旅 瀬戸内(たびせと)    賤ヶ岳砦跡案内図    
             
   
   
   
  賤ヶ岳砦跡
「信長公記」によると、賤ヶ岳合戦以前の天正元年8月に、浅井朝倉方の賤ヶ岳布陣の記録が見える。
また「領家文書」には、天正元年9月に「しつがたけの城」とあり、賤ヶ岳合戦以前の賤ヶ岳城が確認出来る。
天正11年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ヶ岳合戦を記した「余呉庄合戦覚書」によると、天正11年3月19日条には「賤ヶ嶽ノ城ハ、桑山修理亮、羽田長門守、朝野弥兵衛三人ヲ籠メ置レ」とあり、標高421mに賤ヶ岳合戦の陣城として改築されたと推定される。
戦前の兵員は2千と推定され、賤ヶ岳本戦で秀吉の指揮所となる。
近年、中世城郭の特徴、切岸と多数の竪堀りが、周囲に確認され。
城域は、長辺約200m、短辺約50m。
余呉湖方面に腰郭を設け、城の周囲を囲む、犬走りや、帯郭が取り巻いている。
@ 南郭 馬蹄形に土塁を廻主郭の南を防御する為の郭である。郭の外周の切岸に注目。
A 主郭 賤ヶ岳城本丸に相当する郭で、南郭と主郭は仕切土塁で区画されている。
B 横矢桝形 賤ヶ岳城の余呉湖側帯郭に殺到する敵を側面射撃する為の横矢の一種。
C 北郭 賤ヶ岳城の北を防御する為の郭。虎口「城の入り口」は桝形状を呈している。
D 西堀切と土橋 西尾根伝いから城に押し寄せる敵を防ぐための堀切と土橋が明確に残る。
(現地案内板 図・解説 長谷川博美氏))
 
             

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