旅 瀬戸内(たびせと)

平安神宮から鹿ヶ谷へ
         
     平安神宮  
       
  此奥 俊寛山荘地 GoogleMap    金戒光明寺   
  平安神宮から、南禅寺、哲学の道にかけての一帯は、祇園、清水寺周辺と並んで京都でも観光客の多いところ。でも、一歩大通りを外れると静かな通りに、広大な邸宅や寺院が建ち並んでいる。
このあたりには、鴨川と白川に挟まれた白河と呼ばれる地域で、平安時代後期、当時の天皇により次々と寺が建てられ、また、院政が行われる御所ともなった。
白河をさらに東山に向かって歩いて行くと、「鹿ヶ谷」と呼ばれる地域となり、琵琶湖疏水の一つである「鹿ヶ谷疏水道」に沿った「哲学の道」があり、この道沿いには、法然上人ゆかりの「法然院」や「安楽寺」、後白河法皇が、熊野権現を勧進して建立した熊野若王子神社などが自然に囲まれて建っている。
「鹿ヶ谷」といえば、平家物語では、俊寛僧都の山荘があった所で、平家打倒の陰謀の場所としても知られている。
鹿ヶ谷の陰謀とは
平家の栄華をこころよく思っていなかった藤原成親が、清盛の嫡男重盛が右大臣から左大臣に昇格し、後任の右大臣に重盛の弟の宗盛がなったのをきっかけに、西光法師、俊寛僧都、平康頼、成親の嫡男成経、多田行綱らと共に「今様を楽しむ会」と称して如意ヶ岳の麓の俊寛僧都の山荘に集まって平家打倒の密議をしたのをいう。
この会には、後白河法皇も顔をのぞかせていたといわれている。
多田行綱の密告により清盛にばれてしまい、西光法師は斬られ、藤原成親は備中に流罪。俊寛僧都、平康頼、藤原成経は鬼界島に流されてしまう。
 
     
       
白川  白河院跡 霊鑑寺
白河院並びに法勝寺
白河院は、もと藤原良房の別荘 白河別業であり、藤原氏北家によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇(1053〜1129)に献上され、承保2年(1075)白河天皇によってこの地に法勝寺が建立された。
安楽寺 法然院 哲学の道
安楽寺
浄土宗の寺院。
建永2年(1207)の法難によって死刑にされた法然上人の弟子の住蓮房、安楽房の二僧を供養するため、室町時代の末、天文年間(1532〜1555)に伽藍を再興したのが安楽寺。
法然院
鎌倉時代の初め、法然上人が弟子の住蓮、安楽とともに、阿弥陀仏を昼夜に6回拝む六時礼讃(ろくじらいさん)を勤めた草庵で、寛永(かんえい)年間(1624〜1644)はとんど廃絶していたが、延宝(えんぽう)8年(1680)に知恩院の第三十八世萬無心阿(ばんむしんあ)上人と弟子の忍澂(にんちょう)和尚が念仏道場として再興した。
若王子神社 岡崎別院 岡崎神社
熊野若王子神社
永歴元年(1160)後白河法皇が、熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
岡崎別院
浄土真宗の開祖・親鸞聖人(1173〜1262)が29歳から35歳と60歳を過ぎてからしばらく居住された草庵跡を由緒としている。
岡崎神社
延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都の際に、王城守護のため平安京の四方に建立された社の一つといわれ、都の東方に鎮座することから東天王と称した。
清和天皇が、貞観(じょうかん)11年(869)に造営し、播磨(はりま)国(現在の兵庫県)広峯から祭神を迎え祀ったといわれる。
京都市動物園 コインパーキング 永観堂
南禅寺 京都市美術館 京都国立近代美術館

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