旅 瀬戸内(たびせと)

大久野島の旅(広島県) GoogleMap
大久野島
大久野島は、周囲約3.3kmの島で、1900年以来旧陸軍の要塞として、また毒ガス製造の島として、一般の人々の入島は禁じられていた。
戦後しばらくして、国民休暇村の一つとして生まれ変わり、1963年に再び開放さた。 

大久野島の戦争遺跡について
大久野島は、日清・日露戦争の勃発という緊張した時代背景の中、1902年に芸予要塞大久野島保塁が設置され、22門の大砲が置かた。(芸予要塞時代)
また、第二次世界大戦時には、毒ガス工場が建設され毒ガス兵器を製造していた。(陸軍工廠・毒ガス製造工場時代)
島内には、芸予要塞時代の砲台関連施設や陸軍工廠、毒ガス製造工場時代の発電所や毒ガス貯蔵庫などの当時を偲ばせる貴重な戦争遺跡が残されている。
(現地案内板より)
                                                                                            大久野島案内図
 
       
   大久野島灯台    大久野島海水浴場   展望園地  
  展望園地
海水浴場のそばにある自然学習歩道を登った所にある展望園地からは、大三島を始めとする瀬戸内の島々とその間を行き交う船舶を眺めることができる。
展望園地は、風雨に風化・浸食されてできた緩やかな花こう岩の傾斜地に、低い松の木が生えてできたもので、背後の瀬戸内海との調和が美しい。
 
     
  大三島(大久野島展望園地より)  ビジターセンター    毒ガス資料館  
  大久野島ビジターセンター
瀬戸内海や大久野島の自然や歴史を知ることができる資料、情報を展示。

毒ガス資料館
大久野島には、日本陸軍の毒ガス工場が昭和4年に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊された。この工場では、各種の毒ガスや風船爆弾が製造されたが、特にイペリットの生産に重点が置かれた。
ここ毒ガス資料館には、二度と悲惨な歴史を繰り返さないよう、残された僅かな資料により、当時の島内地図、毒ガス製造の装置、器具や防毒マスクを展示、また、毒ガス被害の悲惨さを訴えている。
 
  キャンプ場  休暇村大久野島 大久野島神社と慰霊碑  
休暇村大久野島
島全体が休暇村になっており、宿泊施設周辺には、南の島を思わせる芝生広場やグラウンドゴルフ場、テニスコート、プールなどが広がり建物内には、天然ラドン温泉の大浴場、レストラン、大広間、会議室、客室(和室63室、洋室2室)、売店などが設置されている。
発電場跡 大久野島遠景 大久野島第2桟橋
  多々羅大橋 安芸幸崎方面 忠海港  
忠海港
忠海港からは、大三島 大久野島大三島フェリーが連絡している。
忠海では、戦国時代、小早川隆景の武将、乃美宗勝(浦宗勝)が、瀬戸内海航路の要衝である賀儀城に居城を構え、村上水軍とともに瀬戸内海を制圧していた。
その後も、明治、大正、昭和、平成と大久野島、大三島など瀬戸内海の島々への基地港として重要な役割を果たしてきている。
忠海港の後ろには、瀬戸内の島々を一望にすることのできる黒滝山がある。
                瀬戸内しまのわ」博覧会ホームページ

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