旅 瀬戸内(たびせと)    徳島城跡・徳島中央公園 GoogleMap     
   
   
   
       
     徳島城博物館  
       
  徳島城 鷲の門    徳島中央公園   
     
徳島中央公園 徳島市徳島町城内1番外 面積:200,262平方メートル 菅理:徳島市都市整備部公園緑地課 TEL088-621-5295
徳島城跡に開設した公園で徳島市中心部のJR徳島駅に隣接。開設明治43年。
城山(本丸跡・西二の丸跡・西三の丸跡・東二の丸跡)、バラ園、徳島城博物館、旧徳島城表御殿庭園、鷲の門、数寄屋橋、下乗橋、貝塚など見所は多い。
徳島城跡が国指定史跡に指定ー平成18年1月26日


徳島城
徳島城は、天正13年(1585)に阿波国(17万6千石)の領主となった蜂須賀家正(はちすかいえまさ)(1558〜1638)によって建設されました。
築城にあたっては、天下人豊臣秀吉の命により伊予の小早川隆景(こばやかわたかかげ)や土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)、比叡山の僧侶が協力しました。
徳島城は標高約61mの城山と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。
徳島城の構造は、山上の本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸、南麓の御殿(一部は現徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主等の住んだ西の丸からなる平山城でした。
藩主が暮らしたのは、天守のある城山ではなく麓の御殿でした。御殿は藩主の居間や藩主が家臣たちを引見する広間(121.5畳)や大書院(110.5畳)のほか、重臣たちの詰めた部屋のあった「表」と藩主の側室・子どもとその身の回りの世話をした女中たちが住む「奥」に別れていました。「奥」は藩主とその家族以外の男子は入ることができませんでした。
藩主の居城として徳島藩のシンボルであった徳島城は、明治になると役目を終え、明治8年(1875)に解体され、現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなりました。
(現地案内板より)

徳島城鷲の門
徳島城(別名渭津城)は、天正13年(1585年)に阿波に入国した蜂須賀家政が築城した屋形造りの平山城であった。
幕藩時代を通じ蜂須賀家が14代にわたって居城し、280余年の間、阿波・淡路両国25万7,800石を支配した。
鷲の門は、この徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付きの薬医門であった。
幕府に鷲を飼うからと申し立て建造したところから鷲の門の名があると伝えられている。
廃藩置県の後、城郭の建造物は取り壊され、唯一残された鷲の門も昭和20年(1945年)7月4日早暁の徳島大空襲によって焼失した。
現在の鷲の門は、平成元年(1989年)9月27日、徳島市制百年を記念して、吉井ツルエ氏(徳島市出身)より復元寄贈されたものである。
        徳島市
(現地案内板より)
         徳島城案内図 徳島城公園案内図
旧徳島城表御殿庭園 国指定名勝
桃山様式の枯山水庭と築山泉水庭とを組み合わせた全国有数の名庭園
徳島城博物館
徳島藩と蜂須賀家の歴史資料などを5つのコーナーに展示した近世専門の博物館
城山の海蝕痕 城山の貝塚 数寄屋橋
城山の海蝕痕
縄文時代早期〜前期の5,000〜6,000年前に大規模な海進(城門海進)があったころの名残。
城山の貝塚
約4,000〜2,300年前の縄文時代後期〜晩期を中心とする岩陰・洞窟遺跡。当時の生活や自然環境を知る上で重要な遺跡。
数寄屋橋
徳島城の鬼門にあたる門、数奇屋門の前に架けられていた橋。城内の凶事(きょうじ)の際以外には開かれることのない門であった。
堀(堀川)と石垣 文学博士鳥居龍蔵先生記念碑 下乗橋ーげじょうばし(小見付橋ーこみつけばし)
文学博士鳥居龍蔵先生記念碑
徳島県出身の文学博士で人類学者。台湾、シベリア、モンゴル、中国、朝鮮半島、樺太、千島列島の調査研究を行うと共に多くの著書を出版。城山貝塚の発掘調査にも当たった。
下乗橋ーげじょうばし(小見付橋ーこみつけばし)
殿様の住む御殿への正面入口にあたり、以前は木製の太鼓橋であった。。来城者は、この橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡った。
         
徳島城の石垣 城山 弁天池(蓮池)
徳島城の石垣
徳島地方でとれる緑色片岩を使って築かれているため独特の趣を持っている。
徳島城 城山
城山は、吉野川がつくった徳島平野の沖積地に孤立する小さい分離丘陵で、斜面は急で、傾度の平均は35.9度もある。
弁天池(蓮池)
城山南麓に残る古池、かっては池一杯に蓮が植えられていたので、蓮池と呼ばれた。
東二の丸跡 本丸跡 清玄坊
本丸跡
徳島城の山城部分には、本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸が置かれていた。
本丸は標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪(くるわ)で、山城部分のなかでは最も面積が広く重要な所。
藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀であったが緊急時の様々な備えはしてあった。
清玄坊
清玄坊の元祖は清和天皇で、皇子民籍降下にあたり天皇より「源氏」の称号を賜わり、後に修験者となり三好家と共に、阿波に移り城山に祈祷所を建てていた。
その清玄坊を供養するための祠。
駐車場
東側駐車場 TEL088-655-9037 89台 駐車可能時間8:30〜17:00(10/1〜3/31) 8:30〜21:00(4/1〜9/30) 休日:12月29日〜1月3日 駐車料金:普通車310円 大型自動車(観光バス含む)1,260円
西側駐車場:TEL088-654-5350 116台 駐車可能時間:8:00〜21:00 休日:12月29日〜1月3日 駐車料金:普通車310円 大型自動車(観光バス含む)1,260円

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