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杉原紙研究所 | 和紙博物館 | |||
杉原紙研究所 7世紀後半から加美町で漉き始められたという「杉原紙」。平安時代には既に質、生産量とも日本一の名紙として文献にも登場しています。 鎌倉時代には幕府の公用紙として使用され、室町時代には広く一般庶民にも愛用され、その名は全国に広まりました。 加美町の奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪が舞う厳しい気候風土、そしてそこで育った原料の楮(こうぞ)が、杉原紙の風雅な美しさを守り続けてきました。 杉原紙は、大正末期にいったん途絶えましたが、この杉原紙研究所の設立により復活し、昭和58年に兵庫県重要無形文化財、平成5年には兵庫県伝統的工芸品にそれぞれ指定されました。(現地案内板) 杉原紙発祥の地碑意訳 播州は南にたいへん水運のいい内海を持ち、北に日本の背骨中国山脈を負い、肥沃な平野が広がり、早くから人文が開けたことは、明石原人が発見されたことに象徴されているように明らかである。 製紙についても、奈良時代すでに美紙の産地として聞こえ、平安時代紙屋院(官用の製紙所)の機構が衰えるや、福原庄紙の名がにわかに都の文献に出るようになる。 最も古いのは関白忠実の日記「殿暦」の永久4年の記事で、実に12世紀の初頭のことである。 この事はおそらく紙を漉くのに適した福原庄が、近衛家の領地だったことによるのであろう。 それからこの紙は「椙原」または「杉原」と呼ばれ国内を風びし、人々の愛用を受け、中世には紙の品種を示す普通名詞となって連綿と近年にまで続いている。 紙の歴史がこのように永いのは他に類のないことであろう。 惜しむらくは現在杉原谷にこの紙を漉く者がいない。そこで歴史を考え、伝統を尊ぶ郷の人々が相談し、恰好の地を選んで杉原紙発祥の碑を建てようとするものである。 播州は私の郷里でもあり、しかも先年杉原紙の源流を尋ね、帝国学士院会員 京都大学名誉教授新村出博士に従って入村した縁によって、博士に題字を乞い、私が撰文した。 時に昭和41年春3月 甲南大学教授・文学博士 寿岳 文章(現地案内板) |