![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
名島城跡 GoogleMap | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
![]() |
![]() |
||||
名島城跡 | 臥龍桜 | 名島城隅櫓跡 | ||||
名島城跡 福岡市東区名島1−26 名島城は、豊臣秀吉による九州平定後、毛利元就の三男、小早川隆景公(1533〜1597)が、筑前、筑後の両国と肥前二郡を与えられて、天正16(1588)年から築城を開始した城。 この城は、二方を海、一方を多々良川に囲まれた要害堅固な城として知られ、秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598)では、名護屋城への軍事・生活物資や人材などの補給基地としての重要な役割も担った。 その後、小早川秀秋続いて黒田長政が入城したが、黒田長政の福岡城築城に伴い廃城となった。 天正19年3月黒田官兵衛は、小早川隆景が名島城で催した茶会に招かれている。 名島古城図 名島城址公園案内図 交通:西鉄電車名島駅・西鉄バス「名島」から徒歩約15分 |
臥龍桜 城址公園の南西隅に植えられている桜。 ここを訪れる時、道をお聞きした方から、この桜の存在も教えていただいていたが、丁度満開で見事な見栄えであった。 |
名島城隅櫓跡(すみやぐらあと) 北西隅の付き出した曲輪(くるわ)上に築いた隅櫓跡。 列石で囲んだ内側に礎石(そせき)を置き、小石を敷き詰めて櫓台を築く。 規模は南辺4.9m以上、東辺4.2m以上である。 列石上に壁が建っていたと考えられ、外側から多量の瓦が出土した。 突出した曲輪上に築いた瓦葺きの隅櫓は近世城郭の技法を取り入れたものである。(現地案内板) |
||||
広告 | ||||||
![]() |
||||||
名島城跡パノラマ | ||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||
博多湾ー名島城跡よりー | 名島城跡石碑(左)と臥龍桜 | 不断梅 | ||||
不断梅 慶長元年(1596)、小早川隆景公は足利の学校から白鴎老師を招き領内へ学舎を建て若き士庶に学問を奨励した。 隆景公入府400年を記念して、足利学校内の「不断梅」を移植した。 この梅は、熟しても変色することなく常に「青い実」が絶えないことから「不断梅」と言われている。 |
||||||
広告 | ||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||
名島城 二の丸・三の丸方面 | 名島豊川稲荷神社 | 名島神社 | ||||
名島豊川稲荷神社 小早川隆景が築いた名島城は、その後、小早川秀秋に城主が変わり、慶長5(1600)年には、関ヶ原の戦いで功績のあった黒田長政が筑前の城主となりこの名島城へ移ってきた。 長政は、この名島では城域が狭くて城下町の発展が望めないとの理由で、より広い福崎の地に城を築き、黒田家再興の地備前岡山の福岡の名を取って、城を福岡城、城下町を福岡と名付け、名島城は廃城となった。 名島城の後には、もともと名島城内に祀られていた名島弁財天と名島神社そして豊川稲荷神社が祀られている。 |
名島神社 TEL092-671-1087 〒813-0043 福岡県福岡市東区名島1−26−1 御祭神 宗像三女神 市杵嶋姫命、湍津姫命、田心姫命 御由緒 宗像三女神は、天照大神の御子であらせられ、神功皇后御崇敬し給う。 神功皇后三韓御遠征の時、香椎の西なる黒津(黒崎)の岬より御乗船し給う。 このとき諸軍勢各々その郷名姓名等を名乗りて御船に集る。 その処を名付けて名嶋と云い、この時この地より宗像三女神を拝し、海路の平穏を祈願し給う。 神功皇后、新羅より帰らせ給うた時、黒津に上らせ給い、宗像三女神を勧請して、祠を建て祭り崇め給う。これが名島神社の起源である。 |
|||||
広告 | ||||||
![]() |
||||||
パノラマー名島城跡より東方ー | ||||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||
名島弁財天 | 名島運動公園 | 名島商店街 | ||||
名島弁財天 天正15(1587)年、豊臣秀吉は、九州出兵の際に当社を詣で、この地に九州の守護とする名島城を築くよう小早川隆景に命じた。 その際、隆景は堂を修復して城の鎮守とし、その後、歴代の福岡藩主から崇め敬われた。 江戸時代には名島弁財天社と称したが、明治維新の神仏分離により名島神社と改称され、弁財天は宗栄寺(そうえいじ)に祭られるようになった。 現在は蓄財の神として広く信仰されている。(現地案内板) |
名島運動公園ー名島火力発電所跡ー 大正9(1920)年に東洋一といわれた名島火力発電所(のちの九州電力)が操業を開始した。 この発電所の建設により従業員社宅ができ、名島の近代化が始まった。 電力需要が伸びるに従い発電機を増設し、昭和13(1938)年には、設備出力5万1千キロワット、認可出力4万6千キロワットにまで拡大された。 発電所は昭和35(1960)年に廃止されるまで運転を続け、現在は名島発電所跡の碑を残して県の運動公園として利用されている。(現地案内板) |
名島商店街 西鉄名島駅から名島城跡へ行く途中にある。 名島火力発電所があった頃、この商店街の道は、発電所への引き込み線が走っていたとか。 |
||||
![]() |
||||||
西鉄名島駅 | ||||||
西鉄名島駅 駅から時刻表ー西鉄名島駅ー | ||||||
広告 | ||||||
Home 黒田官兵衛ゆかりの地へ 福岡ー福岡城・福岡城下町ーへ |