旅 瀬戸内(たびせと)    城下町中津ー黒田官兵衛ゆかりの地ー    
   
 
   城下町中津  寺町ー中津市ー 赤壁 合元寺   
  城下町中津ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
中津の城下町としての歴史は、黒田官兵衛が天正15(1587)年に豊臣秀吉から豊前六郡ー築城・仲津・京都・上毛・下毛・宇佐ーの16万石と馬ヶ岳城を与えられ、山国川河口部に中津城を築城したところから始まる。
黒田氏に続き藩主細川忠興が本格的に城下町の整備を始め、江戸時代寛文年間(1661〜1672年)藩主小笠原氏の時代には城下町としての体裁をほぼ完成している。
享保2(1717)年には、奥平氏が入封し約150年で明治維新を迎えることになる。
町割りは統一され、町屋を武家屋敷と、12ヶ寺に及ぶ寺院が並んだ寺町で囲んでいた。
寺町ー中津市ー
中津城総曲輪(そうくるわ)内の東側に在って島田口と蛎瀬の中程に城下防衛を目的に造られた町。
ここ、「寺町」には黒田入封以前からの地蔵院、安随寺(あんずいじ)と黒田藩時代に開基の合元寺(ごうがんじ)や大法寺・円応寺・西蓮寺、細川藩時代の普門院・宝蓮坊・本伝寺、小笠原藩時代の円竜寺・浄安寺、そして奥平藩時代の松厳寺の計12ヶ寺がある。
(現地案内板 中津ロータリークラブ提供)
また、この寺町付近には他にも、東林寺・永照寺・寿福寺・善教寺・明蓮寺なども配置されている。
   
智光山 合元寺 TEL0979-22-2037 
〒871-0075 大分県中津市寺町971
開創:天正15(1587)年
開山:空誉上人
開基:空誉上人
宗派:浄土宗 西山派
黒田氏は、中津城内で宇都宮鎮房を誘殺すると共に合元寺に待機していた家臣達も殺してしまう。
その時の戦で浸みこんだ家臣たちの血が、壁を何度塗り替えても染み出てくることから、壁を赤く塗ってしまい、以後赤壁寺と言われるようになった。
寺宝
慈母観音像・浄土曼荼羅・涅槃図の軸など
 
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   寶池山 西蓮寺  円応寺(通称 河童寺)   眞浄山 大法寺   
  寶池山(ほうちざん) 西蓮寺(さいれんじ)  TEL0979-22-2177 中津市寺町998
開創:天正16(1588)年
開山:光心師 
開基:光心師 
宗派:浄土真宗
黒田官兵衛の末弟光心師が開山し、以来420年以上の長きに亘り、現20代住職までこの地で法灯を伝えている。
寺宝:大鷲図・壽老人と鶴図・襖絵など
鏡智山 円応寺(えんのうじ)ー通称 河童寺ー
TEL0979-22-3509
〒871-0075 大分県中津市寺町961−2
開創:天正15年(1587)
開基:黒田如水(官兵衛)
開山:真誉上人
黒田氏、細川氏、小笠原氏「など歴代の藩主に大切にされた寺であり、また、河童の由来の寺としてもよく知られている。
境内には、河童の墓、河童の池がある。
寺宝
阿弥陀如来像・法然上人像など
  眞浄山 大法寺(だいほうじ) TEL0979-22-3228 
中津市寺町966
開創:文禄3年(1594) 
開山:大法院日周上人 
開基:真浄院日証 
宗派:日蓮宗・一致派
庭内に加藤清正公を祀る浄池宮(じょうちぐう)、婦人病平癒に功徳ある神様として伝えられる秋山堂(しゅうざんどう)が建立されている。
又、大石良雄奉納と伝う二基の石灯籠、由井正雪(ゆいしょうせつ)が植えたと伝えられる塩釜桜(しおがまざくら)の大樹があり、一名正雪桜(しょうせつざくら)とも言い伝えられている。
寺宝
鬼子母尊神・秋山自雲霊神・石灯籠など
 
       
   岡谷山 円龍寺    獅子吼山 安随寺    獅子吼山 寶蓮坊  
  岡谷山 円龍寺(えんりゅうじ) TEL0979-22-2045
中津市寺町991
開創:寛永9年(1632)
開山:専誉上人
開基:小笠原長次
宗派:浄土宗 鎮西派
閻魔(えんま)さまのお寺として知られている。
この閻魔さまは、檀家の武士が、旅先で閻魔大王へのざんげと信仰によって仏道に帰依したため、当初山国川河畔に建立されたが後にここ円龍寺に移され、現在も信仰を集めている。
寺宝
阿弥陀如来像・地獄極楽図など
 
  獅子吼山 安随寺(あんずいじ) 
TEL0979-22-5550 
中津市寺町981
開創:弘治元(1555)年、
開山:安随、
宗派:浄土真宗 大谷派
長尾輝虎(後の上杉謙信)との戦いに敗れた長尾晴景の菩提を弔うため家臣の安随が開山する。
黒田官兵衛が中津城を築城するよりも前に建てられた寺で、寺町に現存する寺の中では最も古い寺。
もとは禅宗で「安随院」と名乗り、現在「寶蓮坊」のある所に建てられていたが、後に浄土真宗に改宗して「安随寺」となった。
寺宝:阿弥陀如来像
 
  獅子吼山 寶蓮坊(ほうれんぼう) 
TEL0979-22-4324 
中津市寺町980
開創:慶長5(1600)年、
開山:村上良慶、
開基:細川忠興、
宗派:浄土真宗 大谷派
由来
慶長5(1600)年、細川忠興が中津城に入封の際、名僧の誉れ高かった行橋浄喜寺の村上良慶を伴って、中津浄喜寺を開基させた。
これが後、寶蓮坊と改称されたものである。
寺宝
聖徳太子像・鐘楼門・太子門など
 
       
   萬年山 松巌寺   慈眼山 普門院     正壽庵 浄安寺  
  萬年山 松巌寺(しょうがんじ) 
TEL0979-22-9036 
中津市寺町974
開創:延宝6(1678)年
、開山:伽山良茂和尚、
開基:奥平昌章、
宗派:臨済宗 妙心寺派
奥平家6代目、奥平昌章が実父 五島淡路守盛勝の菩提を弔うため、延宝6(1678)年、宇都宮市に建立。
享保2(1717)年、中津への転封に伴い中津に移転、享保19(1734)年、中津大火により焼失、文政11(1828)年に現在の本堂を再建、昭和63(1988)年に大改修を行っている。
  慈眼山 普門院(ふもんいん) 九州八十八ヶ所霊場 第19番目 TEL0979-22-1851 中津市寺町978
宗派:真言宗 高野山派
本尊:如意輪観世音菩薩
普門院は中津城内に建立されたのが始まりでその後この地に移されて来たのではないかと言われている。
本堂は元禄時代の建築。
星まつり:毎年2月5日11:00〜と18:00〜の二回
寺宝
如意輪観世音菩薩
  正壽庵 浄安寺(じょうあんじ) 
TEL0979-22-2753 
中津市寺町995
開創:寛永7(1640)年、
開山:本誉上人
、開基:小笠原伯耆守政直、
宗派:浄土宗 鎮西派
浄安寺は、寛永17(1630)年小笠原長継の菩提を弔うため、長男の小笠原政直が建立したと伝えられている。
正徳5(1715)年9月、本堂と鐘楼が焼失。
現在の本堂は文化8(1811)年、舟町の豪商 井筒屋勘之助高通の寄進により、再建されたもの。
   中津市教育委員会
 
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   本流山 本傳寺    地蔵院   医王山 東林寺   
  本流山 本傳寺(ほんでんじ) 
TEL0979-22-4040 
中津市寺町970
名称:本流山 本傳寺 
開創:康永2(1343)年、
開基:本住院日住、
宗派:法華宗(本門流)、
本尊:十界勧請大曼荼羅
開山当初は、天台法華宗であったが、慶長10(1605)年、本住院日住(ほんじゅいんにちじゅ)が住職の時に法華宗に改宗。
本堂は、文化3(1806)年に再建。
中津の食文化に影響を与えた田信(でんしん)の墓所がある。
田信(でんしん):
本名は、田中信平。江戸時代後期の医者で頼山陽など当時一流と言われる文化人と交流し、当時の化成文化ー文化・文政期(1804〜1829年)を中心とする江戸時代後期に発展した町人文化ーの一翼を担った人物。
医学・書・画・料理と多彩な才能を発揮し、わが国最初の中華料理書「卓子式(しっぽくしき)」を出版。
      医王山 東林寺(とうりんじ)
TEL0979-23-2681 
中津市鷹匠町911
開創:承久元(1219)年、
開山:聖一国師、
宗派:臨済宗 妙心寺派
本尊:薬師瑠璃光如来
中津最古の寺院であったが、大友の兵火で七堂伽藍を焼失。
享保2(1717)年奥平公の入城と共に、秀岩大禅師により再興。
境内には天満社があったため菅原道真の画像や縁起の軸物が残っている。
儒学者土居震発、蘭医村上玄水・田長、国学者荒巻信濃守など先覚偉人の墓が多い。
流浪の俳人山頭火の句碑が建っている。
寺宝
薬師瑠璃光如来像・不動明王画像・涅槃像など
       
 
      参考資料「寺町散策のススメ」 中津市観光課0979-22-1111 中津耶馬溪観光協会0979-64-6565 中津耶馬溪観光協会中津支部0979-22-3060 中津耶馬溪観光案内所097923-4511  
       
  豊後町     朱華(Shuka)    仲間町  
  豊後町ー城下町中津ー
中津城東側にあって中津城下初期の町屋十四町の内の一町、豊後の大友義統(よしむね)が配流され家臣が浪人し、この町に集って来たので「豊後町」と云われている。
(現地案内板 中津中央ロータリークラブ提供))
  美味創匠 朱華(Shuka) 
TEL0979-22-3239 
〒871-0068 大分県中津市豊後町876
和風創作フレンチを大正時代の家屋で・・・・。
定休日:月曜日
  仲間町(ちゅうげんまち)ー城下町中津ー
中津城東南側鷹匠町の北側にある下級藩士の組屋敷町、「下辺(しもへん)」と云われていたこの地域には中津藩の役職名と同じ町名が多い。
「仲間町」はその一つ。
(現地案内板ー中津中央ロータリークラブ提供ー) 
 
     
  中津市歴史民俗資料館   大江医家史料館   村上医家資料館  
  中津市歴史民俗資料館 TEL0979-23-8615 
〒871-0055 大分県中津市殿町1385
中津市歴史民俗資料館の地は、慶応義塾で福沢諭吉に次いで尊敬を集めた、小幡篤次郎の生誕地で、民俗資料、黒田藩政時代の中津城からの出土遺物、中津城の絵図なども展示されている。
開館時間:9:00〜17:00
休館日:第4水曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月3日
  大江医家史料館ー中津市歴史民俗資料館分館ー TEL0979-22-0049 
〒871-0066 大分県中津市鷹匠町906
大江医家資料館には「解体新書」などの蘭学関係の資料や長崎のオランダ通司により翻訳された解剖書の図版「和蘭全躯内外合図(オランダぜんくないがいぶんごうず)など医学をはじめとする様々な資料が展示されている。
薬草園を併設
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週火曜日(ただし、祝祭日の場合は翌日)、
12月28日〜1月3日
観覧料:一般ー210円(団体30人以上120円)、
大学、高校生100円(団体30人以上60円)、
中学生以下 無料、
薬草園 無料
2館共通観覧料:(村上医家史料館と大江医家史料館を同日に観覧する場合は、割引の共通券あり)
一般ー300円(団体30人以上200円)、
大学・高校生150円(団体30人以上100円)
  村上医家資料館ー中津歴史民俗資料館分館ー TEL0979-23-5120 
〒871-0049 大分県中津市諸町1780
村上医家は、初代宗伯が寛永17(1640)年諸町に医院を開業以来、現在に至るまで医家として継続している。
7代目玄水が行った人体解剖図の資料や、数千点におよぶ医学関係やその他の資料がの残されている。
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週火曜日(ただし、祝祭日の場合は翌日)、12月28日〜1月3日
拝観料:一般210円(団体30人以上120円)、大学・高校生100円(団体30人以上60円)、中学生以下無料
駐車場:中津市歴史民俗資料館を利用


 
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   福沢諭吉旧居・記念館    自性寺(じしょうじ)    日の出町商店街  
  福沢諭吉旧居・記念館 TEL0979-25-0063 
〒871-0088 大分県中津市留守居町586
慶應義塾大学を創設した福沢諭吉の旧居。
諭吉は大坂中津藩蔵屋敷で生まれたが、1歳6ヶ月の時父が急死したため、天保7(1836)年の秋に、母子6人でここ中津に帰ってきた。
最初に住んでいた家は、残っていないが、現在残されている旧宅は、後年に移り住んだもの。
開館時間:8:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月31日
入館料金:高校生以上ー個人400円 団体(20名以上)300円、中学生以下200円 団体(20名以上)150円
  自性寺(じしょうじ)ー大雅堂ー 
TEL0979-22-4317 
〒871-0048 大分県中津市新魚町1903
奥平藩歴代の菩提寺。
藩祖、奥平信昌公が三河新城の時、金剛山万松寺として創建。
その後、藩の転封に従いいく度か移転し、6代藩主奥平昌成公の時、享保2(1717)年、中津に転封する。
延享2(1745)年自性寺と改称する。
宝暦14(1764)年、12世提洲和尚が、住職として赴任の途中、京より、池大雅夫妻を伴い自性寺に来る。
池大雅は、この地で画業に専念し、安永7(1778)描かれた書画を書院の襖に貼る。
10代藩主昌高公が「大雅堂」と染筆、扁額を掲げて、この書院を「大雅堂」と呼ぶようになった。

開館時間:9:00〜17:00
休館日:年中無休
大雅堂観覧料:高校生以上500円(団体15人以上400円)、
中学生以下300円(団体15人以上250円)
  日の出町商店街
JR中津駅北口を出て左側ー西方向ーにあり、JR日豊線に沿って伸びる、アーケードのある商店街。
かっては、中津市の中心商店街として賑わったと思われるが、他の地方都市と同じく、郊外への大型商業施設の出店の影響で、人通りも少なくなっている様子。
でも、昭和時代の中津の町を知るには是非歩いてみたい所。
 
       
   JR中津駅    お囲山(おかこいやま)   広津口跡   
  JR中津駅 TEL0979-22-5361 TEL0979-22-5243 
〒871-0033 大分県中津市大字島田219−2
JR九州中津駅ホームページ
  お囲山(おかこいやま)
中津城の外堀と内堀の城内側に設けた土塁で、堀を掘った土を盛って城下の守りをより強化するために築かれた。
黒田時代に始まり、細川時代に完成したと考えられている。
現在も、 ここ自性寺周辺の他、三ノ丁・金谷口・鷹匠町など数ヶ所に残っている。
  広津口跡ー中津城下ー
中津城下の西側にある城戸口(二ヶ所)の一つで、中津城の南側に位置する殿町と新魚町の間に在る諸町(一部武家屋敷のある町屋)の西端に位置する。
広津口の郭内(おかこいの内側)には、非常時の対応に即して、仮設の陣営を築くために用意された自性寺と祥雲寺(跡)がある。
 
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   外馬場跡    中津カトリック教会   中津城下 武家屋敷跡  
  外馬場跡ー中津城ー
中津城総曲輪(そうくるわ)の西側にある山国川東岸の河原に鉄砲矢場・兵式調練場・外馬場が設置される。
奥平藩時代にこの場内の道路両側に町屋が建てられ全体を「外馬場」と呼んだ。
その後、小犬丸渡船場より小倉口・広津口・金谷口から島田口へ至る旅人の通行道路となった。
町内には山国川渡船場跡・小倉口・広津口がある。
(現地案内板 中津中央ロータリークラブ提供)
  中津カトリック教会 TEL0979-22-2259
日曜ミサ
第一ミサ 6:30〜 第二ミサ 9:00〜
黒田官兵衛もキリスト教を信じていた。
その影響かどうか、中津には、キリスト教の教会が多い。
  中津城下 武家屋敷跡
この付近は、細川家が藩主であった時代に造られた「三の丸跡」で、城代家老や上級武士の屋敷があった所。
明治3(1870)年の中津城廃城により「三の丁」と呼ばれるようになった。
中津市立小幡記念図書館の駐車場もある。
 
       
   三の丁駐車場    蓬莱園    生田門  
  三の丁駐車場
ー中津市立小幡記念図書館・観光客用駐車場ー
利用時間:10:00〜18:00
(日曜日は17:00まで)
休日:毎週火曜日の定期休館日、
図書館カレンダーによる休館日
  蓬莱園 TEL0979-22-0538 
〒871-0057 大分県中津市三ノ丁1280
蓬莱園は、明治15年に建築され、蓬莱観と呼ばれた劇場跡に造られた日本庭園。
春は桜、秋は紅葉を求めて多くの観光客が訪れる。中でも楊貴妃という江戸彼岸桜は訪問者を魅了している。
庭園の中には、ギャラリー茶輪・蓬莱観があり、ピアノや引き戸が往時を偲ばせている。
利用可能時間:10:00〜18:00
定休日:毎週火曜日・水曜日、年末(但し、桜の開花時期、ゴールデンウイーク、1月1日〜3日)は定休日であっても開園)
入園料:無料
ギャラリー茶輪・蓬莱観:ビーフカレー・抹茶セットなど
交通:宇佐ICから車約35分、JR中津駅から徒歩約15分
駐車場:専用駐車場は無し(但し、近くに中津城の駐車場があり)
  生田門と中津市学校
この「生田門」はもともと中津藩家老「生田家」の門で、藩政時代の貴重な建築物。
明治以降は「中津市学校」を始め色々な学校の門として変遷を重ね明治43(1910)年4月1日、南部小学校が開校し、以降(いこう)生田門は同小学校の校門として長く利用され親しまれて来た。
       
   中津市立小幡記念図書館    御水道ー中津水道ー    十割手打ちそば 花ごろも  
  中津市立小幡記念図書館 TEL0979-22-0679 
〒871-0056 大分県中津市方端1366−1
慶應義塾2代目塾長を務めた小幡篤次郎の遺言により、生誕地、殿町(現在の歴史民俗資料館)の土地・家屋・蔵書が寄贈され明治42(1909)年「中津図書館」として開館したのが始まり。
明治45(1912)年「小幡記念図書館」と改称、昭和22(1947)年に中津市に移管中津市立小幡記念図書館となる。
平成5(1993)現在地に新築移転
  御水道ー中津水道ー
中津城下が、海岸近くにあり水質が良くなかった為、細川藩主時代に引かれた上水道。
昭和4(1929)年頃まで使用された。
 
  十割手打ちそば 花ごろも 
TEL0979-24-1487 
〒871-0058 大分県中津市豊田町3−8−10
営業時間:昼11:00〜14:30 
夜17:30〜21:00(ラストオーダー20:30)
定休日:日曜日
  
 
       
  諸町    むろや醤油   上勢溜   
  諸町(もろまち)ー中津市ー
中津城下町初期(細川藩時代)の町屋十四町の一町、中津城の南側、穀町と新魚町との間に位置するこの町の西側には武家屋敷があったが、大半は諸々(種々)の職業人が居住していたことから「諸町」と呼ばれるようになった。
町内には広津口(城下の城戸口)、諸町蛭子宮・むろや・村上医家史料館などがある。
(現地案内板ー中津中央ロータリークラブ提供ー) 
  むろや醤油ー中津・諸町ー
TEL0979-22-0207 
〒871-0049 大分県中津市諸町1830
江戸時代から三百年続き、御用商人として中津藩藩主 奥平公に醤油を献上してきた、手造り醤油の醸造元。
          むろや醤油ホームページ  
  上勢溜(かみせいだまる)ー城下町中津ー
勢溜の名は城下町の町割りの中ではなくてはならぬ要所である。
島田口を関所にしてここ上勢溜は、京町、博多町、諸町、新魚町などに接した民衆の避難所であり、戦いや災害時には人々を救うための大切な広場であった。
明治以降、上博多町(出小屋)、江三竹町(えみたけまち)などが新設され、上勢溜は益々商業発展に活かされた。
(現地案内板)  
 
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   中津・耶馬溪観光案内所ー中津駅構内ー    魚町の蛭子宮    新掘町  
  中津・耶馬溪観光案内所ー中津駅構内ーTEL0979-23-4511
城下町・史跡めぐり自転車貸出(無料)
利用可能時間:9:00〜13:00、14:00〜17:00
  魚町の蛭子宮(おいべっさん)
魚町の蛭子宮は、江戸時代に若松港の蛭子宮の御分霊を勧請したのがはじまり。
商売繁盛・家内安全の神として魚町を始め、魚の辻・中津城周辺の人々に厚く信仰されてきた。
明治・大正時代には祭りも盛大で大いににぎわった。
寺町散策コースの出発点ともなっている。
祭典ー12月3日
(現地案内板参考) 
  新掘町ー城下町中津ー
かって概称(がいしょう)で「下辺しもへん)」ー武士組屋敷ーと呼ばれていたところにある新掘町は、小笠原藩時代には鉄砲町であったが、奥平藩時代の町筋改造により「堀川町」の対称の呼び名で「新堀川町」となり「川」を省いて「新掘町」と呼ばれるようになった。
(現地案内板ー中津中央ロータリークラブー) 
 
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