旅 瀬戸内(たびせと)    光雲神社(てるもじんじゃ) GoogleMap    
   
     
     
     
  光雲神社      
  光雲神社(てるもじんじゃ)
所在地 福岡市西公園
社格 別表神社
祭神 黒田勘解由次官孝高(如水) 法名 龍光院殿  黒田筑前守長政 法名 興雲院殿
この神社には黒田如水公と黒田長政公の霊を祭ってある。
如水、長政両公は、全国的に有名な民謡「黒田武士」の育ての親であり、また「福岡」の名付け親でもある。
光雲神社という名前は、両公の法名からそれぞれ一字ずつをとってつけた。
この神社は如水、長政両公の子孫嗣高公が藩主になられたとき福岡市舞鶴城内(現平和台)本丸天守台の下に造られた「ところが」明治4(1871)年廃藩置県のさい黒田家が東京に移転されることに決まると歴代藩主の恩恵をしたうあまりに旧藩民有志が当時11代藩主であった長溥公に懇願し、許可を得て明治4年8月小烏吉祥院(現在の警固神社の近く)に神社を移した。
1.明治8年3月県社に昇格 2.同40年4月西公園に社殿落成移転 3.昭和20年6月被戦災 4.同41年10月現在社殿に鎮座
例祭日 春の大祭 4月20日 秋の大祭 10月4日 (他小祭日略)
摂社 堅盤神社(黒田重隆公 職隆公 忠之公 阿津姫)
末社 荒津神社(大己貴命、国常立尊 正哉吾勝尊 国狭槌尊、伊弉冊尊、瓊々杵尊、惶根尊)
(現地案内板)
 
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   光雲神社 拝殿   光雲神社 本殿    荒津神社   
          荒津神社(あらつじんじゃ)
祭神:神武天皇、大物主神、金毘羅神
鳥居には黒田長ロ(ながあきら)」建立と刻まれており、江戸時
 
       
  堅磐神社    母里但馬守太兵衛友信像   西公園   
  堅磐神社(かきわじんじゃ)
祭神:黒田孝高の祖父・黒田重隆、父黒田職隆、2代藩主黒田忠之公、6代藩主・黒田継高公の14女・阿津姫
神社正面の
掲額(けいがく)は黒田家第15代・黒田長久公の直筆。
この神社の鳥居は「明和5(1768)年」と刻まれた文字から、6代藩主・継高公の時代に作られたもので、建立当時は福岡城の天守台の下の東側にあった黒田長政公を祀った「聖照(せいしょう)権現」と黒田如水を祀った「水鏡権現」の二つを一緒にお祀りしていたお社の鳥居であり、その後ここに移設したものと考えられている。
  母里但馬守太兵衛友信像
黒田八虎の一人で知勇兼備の武将。
主君長政公の命を受けて福島正則公に使いした時、なみなみと注がれた大盃の酒を飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家家宝、「名槍日本号」を持ち帰った話は、「黒田節」にも謡われている有名な話。
母里太兵衛居宅の門は、福岡城内に復元され、また墓所は県下嘉麻市大隅の麟翁寺にある。
  西公園ー福岡市ー 
TEL092-711-9469 
〒810-0061 福岡県福岡市中央区西公園
古くから荒津山、もしくは荒戸山と呼ばれ、博多湾を警備するための防人が派遣されていた。
黒田家入封後、東照宮が建立されたが明治になって廃祀。
明治14(1881)年荒津山公園とされ、その後も拡張、明治33(1900)年西公園と改称されるとともに県の管轄となり、明治40(1907)年には、光雲神社が遷座される。
現在の公園面積は約17万平方メートルで、松、シイ、カシなのど自然樹木に加え、桜約3,000本や紅葉、ツツジなどが植えられており、日本さくら名所100選にも選定されている。
展望広場からは、博多湾、能古島、志賀島、海の中道などを一望することが出来る。
 
        
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