旅 瀬戸内(たびせと)

砥石城跡ーパノラマー
     
     直家生誕地ー登山口ー  
     
    砥石城本丸跡    砥石城石垣  
  砥石城跡ーパノラマー
瀬戸内市指定重要文化財 砥石城跡(といしじょうあと) 昭和61年12月24日指定
砥石城は、戦国時代の宇喜多氏ゆかりの山城です。
城の経いや築城期は定かではありませんが、江戸時代の記録「備前軍記」には、大永(たいえい)年間(1521〜1528)浦上村宗(むらむね)の家臣宇喜多和泉守能家(いずみのかみよしいえ)が築城したと書かれています。宇喜多久家(ひさいえ)の子能家は、邑久郡に住み、備前守護代浦上村宗に、のち二男浦上宗景(むねかげ)につかえました。
天文3年(1534)6月、高取山城主島村豊後守(しまむらぶんごのかみ)の夜討ちによって城主能家は自害し落城しました。主君浦上宗景はこの城を島村氏には与えず、浮田大和守(うきたやまとのかみ)に与えました。
天文16年(1547)乙子(おとご)城主となった能家の孫宇喜多直家(なおいえ)は、主君宗景の軍勢と合して、備中三村氏に内通した砥石城主浮田大和守を攻め落とし、城主に舎弟の浮田春家(はるいえ)を任じました。その後、直家は主君浦上氏を倒し戦国大名として岡山城主になります。春家は、直家の居城であった亀山城(沼城)の城主となり、部将に砥石城を守らせました。
     平成9年3月  砥石城環境整備実行委員会
(現地案内板)

砥石城の縄張り
砥石城は、千町平野に向かって北に延びる標高約100mの砥石山尾根上に築かれた山城で、城郭(じょうかく)の構造がはっきり残っています。
縄張りは、五連郭の本城ー半島状に延びた尾根頂部の稜線(りょうせん)に沿う長方形の本丸・本丸の先端にある三段の曲輪(くるわ)・本丸の後方にある一段の出曲輪ーと堀切(ほりきり)を構えた四廓の出城ー本城から谷を隔てた西隣りの峰の中心にある出丸・出丸の先端にある三段の小廓ーで構成されています。
このことから砥石城は、単純な連郭式(れんかくしき)小山城が二組で一つの城郭を構成しているようです。
本丸の石垣状況からみて主要部は瓦葺き建築物や柵板塀(さくいたべい)が主体となる中世的な山城であったと考えられます。
   平成9年3月
       砥石城環境整備実行委員会
(現地案内板)

宇喜多直家生誕之地の碑が砥石城跡への登山口にあり。
この碑は、2012年10月5日に備前地域で発売された、オリジナル フレーム切手、「備前国取物語 宇喜多直家・秀家」に採用されている。
 
   
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  西大寺・上寺山方面ー砥石城跡よりー   
   
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  瀬戸内市役所・夢二の里方面ー砥石城跡よりー   
        さらに詳しくは⇒砥石城跡