旅 瀬戸内(たびせと)

妹尾太郎兼康(せのおたろうかねやす)公墓(シリーズ平家物語を歩く旅)GoogleMap
         
       
       
  妹尾太郎兼康公墓     妹尾太郎兼康公墓  
  妹尾太郎兼康公墓
妹尾太郎兼康公(1126〜1183)はこのあたり板倉郷の豪族でした。
高梁川の湛井から水を引き、今も使われている十二郷用水路を改修した人です。
平家物語にも平清盛の信頼を受け平家の侍大将として、寿永2年10月12日、木曽義仲の軍勢と笹迫や板倉城で戦い、討ち死にしたとあり、その後家臣の陶山道勝(すやまみちかつ)は屍を城跡に埋めて供養のため寺を建てました。それが道勝寺で今の鯉山小学校です。
            昭和54年11月  鯉山小学校文化財保護少年団

瀬尾太郎兼康公(1126〜1183)は、備中妹尾の豪族で平氏の家人として数多くの武功をたて、その令名は天下に聞えた武将であったが、農業にも深く意をそそぎ領内においては新田を開発し、寿永元年(1182)には十二箇郷用水の取入口である湛井井堰(総社市湛井)を開発するとともに、用水路の整備をしたとされている。
これにより用水流域の十二箇郷六十八ヶ村(現、三市二村)の人々は殆んど干ばつを知らず、その恩恵を享受してきた。今年開堰八百年にあたり兼康公の徳を称えて、道勝寺墓地にこの碑を建立するものである。
          昭和57年(1982年)  湛井十二箇郷組合(現地案内板より)                                       周辺案内図