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中津城ー黒田官兵衛ゆかりの地ーGoogleMap | |||||
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中津城 天守閣 | 中津城 天守閣 | 黒田本丸の石垣と細川時代の石垣 | ||||
中津城 TEL0979-22-3651 〒871-0050 大分県中津市二ノ丁本丸 豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛孝高が、天正15(1587)年九州平定の論功行賞として豊前国六郡を与えられ、山国川(やまくにがわ)の河口デルタである中津の地を選び、翌年築城を始めたのが中津城の始まり。 |
そして、黒田氏13年間、細川氏32年間、小笠原氏85年間、奥平氏154年間と続くこととなる。 現在、天守閣の内部には、「奥平家歴史資料館」として、旧中津藩主奥平家歴代当主の武具など貴重な資料が展示公開されている。中津城とその周辺案内図 |
黒田本丸の石垣と細川時代の石垣 右側の石垣は、黒田孝高(よしたか)−如水(じょすい)ー時代の石垣で、左側の石垣は、細川忠興)ただおき)−三斎(さんさい)ー時代のもので、忠興自慢の石垣である。 両時代の石垣とも花崗岩が多く使われている。 |
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中津城 天守閣 | 奥平神社 | 中津大神宮 | ||||
中津城 TEL0979-22-3651 〒871-0050 大分県中津市二ノ丁本丸 入館料:大人個人400円、高校生個人200円、 小中学生個人150円 開館時間:9:00〜17:00 休館日:無休 |
奥平神社 中津藩主、奥平氏の中興の祖、奥平貞能・信昌・家昌の三公を祀った神社。 ご祭神の貞能・信昌・家昌公三公は永禄3年(1561年)より元亀・天正・文禄を経て慶長19年(1619年)に至る58年間、幾多の戦功をたて徳川氏に忠節を尽くしてきた。 特に、奥平二代目の信昌公は関が原の合戦後、初代京都所司代として綱紀を振るい凶賊から庶民を護った。 |
中津大神宮 TEL0979-22-0523 〒871-0050 大分県中津市二ノ丁1273−1 明治14(1881)年、伊勢皇大神宮の御分霊を祀り創建。 拝殿の天井には創建当時の崇敬者の手による天井絵216枚が奉納されている。 |
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城井神社 | 扇城神社 | 金毘羅宮 | ||||
城井神社 天正16(1588)年、豊臣秀吉と黒田孝高に忙殺された宇都宮鎮房を祀る神社。 |
扇城神社 城井神社境内末社の扇城神社には鎮房の従臣を祀っている。 |
金毘羅宮 海上交通の守り神として信仰されている。 |
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鉄御門跡 | 中津神社 | 三斎池 | ||||
中津神社 新魚町の六所宮、諸町の恵比寿社などを合祀し、明治16年(1883)に中津城内下段の松の御殿跡に創建された。 |
三斎池(さんさいいけ)ー中津城跡ー 元和6年(1620)、小倉城を治めていた細川忠興が家督を忠利に譲り三斎と号し隠居、翌元和7年(1621)中津城に移り、中津城やその城下町の整理を行った。 この時、城内の用水不足を補うため、城内への水道工事を行ったが、その水をたたえたのがこの池で、忠興の号”三斎”の名を冠して「三斎池」呼ばれている。 |
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中津城 本丸跡 | 椎木御門 | 扇型石垣の一部 | ||||
中津城 本丸跡 中津城「本丸」は、奥平藩の時代、上の段と下の段があり、上の段には、藩主殿舎、下の段には、藩政殿、能舞台、松の御殿などがあった。 現在、上の段には、天守閣、奥平神社、大神宮、城井神社などがあり、下の段には中津神社と駐車場がある。 |
扇型の石垣ー中津城ー 椎木御門の内側に扇型に弧を描く石垣があったことが幕末の絵図からわかる。 この石垣はその一部。 |
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黒御門跡 | 大手門跡 | 中津城の石垣 | ||||
黒御門跡 かって長福寺のあった黒御門の内部付近は、現在は裁判所になっている。 |
大手門跡ー中津城ー 中津城の大手門は、中津城の外堀より三の丸に入ると、前方と左右の三方を大石で囲んだ奥行き約13間(23米)、巾約3.3間(6米)の「桝形」となっており、面積約43坪(138平米)。 騎馬武者であれば約30騎(供武者60人を含む)、徒士武者であれば約250人が収容できる。 桝形の前方右側には黒田如水によって滅ぼされた犬丸城の古材木を使って造られたといわれる「矢倉門」型の大手門があった。 中津市立南部小学校の入り口付近に石垣が残っている。 |
中津城の石垣 中津城は、九州でも最古の黒田時代の石垣が残っている唯一の城。 未加工の自然石を使用し、石垣建築では最も高度な、安土桃山時代の技法で、穴太衆と呼ばれる石垣造りを得意とする集団によって造られている。 |
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武家屋敷跡 | 高輪地蔵 | 中津城本丸 三斎池横 | ||||
武家屋敷跡 二の丸公園に、江戸時代から続く藁葺きの武家屋敷が建っており、持主から建物の寄付を受けたが、老朽化が進んだため、状態の良い柱などを保管し、解体。 解体後は、建物の基礎石を現地保存している。 |
高輪地蔵 奥平家と隣藩との境界地争いで、正直に境界を認めた為、上司に死罪にされ、亡骸を奥平家の屋敷内に投げ込まれた隣藩の家臣を地蔵菩薩として祀ってきている。 |
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