旅 瀬戸内(たびせと)    毛利元就火葬場跡    
   
        
  毛利元就火葬場跡(もうりもとなりかそうじょうあと)
毛利元就は、元亀2(1571)年6月14日、お里屋敷で75歳で逝去、波乱の一生を閉じた。
遺骸は、翌15日大通院に移し、正殿に安置し、法名を日頼洞春(にちらいどうしゅん)と称した。
三原妙法寺の住職嘯岳鼎虎禅師(しょうがくていこぜんし)を招聘し、6月20日初七日の法会(ほうえ)を営んだ後、この火葬場で荼毘(だび)に附した。
  火葬の際には10間(18m)四方の間に小石を敷きつめ、沈香(ちんこう)を焚きその香りは遠くまで匂ったという。
この火葬場跡は、三間四方を石垣で囲み、中に栂(つが)の木を植えた。
栂の木は高さ約10m、周囲約3mに達したが、昭和46年枯死した。
  色々の手向に雑る草の原 けふ咲花やこころ有らん
         聖護院門跡道澄法親王
 平成4年3月 吉田町(現安芸高田市)教育委員会
(現地案内板)
     
  広告      
   
      Home 広島県の旅へ 黒田官兵衛ゆかりの地へ 郡山城跡へ