旅 瀬戸内(たびせと)    枝吉城址ー黒田官兵衛の母の里明石氏の城ーGoogleMap    
   
        
  枝吉(しきつ・えだよし)城址についてー黒田官兵衛の母の里明石氏の城ー
枝吉城は、戦国争乱の時代が幕をあける十五世紀中ごろ、明石氏によって築城された。
明石氏は、古代明石郡の大領を先祖とするという言いつたえがある。
城を台地上にかまえ、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され、一時は地域の中心として賑わった。
その後、枝吉城は二度の合戦を経て、城下町もそのたびに戦火にあったが、十六世紀末にはキリシタン大名の高山右近重友が最後の城主となり、一世紀半にわたる枝吉城の歴史は終った。
  枝吉城が築かれていた台地は城山とよばれ、6万3千平方メートルの範囲には田畑や雑木林、溜池があった。
この台地上には、稲作開始期にあたる弥生前期の村落跡もあったが、枝吉城築城の際に壊されてしまった。
弥生前期の村落跡「播磨吉田遺跡」と「枝吉城址」の顕彰碑が城山台地上に建立され、この地の歴史の一ページを記念している。
枝吉城主系譜
初代 越前守 尚行ー二代 周防守 祐実ー三代 右京亮 則行ー四代 修理亮 長行ー五代 左京亮 祐行ー六代 左近助 則実ー七代 高山右近 重友
(現地案内板)
   枝吉城城郭配置図
  黒田官兵衛の母「いわ」は、枝吉城主明石宗和ー長行・正風ともーの娘ー享禄4(1531)年に生まれー黒田家の主君 御着城主小寺政職の養女。
官兵衛の父職隆との間に二男二女をもうけており、官兵衛は長男。
次男兵庫介ー利高ともーは「黒田二十四騎」の一人として、官兵衛や長政を助けていく。
 
 
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   神本神社   枝吉公園     吉田郷土館  
  神本(こうもと)神社ー枝吉城址ー
神戸市西区枝吉4丁目7−2
祭神:伊弉諾命(いざなぎのみこと) 伊弉冊命(いざなみのみこと) 国常立命(くにのとこたちのみこと) 大日霊売命(おおひるめむちのみこと)
例祭日:御湯祭 1月13日  例祭 10月9日・10日
創建は、明石初代藩主 小笠原忠正公時代の元和5年(1619)に、社領田、三反歩が寄進され、元和7年(1621)、明石郡林崎庄吉田村に「神本大明神」として祭祀されたことに始まる。
この鎮守の森の城山は、弥生時代の「吉田遺跡」であり中世から近世への過渡期には枝吉城があり、神社の境内地は城主明石氏の館跡で、周辺には武士や商人がそれぞれ堀を持つ居を構えた由緒ある史跡地である。
(現地案内板より抜粋) 
      吉田郷土館ー枝吉城址ー
TEL078-927-7815
〒651-2133 兵庫県神戸市西区枝吉4−7−1
弥生時代に以前からの起源を持つ神戸市西区吉田地区の歴史をわかりやすく展示した歴史資料館。
                  吉田郷土館ホームページ
 
駐車場:あり 入館者無料
 
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