旅 瀬戸内(たびせと)

時宗 正覚山 西楽寺 GoogleMap
     
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  時宗 正覚山 西楽寺
下関市指定有形文化財 西楽寺木造阿弥陀如来坐像
像高 83.5センチメートル 指定年月日 昭和60年12月20日 所在地 下関市彦島本村町5−3−1
西楽寺の本尊である阿弥陀如来像は、古くは平重盛の持仏であったと伝えられており、彦島の人々によって大切に守り伝えられてきました。
本像はヒノキの材を用いて、寄木造(よせぎづくり)という技法でつくられています。
この寄木造とは、いくつかの材を組み合わせて本体をつくる仏像制作の技法です。
平安時代に考案され、以後多く用いられました。
丸く張りのある顔立ちや体型、浅めに彫られた繊細な衣の線などの表現から、木像は平安時代の終わりごろから鎌倉時代のはじめにかけてつくられたと考えられます。
後の時代に、一部修理や表面の彩色がほどこされています。
平家一門と彦島の地とのかかわりをうかがわせるものとして、また当時の文化の豊かさを伝えるものとして貴重な仏像です。
                                    下関市教育委員会
(現地案内板)

西楽寺本尊阿弥陀如来縁起
当西楽寺本尊阿弥陀如来は、当彦島に置いては昔から彦島開闢尊像平重盛公護持仏として村民に尊とばれておられました。
此の阿弥陀如来はその昔、第40代天武天皇(675)、仏教に深く帰依をされて一夜春日大明神の神示を受けられ、神示にしたがって賢門子と言へる仏師に命じられて造られた阿弥陀如来と伝へられ、それから500年後、平家全盛の時、平清盛の嫡男平重盛公は日々に募る父清盛の専横に心を痛めて世の無常を観じ紀州熊野権現に参籠、平家滅亡後の平家一門の菩提の為に真の阿弥陀如来を拝せんことを祈誓された所、「奈良東大寺に安置してある天武天皇発願の阿弥陀如来像は、極楽の真の阿弥陀如来也」との霊夢を受けられて、急ぎ京に帰り、第80代高倉天皇(1168)に奏上されて、奈良東大寺より件の阿弥陀如来をゆずり受けて自邸に勧請して、朝夕礼拝供養をされた阿弥陀如来と伝えられて居ります。
平重盛公は父清盛の専横に心労の余り病気になられて其頃西の極楽と呼ばれていた平清盛公の知行地彦島に阿弥陀如来とともに京を西下されて彦島に渡られて阿弥陀如来を彦島に安置して御自分は自分の知行地九州に渡られて九州の地で亡くなられました。
平家壇之浦に滅びて50年、河野一族から一遍(1276)と言へる浄土門の奥義を窮め禅にも達した念仏聖が出られ、念仏平和を日本国内に勧めるべく跣(はだし)で日本迴国を始められ、その途路下関に来られ、彦島の話を聞かれ弟子西楽法師(平忠正の嫡孫)を連れて彦島に渡られ、彦島の人達に其の否を悟らせて、西楽法師を彦島に残して一遍は下関に帰られました。
彦島に残られた西楽法師は島の人達と語らい、重盛公の護持仏阿弥陀如来を本尊に精舎を建てられ、西の極楽と言われた彦島の名を取って西楽と寺号をされました。
     南無阿弥陀佛 西楽寺
(現地案内板)
 

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