旅 瀬戸内(たびせと)

 

大輪田の泊とその周辺ー平清盛ゆかりの地ー
       
    古代大輪田泊(おおわだのとまり)の石椋(いわくら)   
     
   清盛塚・清盛像・琵琶塚   薬仙寺(萱の御所)   
       
大輪田の泊は、奈良時代遣唐使船が暴風雨を避けるために寄港していたとの記録もあり、また平安時代の初めに、瀬戸内海の物資輸送や外交航路の整備の一環として整備されてきた。
その後、平安時代の末期になって、平清盛が宋との貿易を拡大するため、人工島の経ヶ島を築き港の整備拡張を行った。
潮流の速いこの海での経ヶ島の造営は困難を極めたが、清盛の侍童で香川の城主、田井民部氏の嫡男松王が自らの申し出でにより人柱となることにより無事完成することとなった。
古代大輪田泊の石椋
この花崗岩の巨石は、昭和27年の新川橋西方の新川運河浚渫工事の際に、重量4トンの巨石20数個と一定間隔で打込まれた松杭とともに発見されたうちの一つ。
当時は平清盛が築いた経ヶ島の遺材ではないかと考えられていたがその後、この石材が発見された場所から北西約250mの所で古代の港湾施設と考えられる奈良時代から平安時代の中頃の大溝と建物の一部が発見された。このことから石材が発見された場所は、当時海中であったと考えられ、出土した石材は、古代大輪田の泊の石椋の石材であったと推定されている。
石椋とは、石を積み上げた防波堤(波消し)や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられている。
薬仙寺(萱の御所跡)
天平18年(746)に行基菩薩が開基。
境内の萱の御所は、福原遷都の際、後白河法皇を幽閉した跡で、牢の御所とも呼ばれている。
       
  清盛橋    真光寺   能福寺(平清盛廟所)  
清盛橋
清盛塚と薬仙寺の間には、新川運河があり清盛橋が架かっている。橋の両サイドには、「平家物語」のレリーフが・・・。
真光寺(築造伝説)
時宗の開祖である一遍上人が、全国を遊行中に亡くなった示寂の場で、境内には廟所がある。
寺の堂の一つに「広池山竜蔵院」があり、大竜の竜骨を納めていたと伝えられている。
経ヶ島築造のとき、住んでいた大池を失い祟りをなしたが、堂を建てて大日如来を祀ったところ解脱昇天したと謂われている。
また福原遷都の際、都の周囲に祀られた七弁天の一つである真野弁天は、この大日堂にあったと謂われている。
能福寺
即ち伝教大師の我が国最初の教化霊場である。
福原遷都の治承4(1180)年平家一門が帰依、七堂伽藍を完備して通称「福原寺」と称した。
平家滅亡後、暦応4年(1341年)震災により全焼、慶長4年(西暦1599年)明智光秀の臣、長盛法印堂宇を再建した。
本朝編年集に曰く「仁安3年(西暦1168年)11月平清盛、能福寺ニ於テ剃髪入道ス、養和元年(西暦1181年)2月4日京西八条ニ於テ薨去、歳64、翌日火葬トシ、圓實法眼全骨を福原ニ持チ来タリ、能福寺ノ東北ニ埋ム。」これは清盛公の遺言によるものである。
築島寺(つきしまでら)−来迎寺 駒林神社 御崎公園駐車場(ホームズスタジアム神戸)
築島寺−来迎寺
正式名称は、経島山来迎寺、地元では築島寺と呼ばれている。
平清盛がこの地に港を築くにあたって、龍神の怒りとされた難工事を完成するため、人柱として捕らえた旅人の身代わりに、清盛の侍童で香川の城主、田井民部氏の嫡男松王十七歳が申し出、難工事が無事完成した。
これに感動した二条天皇が、その勅命により、松王の菩提を弔うために建立されたとされている。
笠松商店街 本町公園

 

Home 兵庫県瀬戸内沿岸地域・諸島の旅へ 平家物語(源平)ゆかりの地を歩くへ 福原京と源平一の谷合戦古戦場へ 大輪田の泊とその周辺へ