造る時、その尾根を切り崩しながら、得られた石材で石垣が築かれた。
崖の表面に見られる長方形の穴は「矢穴」といい、「矢」と呼ばれるクサビを打ち込み石を割るための穴である。
城内には、本丸へ続く中坂道周辺にも石切場が残っている。
石垣を築く時、最も経費のかかる工程は、石の運搬だった。
城の近くで石垣に適した石が採れることは重要で、鳥取城の石垣も大部分が久松山で産出する石が使われている。
ただし、昭和34年(1959)以降の修復個所は、久松山の保全のために、主に他地域から算出する石材が使われている。
(現地案内板参考) 
 
         
  十神砦跡    久松山登山道     中坂稲荷  
  鳥取城 十神砦(とがみとりで)
先方中央には、本陣山ー太閤ヶ平ーが見える。
 
  久松山登山道
鳥取城山下ノ丸跡から山上ノ丸跡への登山道には、現在位置を示す標「合目」が付いているので分かりやすい。
 
  鳥取城跡 中坂稲荷
鳥取城山下ノ丸から山上ノ丸への登山道の丁度中間、五合目の所にこの中坂稲荷が祀られている。
登山道には、1合目から9合目まで標が付けられているので、今どのあたりまで登っているのかがわかりやすくて助かる。
  
 
         
   鳥取城跡ー山上ノ丸・太閤ヶ平間遊歩道ー   太閤ヶ平    樗谿(おうちだに)神社   
  鳥取城跡ー山上ノ丸・太閤ヶ平間遊歩道ー
鳥取城跡 山上ノ丸と太閤ヶ平との間には遊歩道が設けられていて、その間約2.2q、所要時間は約40分。
途中には、鳥取平野や日本海が見える展望所や太閤ヶ平が見える十神砦がある。
    
  史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 
秀吉本陣跡ー太閤ヶ平(たいこうがなる)−
織田信長は、天正8・9年(1580・81)の2度、羽柴秀吉を総大将として鳥取に侵攻し、毛利方の拠点であった鳥取城(久松山山頂)を攻めた。
帝釈山(後には太閤ヶ平・本陣山と呼ばれる)に築かれた秀吉本陣は、高低差4m以上の土塁と空堀に囲まれ、内寸58m、櫓台も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしている。
また、周囲のあらゆる尾根に陣城を配置し、鳥取城に対する強大な包囲網を敷いている。
本陣および陣城群は、一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣でもあった可能性が指摘されている。 鳥取市教育委員会
(現地案内板より) 
  樗谿(おうちだに)神社
(本殿・唐門・拝殿は国重要文化財 昭和27年7月19日)
慶安3年(1650)鳥取東照宮として藩主池田光仲が創設した。
幕府の御大工を棟梁として造られたもので、奉納された太刀四振は鳥取県保護文化財となっている。
(現地案内板) 
 
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   樗谿公園(おうちだにこうえん)    黄檗宗 興禅寺   大隣寺   
  樗谿公園 〒680-0015 鳥取市上町
樗谿神社の参道に沿って設けられた公園で、樗谿神社の社叢と一体化して奥行きのある素晴らしい環境を造り出している。
公園内には、芝生広場、休憩所「梅鯉庵」、梅林、鳥取市立歴史博物館やまびこ館などが整備されている。
また、遊歩道に沿って流れる樗谿川には、ホタルが生息しており、その季節には、ホタルの乱舞を見ることができる。
        樗谿公園案内図
  黄檗宗 興禅寺
鳥取藩主 池田家の菩提寺。
武家書院造りの庭園は市の文化財に指定されている。
 
  臨済宗 妙心寺派 大隣寺(だいりんじ) TEL0857-22-8044 鳥取市馬場町4
本尊:釈迦牟尼佛
開創:寛永9年(1632)
開祖:亀峰永元禅師
交通:JR鳥取駅より徒歩約20分

  久松山ろく史跡みて歩 
 
         
   芳心寺    一善や 鳥取店    鳥取自然休養林  
  日蓮宗 大寶山 芳心寺 TEL085-722-3583 〒680-0014 鳥取市馬場町6
日蓮大聖人御真骨分安霊場
身延山別院 山陰身延
開創 天文13年(1544)  
開山 慈運院日徳上人  
開基 龍華院日廣上人
当山は、104代後奈良天皇、将軍足利14代義輝の時(室町時代後期)元備前岡山庭瀬口にあり正福寺と称し池田候の御祈願所となる。
88年後寛永9年(1632)池田光仲候3才の時(三代将軍徳川家光・江戸時代前期)因州鳥取へ御国替となり正福寺を今の処に移転する。
正徳3年(1713)寺号を芳心寺と改称。
蓋し池田光仲夫人の法号芳心院殿妙英日春大姉に因み付けられた。
光仲候は鳥取藩32万石の祖にして、夫人芳心院殿は徳川三家の一紀州大納言松平頼宣卿の二女(茶々姫)にして水戸光圀公とはいとこ。
夫人が法華の篤信者で、母は加藤清正公の二女の長女。
父頼宣卿の母は徳川家康公の側室有名なるお万の方に当る。
因伯第一の名刹として日蓮宗総本山身延山の別院であり、山陰身延と称せられる所以である。
京都大本山妙顕寺旧末寺中の中本山にして末寺八ヶ寺あり。
寺宝として、日蓮大聖人御真骨安置してある。
(現地案内板より抜粋)
        久松山ろく史跡みて歩き
    
  一善や 鳥取店 
TEL0857-20-0209 
鳥取県鳥取市栗谷町10
営業時間:10:00〜21:00
定休日:無休
 
  鳥取自然休養林ー国有林ー
国有林は、日本の森林面積の約30%を占めている。
国有林の多くは民有林に比べて山奥にあるが、旧城山国有林のように市街地に接している国有林は、全国的にも珍しいものである。
林野庁では市民などの皆様がハイキングや森林浴などのほか植物や野鳥などを観察したりするために、この国有林を鳥取自然休養林に指定している。
鳥取自然休養林では、樗谿公園(おうちだにこうえん)から通称本陣山(ほんじんやま)に通じる管理車道3.5qと遊歩道7qを整備している。
    林野庁 鳥取森林管理署
(現地案内板)
                
鳥取自然休養林案内図 
 
         
   丸山城跡   道の駅 清流茶屋河原       
  丸山城跡ー河原城跡ー
TEL0858-85-0046 
河原城風土資産研究会 
〒680-1242 
鳥取県鳥取市河原町谷一木1011
羽柴秀吉による第一次鳥取城攻めー天正8(1580)年ーの際に陣が置かれたとされる城。
鳥取城付近には、丸山城と名の付いた城が3つあったとされるが、その内の一つ。
他の丸山城と区別する為、1990年代に、現在の「お城山展望台」(観光案内所と資料館)を建設して以降、河原城と呼ばれている。
開館時間:10:00〜18:00(但し4月〜9月の土曜日は19:00まで)ー入館は閉館時刻の30分前までー
休館日:毎週月曜日、年末年始 *月曜日が祝祭日の場合は翌日
入館料:無料
主な展示物:川原町の歴史、文化、自然などの情報をジオラマやマジカルビジョン等で紹介
  道の駅 清流茶屋河原 
TEL0858-85-5331 
〒680-1213 
鳥取県鳥取市川原町高福837
古事記に記載されている、八上姫と大国主命の恋の舞台となった里にある道の駅
アグリショップ 夢菜館:9:00〜19:00 TEL0858-85-0520
ふるさと鳥取の市 鮎遊座:9:00〜19:00 TEL0858-85-6205
陶器コーナー:9:00〜19:00 TEL0858-85-6205
四季旬菜料理 姫八菜:11:00「〜14:30(ラストオーダー14:00) TEL0858-85-6150
炭火焼と和風料理 かわら亭:11:00〜21:00(ラストオーダー20:00) TEL0858-85-6200
コンビニエンスストア:24時間営業 TEL0858-85-5380
交流室 福和田:8:00〜19:000 TEL0858-85-5331
情報コーナー:24時間利用可能
トイレ:24時間利用可能
近くの神社ー売沼神社(めぬまじんじゃ) 祭神ー稲羽八上比売命(いなばやかみひめのみこと)
     
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