旅 瀬戸内(たびせと)    中津の旅ー黒田官兵衛ゆかりの地ー    
   
   
   中津市  中津城    城下町 中津  
  中津市 中津市役所 TEL0979-22-1111 
〒871-0058 大分県中津市豊田町14−3
ー中津城・城下町中津・耶馬溪ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
中津の城下町としての歴史は、黒田官兵衛が天正15(1587)年に豊臣秀吉から豊前六郡ー築城・仲津・京都・上毛・下毛・宇佐ーの16万石と馬ヶ岳城を与えられ、山国川河口部に中津城を築城したところから始まる。
黒田氏に続く藩主細川忠興が本格的に城下町の整備を始め、江戸時代寛文年間(1661〜1672年)藩主小笠原氏の時代には城下町としての体裁をほぼ完成している。
町割りは統一され、町屋を武家屋敷と、12ヶ寺に及ぶ寺院が並んだ寺町で囲んでいた。
現在の中津市は、中津藩時代の仲津・下毛を中心とした地域から成っており、城下町の名残を残す市街地と、そこから山国川上流部にそって広がる平野部、そして、青の洞門、羅漢寺附近から上流の景勝地 耶馬溪のある渓谷部に広がっている。
中津城
豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛孝高が、天正15(1587)年九州平定の論功行賞として豊前国六郡を与えられ、山国川(やまくにがわ)の河口デルタである中津の地を選び、翌年築城を始めたのが中津城の始まり。
 
  中津 城下町
黒田官兵衛が天正15(1587)年、豊臣秀吉より豊前国六郡を与えられこの地に本格的な城を築いたのが城下町としての始まりで、江戸時代寛文年間(1661〜1672年)、藩主 小笠原氏の時代には城下町としての体裁をほぼ完成している。
町割りは統一され、町屋を武家屋敷と、12ヶ寺に及ぶ寺院が並んだ寺町で囲んでいた。
 
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   耶馬溪    後藤又兵衛の墓    長岩城跡  
  名勝 耶馬溪 大正12(1923)年指定(指定地域の及ぶ市町ー中津市・日田市・宇佐市・玖珠町・九重町)
耶馬溪は、大分県中津市を流れる山国川の上中流とその支流の渓谷全体を指して呼ばれている。
火山活動による凝灰岩、凝灰角礫岩、熔岩などから成る台地が、侵食・風食作用によってできた奇岩・断崖・峡谷とそこに生えた木々で織りなす渓谷美は訪れる私たちを魅了する。
  後藤又兵衛基次の墓
戦国の武将後藤又兵衛は、永禄3(1560)年播州で生まれ、自刃した父の遺言により、幼少時から黒田官兵衛に仕え、後黒田二十四騎の一人として官兵衛に忠義を尽くす。
しかし、長政と不仲になり、黒田家を出奔し浮浪、大阪の陣が起こると豊臣方に付き道明寺河原で討死したと伝えられている。
一説では、夏の陣敗戦後、放浪の旅で西下、かって住んでいた耶馬溪伊福の里へ落ちのび隠棲の中で豊臣家再興を期していたが豊臣家廃嫡を知り自刃したとも伝えられている。
  長岩城跡
問い合わせ先TEL中津市耶馬溪支所 地域・観光振興係0979-54-3111 
所在地 耶馬溪町大字川原口
豊前の国の守護宇都宮信房が弟重房に下毛野仲郷を分与、重房は姓を野仲と改め建久9(1198)年に長岩城を創築した。
以後22代、390年間、野仲氏の居城となった。
全盛時代の所領支配は、宇佐郡、下毛郡の一部にまで拡大したが、天正16年(1588年)後藤又兵衛を先陣とする黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となる。
戦国時代の山城としては、九州における最大規模のもの。
 
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