旅 瀬戸内(たびせと)    鷹ノ巣城跡ー小早川隆景陣ーGoogleMap    
   
     
     
     
  鷹ノ巣城跡ー小早川隆景陣ー備中高松城水攻めー      
  鷹ノ巣城跡ー小早川隆景陣ー備中高松城水攻めー
羽柴秀吉軍の備中高松城、水攻めに対して、毛利方の小早川隆景が陣を構えたと言われる鷹ノ巣城跡からの眺望は本当に素晴らしい。
備中高松城水攻めの全域は勿論、秀吉軍、毛利軍両方の軍の各陣全体を見渡すことができる。
  この地域は、吉備国の中心地として栄えた所であるが、鷹ノ巣城跡からは、その地域全体、すなわち左から右方面にかけて、雪舟の修行した宝福寺備中国分寺付近から、鬼ノ城雪舟誕生の地造山古墳矢喰宮足守陣屋跡高松最上稲荷とその 奥之院一乗寺ある竜王山、吉備津神社・吉備津彦の命の墓と言われる中山茶臼山古墳のある吉備の中山、さらに右方向には楯築遺跡・王墓山古墳・日畑廃寺のある王墓の丘史跡公園など吉備地方の歴史を考える上では欠かすことのできない地域全体を一望の下に見渡すことができる。    鷹ノ巣城跡への行き方
日差山の毘沙門天(日差山寺)近くには、駐車場(車3台ほど駐車可能)があり、車で来ることができる。
ここから鷹巣城跡までは約800m、徒歩で20分程。
明るく歩きやすい山道。
  
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                 鬼ノ城方面        備中高松城水攻め跡方面               羽柴秀長陣跡方面   
     吉備国中心地全体(吉備路西部)の眺望ー鷹ノ巣城跡よりー      
       
  備中高松城水攻め跡方面ー鷹ノ巣城跡よりー    造山古墳・庚申山ー鷹ノ巣城跡よりー    備中高松城跡・羽柴秀吉本陣跡・蛙が鼻築堤跡   
  備中高松城水攻め跡方面ー鷹ノ巣城跡よりー
足守川ー正面中央を左から右に走る緑地帯。
備中高松城跡ーその向こう中央少し右に小さくかすかに見える緑の島。
吉川元春陣所跡ー庚申山ー足守川の左端、に見える丘陵。
加藤清正陣跡津田与左衛門陣跡宇喜多忠家陣所跡ー庚申山の向こうの山裾に見える突き出し部左から右中央部付近へ、加藤清正陣跡、津田与左衛門陣跡、宇喜多忠家陣跡。
羽柴秀吉本陣跡 石井山ー足守川右端のすぐ向こうに見える山。
堀尾茂助陣跡ー石井山から左に突き出した山の山裾附近。
造山古墳ー左手前に島の様に独立して見える丘陵。
 
  造山古墳・庚申山ー鷹ノ巣城跡よりー
造山古墳ー一番手前にある集落に囲まれた丘陵。
吉川元春陣所跡ー庚申山ー造山古墳のすぐ向こうに見える丘陵の右方部。
加藤清正陣跡ー庚申山の向こう一番左にある突き出し部。
津田与左衛門陣跡ー加藤清正陣の右(中央)に見える突き出し部。
宇喜多忠家陣所跡ー津田与左衛門陣跡の右(一番右)に見える突き出し部。
 
  中高松城跡・羽柴秀吉本陣跡・蛙が鼻築堤跡
ー鷹ノ巣城跡よりー
備中高松城跡ー正面左中央部の林。
足守川ー手前を横一直線に見える緑地帯。
羽柴秀吉本陣跡ー備中高松城跡の向こうに見える小さな丘。
高松最上稲荷ー羽柴秀勝陣跡の向こう山裾近くに屋根の見える建物。
高松城水攻築堤跡ー蛙が鼻築堤跡ー画面左端中央に見えるビルのすぐ左に小さく丸く突き出した林。
羽柴秀吉本陣跡のある石井山ー蛙が鼻築堤跡上の山。
最上稲荷大鳥居(工事中)ー青い覆いの掛かっている所。
堀尾茂助陣跡ー御崎宮ー大鳥居のすぐ向こうの山裾。 
 
         
   備中高松城跡   羽柴秀長陣跡・加茂城跡     宮路山城跡・ 鍛冶山城跡  
  備中高松城跡ー鷹の巣城跡よりー
正面中央部が備中高松城跡、その上に見える丸い丘は羽柴秀勝陣跡(織田信長の四男で秀吉の養子)陣跡。
  羽柴秀長陣跡・加茂城跡ー鷹の巣城跡よりー
羽柴秀長陣跡ー正面少し左に見える鉄塔のある山。
加茂城跡ー真正面平野部の鉄塔の少し右に見え小さな林部分。
足守川ー手前に左上から右下に向かって流れる川。
  宮路山城跡・ 鍛冶山城跡ー鷹の巣城跡よりー
宮路山城跡ー左側中央に見える山。山裾には足守陣屋跡が!
鍛冶山城跡ー右側中央に見える山。
冠山城跡ー鍛冶山城跡のすぐ手前に見える小さな丘陵(三つ程見える丘陵の内一番向こうの丘陵。
吉川元春陣所跡ー庚申山ー一番手前の丘陵の一番右にある山頂。
 
       
  鬼ノ城跡    竜王山と備中高松稲荷   長良山城跡  
鬼ノ城跡ー鷹の巣城跡よりー
古代山城。
標高約400mの鬼城山に高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたってめぐらされた古代朝鮮式山城の遺跡。
その規模と構造は我が国最大級といわれ、桃太郎の元となった吉備津彦命の温羅退治の伝説でも有名。
実物大で復元された西門をはじめ、城内からの排水施設である水門、兵糧を蓄えた礎石建物跡などがある。
また、鬼ノ城一帯は、平安時代に新山、岩屋とともに山上仏教が栄え、大規模な伽藍が多数立ち並び、西方教化の中心地であったといわれている。
ここからの眺望は素晴しく、四国山脈や備前平野などが一望できる。初日の出のスポットとしても人気がある。
  竜王山と備中高松稲荷ー鷹の巣城跡よりー
最上稲荷奥之院一乗寺ー左側の竜王山山頂
最上稲荷ー竜王山の山麓近くの正面中央から右にかけて屋根が見える建物群。
その下の田んぼの中に見える林は備中高松城本丸跡。
  長良山城跡
室町時代初めここ服部郷を治めていた、世瀬川左衛門入道祐隣が、建武年間(1334〜1338)に築いた城と伝えられている。
高松城水攻めのあった頃の城主は、その後裔で姓を禰屋(ねや)と改めた禰屋親光で、毛利方として参戦している。
この城山の西には、岡山県立大学のキャンパスがある。
 
     
   鷹ノ巣城跡の石垣と思われる石垣    江田山山頂 日差山から鷹ノ巣城へ  
  鷹ノ巣城跡の石垣と思われる石垣
江田山山頂から鷹ノ巣城跡へ行く途中にある。
400年前のものがいまだに残っているのかと思うと・・・・。
 
  江田山山頂
日差山から鷹ノ巣城跡へ行く途中にある。日差山山系では一番高い山。
但し、周囲の樹木が伐採されていない為、吉備の中山方面が少し見えるだけ。
 
日差山から鷹ノ巣城へ
日差山からは、備中福山合戦で有名な福山城跡方面へ続く倉敷北部全山縦走コースがあり、鷹ノ巣城跡はそのコースから片道10分程外れた所にある。
 
        
      
   備中高松城水攻め跡方面             羽柴秀長陣跡・加茂城跡方面 吉備の中山方面        日幡城跡方面  
       吉備国中心地全体(吉備路東部)の眺望ー鷹ノ巣城跡よりー      
       
   造山古墳   吉備の中山方面    日幡城跡  
  造山古墳
長径350メートルの前方後円墳、履中天皇陵に次いで全国第4位の規模を持ち、上・中・下の三段の墳丘をつくり、埴輪円筒列をめぐらせてあった。
付近の6基の小古墳と共に国の史跡に指定されており、6基のうち千足古墳の石室には、直弧紋様の装飾彫刻を施した槨障がある。      岡山県・岡山市
(現地案内版) 
  吉備の中山方面
吉備の中山は、遠い昔この地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心に位置していたことからその名がついたと言われている。
温暖な気候と肥沃な土地、それに豊かな自然に恵まれた吉備の国は、大和の国にも対抗し得る力をもったと考えられ、それがために後に、備前・備中・備後さらには美作に分国されることになる。
この時、備前と備中は、太古より神奈備山(かむなびやま)として崇めていた「吉備の中山」を二つに分ける形で国境を定めた。
そして備前も備中も、その国にとって最も大切な神社の一宮を中山の麓に置いた。
国府から遠く離れたこの地に一宮があるということは、吉備の中山に対する崇拝が如何に高かったかを如実に物語っていると言える。
         (現地案内板より)
  日幡城跡ー備中高松城水攻めー
日幡城跡ー一番手前の赤白の鉄塔の先端付近。

王墓の丘史跡公園ー日幡城跡手前に見える丘陵。
赤白の鉄塔の通っている住宅地部分を挟んで両方の丘陵に渡っている。
 
         
   鷹ノ巣城跡    仙石権兵衛陣跡   天神山陣跡   
      仙石権兵衛陣跡ー備中高松城水攻めー
後に信濃小諸藩の藩主となる仙石権兵衛秀久陣跡は、羽柴秀吉本陣の石井山の麓近く、堀尾茂助の陣の北側に構えている。
上の写真では、正面中央に見える団地付近がその陣跡ではないかと言われている。
この仙石権兵衛秀久陣からは、備中高松城は勿論、羽柴秀勝の陣、宇喜多秀忠の陣などがすぐ近くに見える。
手前に見える青い覆いで覆われたのは備中高松稲荷の大鳥居。
そのすぐ向こう附近が、堀尾茂助の陣があったとされる御崎宮。
  天神山陣跡ー備中高松城水攻めー
備中高松城水攻めにおいて、小早川勢の小田孫兵衛、細川兵部、杉原播磨守らが陣を張ったとされる所。
備中高松城へは、花房助兵衛の陣、吉川元春の陣に次いで近い所に位置する。
上の写真は、鷹ノ巣城跡から見たもの。
天神宮の本殿の屋根がわずかに見える。
 
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