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   竹田城跡   竹田城跡     竹田城 南二の丸跡・南千畳跡  
  竹田城跡黒田官兵衛ゆかりの地
最近急激に人気を集めている天空の城。
2012年8月に公開された高倉健主演のあなたへのロケが行われて以来、急激に人気を集め現在も、毎日多くの観光客が足を運んでいる。
また、2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケも、2013年9月25日〜ここ竹田城跡にて行われた。益々の人気の高まりが期待されている。
 
竹田城、入場制限へ
2013年1月21日の報道によると、最近竹田城への入場者が急増しており、石垣の崩壊や安全の危惧が生じている。
そこで、竹田城を管理する朝来市教育委員会では、見学場所の限定、予約制、期間限定の特別公開等を検討しているとの事。
  遺構について
竹田城は嘉吉(かきつ)年間(1441〜1443)に、守護大名の山名持豊(やまなもちとよ)−宗全(そうぜん)ーが有力家臣のひとりである太田垣に築かせた城である。
そのころの竹田城は砦(とりで)ー小規模な要塞(ようさい)−に近かった。
最近の調査では、現在のような壮大な石積みの城郭になったのは、廃城時(慶長5年ー1600)にごく近い時代と考えられている。
竹田城の縄張(なわば)りは、最高所の天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式(ていかくしき)に配され、大手口を防御(ぼうぎょ)する桝形部(ますがたぶ)に沿う北千畳郭と搦手口(からめてぐち)のある南千畳を双翼(そうよく)とし、さらに、天守台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。
  また、城郭の周囲には現存の石垣より古い時代の遺構である竪堀(たてぼり)も確認され、複合遺構として今後の総合的な調査・保存が必要となっている。
規模は南北約400m、東西約100mである。
(昭和18年9月8日、国史跡に指定)
  
 
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  石垣について
竹田城遺構の見せ場は石垣にある。
この石垣は構築技法からみて、穴太(あのう)積みを採用している。
穴太積みとは近江(おうみ)国ー現滋賀県ー坂本を中心に発達した石垣構築法の総称であるが、積み方から言えば野面(のづら)積み石垣といえよう。
  野面積みとは、加工をほどこさない自然石をそのまま積んだもので、すき間が多く、一見して粗雑に見えるが水はけがよく、崩れを防ぐ。
竹田城の場合、石垣が築かれてから約400年経つが一部の復元箇所を除いて当時のままの姿を今日に伝え、石積みのもつ深い味わいはたとえようもない。
    和田山町観光協会    平成元年4月
(現地案内板) 
  竹田城跡案内図 
竹田城下町ガイドマップ 
竹田城登山路マップ

近くのキャンプ場 
緑ヶ丘キャンプ場 
さのう高原キャンプ場
 
   
   
      竹田城跡       
  竹田城と黒田官兵衛
2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケが2013年9月25日〜ここ竹田城跡にて行われた。
竹田城としてではなく、「小田原城攻め」のシーンに初日(1月5日)の放送で使われるとの報道。
竹田城関係略年表国史跡 竹田城跡ー和田山観光協会発行ーJR竹田駅内観光案内所等で販売中によると
下記の記載がある。
この記載からわかるように、羽柴秀吉は、天正5(1577)年に播磨平定後、木下秀長に但馬攻略を命じており、その際竹田城も官兵衛と共に攻撃開城させている。

以前略
永禄12(1569)年   木下藤吉郎秀吉、但馬侵攻する。生野銀山から此隅山城まで10日間で18城を陥落させる(「益田家什書」)
 
  永禄13(1570)年   太田垣輝延、第7代竹田城主となる
天正 1(1573)年    毛利軍、伯耆から因幡へ入国する。但馬侵攻の気配を感じた山名祐豊・太田垣・垣屋・田結庄ら毛利軍に降伏する(「兵庫県史」)
天正 3(1575)年    丹波黒井城主荻野直正、竹田城・有子山城を急襲し、奪取する。明智光秀、丹波を攻撃する。荻野は黒井城へ退く(「吉川家文書」)
天正 5(1577)年    羽柴秀吉、播磨を平定したのち、小一郎秀長をもって但馬を侵攻する。
「山口・岩洲の両城を攻落し、此のいきおいかって小(太)田垣氏がたてこもる竹田へ攻めかかって、これもまた退散させるとすぐ普請を命じて、弟の木下小一郎(秀長)を城代として入れおく」(「信長公記」)秀吉、室尾山法宝寺に禁制を授ける
  天正 6(1578)年    秀吉、再び小一郎秀長を竹田城に入れる(「信長公記」)
小一郎秀長、三木城攻めに加わる
天正 8(1580)年    秀吉、但馬を攻撃する
「木下小一郎、竹田城を陥落させ、城を改修し人数を入れおく」(「信長公記」)
(この時点で、太田垣の竹田城は終る)
天正 9(1581)年    重晴、鳥取城攻めに参加する
天正10(1582)年    桑山修理太夫重晴、竹田城主となる。所領10,000石(「藩翰譜」)
          以下略
  
 
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   竹田城 正門跡    竹田城 南千畳跡    竹田城 南二の丸跡  
  竹田城はその形が、虎が臥した姿に似ていることから「虎臥城(とらふすじょう)」とも呼ばれていた。          
         
   竹田城 天守・二ノ丸   竹田城 天守・本丸     竹田城 南二の丸跡方面  
   
       竹田城跡      
  秋、10月から11月にかけて、内陸の山間部であるこの地域には雲海が発生し、「天空の山城」があらわれる。    写真愛好家たちの絶好の撮影対象となっている。ー撮影スポットの一つは「立雲峡」ー       
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  竹田城 花屋敷跡     竹田城 二の丸跡・三の丸跡・北千畳跡    竹田城跡  
         
   竹田城 天守跡ー北千畳跡よりー    竹田城 大手門    竹田城 天守跡・二の丸跡  
   
       竹田城下ー竹田城よりー      
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   竹田の街並み   寺町通り    生野銀山  
           
  竹田城跡周辺の駐車場     山城の郷      
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