旅 瀬戸内(たびせと)    鈴尾城跡ー毛利元就誕生伝説地ーGoogleMap    
   
        
  鈴尾城(すずおじょう)ー別名福原城ー
ー毛利元就誕生伝説地ー
広島県史跡指定 昭和15(1940)年11月10日
福原氏は大江氏の子孫である。
大江広元の次男時広は、武蔵国長井荘を領してから姓を長井とし、四男秀光は相模国毛利荘を領してから姓を毛利とした。
永徳元(1381)年毛利元春の五男広世は長井氏を相続して第六代の当主になり、父元春から安芸国内部荘福原村を譲られてこの地、鈴尾城(福原城)に移り住み姓を福原と改めた。
第八代 広俊の娘は毛利広元の妻となり、長男興元が誕生し、次男元就は明応6(1497)年3月14日、母の里であるこの城内で誕生したという。
  天文9(1540)年の郡山合戦では第十代広俊がこの守備にあたり西に備えた。
慶長5(1600)年第十三代広俊は毛利輝元に従って防長に移ったが、この間八代219年間にわたる福原氏の居城であった。
鈴尾城跡は別名福原城とも呼ばれ、前面には江の川が流れ、標高316m、比高110mの頂部に本丸等十壇の郭を配し、西側下の井の壇に直径1.0m、深さ6mの石組みの井戸があり、東側斜面には居館跡と伝えられる広大な平たん部がある。
そこは、毛利元就誕生地として伝えられ碑が建てられている。
 平成26(2014)年3月
   安芸高田市教育委員会
(現地案内板)
        鈴尾城跡案内図
     
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   福原氏墓所入口    鈴尾城跡登山口    鈴尾城跡駐車場  
  福原氏墓所入口
猪対策のため福原氏墓所附近の山は金網の柵で囲われており入口もこのようになっている。
鍵は掛かっておらず自由に出入りできるのであるが、何故か非常に堅く容易に開けることが出来なかった、しかも時間の関係もあったので墓まで行くことは断念。

      福原氏墓所案内図
  鈴尾城跡登山口
ここも、猪対策のため、城跡全体が金網の柵で鴨まれている。
入口の出入りは自由。
但し、出入りの際は猪が出ないよう扉をきちんと閉めて置くことが必要。
 
     
           
   鈴尾城跡上の写真の反対側から見ると    江の川・鈴尾城跡      
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