旅 瀬戸内(たびせと)    亀山城跡ー別名 沼城ー GoogleMap    
   
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    亀山城 西ノ丸跡  
     
  亀山城跡     亀山城 モニュメント  
  亀山城跡ー別名 沼城ー
城の本丸、二の丸のあった弁天山の形が亀に似ているところから亀山城と名づけられた。沼城ともいう。
亀山城は、永禄2年(1559年)宇喜多直家が、浦上宗景よりこの城を賜り新庄山城跡より移り天正元年(1573年)岡山城に移るまで14年間在城した。
宇喜多直家は、黒田官兵衛の調略により、天正6(1578)年5月頃には毛利方から織田方への内応の覚悟を固め、天正7(1579)年秋には、織田方に寝返り、天正9(1581)年2月14日に「尻はす」という出血を伴う腫瘍により亡くなっている(直家の死は翌年まで隠され、天正10(1582)年1月9日が表向きのな忌日)。
天正10(1582)年の備中高松城攻めの際は、宇喜多勢は直家の弟忠家を大将に羽柴秀吉に加勢しており、「新訳 備前軍記」、柴田一編著などでは、羽柴秀吉は、備中高松城に向かう時、また「中国大返し」で明智光秀攻めに向かう時もこの亀山城(沼城)ーこの頃は岡山城の支城ーで1泊したことになっている。ー「中国大返し」の時は吉井川の氾濫で6月8日朝まで足止め(2泊)との説もー
明智光秀攻めについて黒田官兵衛との軍議もここで行われたのであろうか?
参考資料ー「黒田如水」小和田哲男著 ミネルヴァ書房発行、「新釈備前軍記」柴田一編著 山陽新聞社発行
 
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  亀山城 本丸 宗形神社 拝殿 宗形神社 本殿  
  本丸跡には、宇喜多直家、秀家について物語風の案内板が・・・・。      
   
  本丸への登り口(宗形神社参道) 参道 二の丸跡  
  宗形神社は別名弁才天様と呼ばれ様々な願い事が成就されます。
交通安全、病気平癒、入学祈願、良縁は勿論、弁才天にちなんで美女願望、安産祈願は特に有名であります。
絵馬祈願については、500円以上の奉納を希望します。宗形神社(現地案内版)
赦免花伝説
関ヶ原の戦いに敗れ八丈島へ流された秀家公の菩提寺宗福寺に二株の蘇鉄がある。
この蘇鉄の花が咲いた時、なぜか赦免があったと言われている。
文政年間に69人天保年間に41人、弘化年間に64人、嘉永年間に24人の流人が赦免されたが、宇喜多一族には何の沙汰もなく、明治になって罪が許されたのであった。
平成9年3月 上道地区地域振興事業実行委員会 史跡部会
(現地案内板)    
 
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