旅 瀬戸内(たびせと)

六波羅とその周辺
     
    六波羅裏門通   
     
   西福寺 地蔵堂   六波羅蜜寺  
     
  六波羅とその周辺
六波羅は、当時の五条の橋を渡った鴨川の東岸(現在の松原通)から七条大路にかけての一帯の地名で六原ともいわれる。
天暦5(951)年空也が西光寺を創建し、後に六波羅密寺と改名したことから「六波羅」と呼ばれるようになった。
この付近は、平安時代には、葬送地であった鳥辺野への入口で、現世から六道が存在する来世への通過地点とされ、六道の辻地蔵堂や六道珍皇寺などが建てられ信仰の地として栄えていた。
まず平正盛が一族のための供養堂を建立、その子忠盛が「六波羅館」を置き、清盛の時代になって平氏の拠点となり平家一門の邸宅が軒を連ねるようになった。
平氏の都落ち後、源氏の世になっても六波羅は京都守護、六波羅探題などが置かれ武家の京都における拠点として重要な位置を占めた。
六波羅裏門通、三盛町、門脇町、弓矢町、池殿町、北御門町、西御門町などの通や町名は、平家の館のあった時代を連想させる。
また、六波羅に続く南の法住寺周辺は、後白河院の御所であった広大な「後白河殿」跡であり、法住寺、後白河天皇陵、後白河殿の御堂であった、蓮華王院三十三間堂、新(いま)熊野神社、長講堂(ちょうこうどう)など後白河院ゆかりの史跡が連なっている。
六道とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという6種類の迷いある世界のこと
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道
より詳しくは⇒Wikipedia                                                         六波羅付近案内図
 
       
三盛町  若宮八幡宮 鳥辺野
若宮八幡宮
主祭神:応神天皇−八幡神の主神ーとその父母・仲哀天皇・神功皇后 左の相殿に仲恭天皇、右の相殿に陶祖神の椎根津彦命を合祀。別名:陶器神社。
平安時代の天喜元年(1053)に、後冷泉天皇の勅願により源頼義が六条醒ヶ井−現在の西本願寺の北東辺りーに創建したのが当社の始まりと伝えられ、当初は六條八幡、左女牛八幡とも呼ばれた。
源氏一族や武士からの信仰が厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め、隆盛を極めた。
その後、応仁の乱により荒廃し、社地を転々として慶長10年(1605)に五条坂のほぼ中央に当たる当地に移された。
現在の社殿は承応3年(1654)の再建。

鳥辺野
鳥辺野(とりべの)は、東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)−鳥辺山ーを中心にして西方に広がる山麓一帯を言う。
北は清水寺の南、当山ー實報寺(じっぽうじ)ーを含む辺りから、南は今熊野観音寺の北、一条天皇皇后定子陵のある鳥戸野陵(とりべのりょう)に至る地域を総称している。
平安時代以来の墓所として、北の「蓮台野(れんだいの)」、西の「化野(あだしの)」と共に京都の三大墳墓地を成しており、鳥辺野の北部はもっぱら庶民の墓が多く、南部は皇族や貴族の墳墓地が多いのが特徴になっている。
小松谷 小林寺 清閑寺 新日吉神宮
小林寺
平清盛の嫡男である平重盛の別邸であったところ。場所の名が小松谷であったため重盛は小松谷殿と呼ばれていた。
平家没落後は九条兼実の山荘となり、法然を招いての法談がされまた、兼実が剃髪出家した場所でもある。
清閑寺
創建:延暦21年(801) 真言宗智山派の寺 比叡山の紹継法師(天台宗の僧)による創建 一条天皇の時代(986〜1011)に勅願寺となる。
「平家物語」の悲恋で知られる高倉天皇小督局ゆかりの寺。
平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられている。
天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し、21歳の若さでこの世を去った。
背後の山に、六条天皇と高倉天皇の御陵があり、高倉天皇陵の傍らには、天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。
ここから清水寺までの山路は、かっては歌の中山と呼ばれる名所で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
新日吉神宮
創建:永暦(えいりゃく)元年(1160) 祭神ー後白河法皇・皇居守護神山王七神
後白河法皇がその御所法住寺内に比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したのが始まり。
現在の本殿は、天保6年(1835)の改造で、大きな流造である。
古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は百八度に及んだといわれ、数多くの天皇の遺物、宸筆を蔵している。
法住寺 蓮華王院南大門 蓮華王院三十三間堂
六道珍皇寺 新熊野神社 五条大橋・牛若丸と弁慶
六道珍皇寺
建仁寺の塔頭で「六道さん」として親しまれている。
この付近は、かって死者を鳥辺野へ葬送する際の野辺送りの場所で「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていた。
六道とは、仏教で、すべての生き物が生前の善悪の行いによって必ず行くとされる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種の冥界のことで、本堂の裏にある井戸は、昼は嵯峨天皇、夜は閻魔(えんま)大王に仕えた小野篁が冥途へ通った入口であったという伝説が残されている。

新熊野神社
熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元(1160)年、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。
上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。

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