旅 瀬戸内(たびせと)

       
      志方城跡ー観音寺ー GoogleMap    
             
     
     志方小学校ー志方城二の丸跡ー  
     
    観音寺山門ー志方城跡ー    観音寺境内ー志方城本丸跡ー  
  志方城跡観音寺ー別名:観音寺城・船原城・市易城ー黒田官兵衛ゆかりの地
志方城は市易城とも呼ばれ、城の規模は、現在の当観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲二の丸(志方小学校所在のあたり)西の丸(志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であった。
この城の城主、櫛橋家は、藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣であった。
伊朝より五代の孫櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重ぜられ祖父の例にならって播備作三国の財産出納の役をつとめ文明13年(1481)志方、天神山に城を築き、ついて明応元年(1492)この地に志方城を築いた。
以来伊家、伊定と父子三代88年間続いたが、天正7年8月10日羽柴秀吉の攻略にあって落城した。
     昭和56年3月
          加古川市文化財保護協会
(現地案内板)
寶積山 観音寺ーTEL079-452-2370 兵庫県加古川市志方町志方町720 
宗派:曹洞宗
本尊:観世音菩薩
創建:宝岩宗珍和尚 天正15(1587)年
観音寺は、志方城落城後、志方城落城後、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守る為、本丸跡に禅寺を建てたのが始まり。

黒田官兵衛の妻幸圓ー光(てる)ー出生の地
軍師 黒田官兵衛の妻・光(てる) 幸圓(こうえん)が生まれた志方城の本丸があった場所。
黒田官兵衛は一夫多妻が一般的であった戦国時代、側室を持たず、光(てる)ただ一人を愛したといわれている。
嫡男は後の福岡城主 黒田長政
交通:JR加古川駅またはJR宝殿駅から神姫バス約10分「志方西口」下車
 
     
     
  志方城跡方面パノラマー志方八幡宮よりー   
         
   志方城主櫛橋家累代の墓    観音寺駐車場    志方城跡方面ー志方八幡宮よりー  
         
   志方城三代目城主次女 黒田官兵衛正室 櫛橋幸圓 光姫様    軍師官兵衛と光姫(てるひめ)   観音寺鐘楼   

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