旅 瀬戸内(たびせと)

平重盛(たいらのしげもり)
  平重盛 1138年〜1179年
平清盛の嫡男、母は高階基章の娘
保元の乱(1156)と平治の乱(1159)で名声・戦功を挙げる。
後白河上皇の近臣として王朝体制を守ると共に、父清盛の独走を抑制し上皇との間をとりもつ重要な立場におかれ苦悩している。
妻が鹿ヶ谷事件の首謀者、藤原成親の妹であり、また、子息維盛の妻が成親の娘であったことから、事件後は政治的にも苦しい立場にあったと思われる。
病気がちとなり公の場にもほとんど姿を見せることがなくなり、1179年5月に出家、7月末に亡くなる。
重盛の死後、その知行地である越前国が後白河法皇により没収され、また抑えが無くなったことから清盛の暴走が加速したといわれている。
六波羅近く小松谷の小松殿に居所を構えたため小松殿とも呼ばれた。温厚・沈着な性格。従二位内大臣。

熊野本宮大社 證誠殿前の立て札には平重盛の祈願の言葉が掲げられており、父の専横に対する苦悩の程が伺われる。
「忠ならんと欲すれば孝ならず 孝ならんと欲すれば忠ならず
南無権現願わくば
「父の専横(せんおう)が止らざる時は重盛の運命を縮めて来世の苦輪を助け給え」と・・・・・・・・・
              平重盛公 平家物語より
 
 
平重盛ゆかりの地
       
小松谷 證誠殿 なぎの老樹(重盛公お手植

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