旅 瀬戸内(たびせと)    諸杉神社ー出石ーGoogleMap    
             
     
     諸杉神社 本殿  
     
    諸杉神社   諸杉神社 拝殿   
   
  諸杉神社由緒 兵庫県豊岡市出石町内町
御祭神:多遅摩母呂須玖神(たじまもろすくのかみ)ー但馬諸助神ー
多遅摩母呂須玖神は「、新羅国王子天日槍命の嫡子で、母は:多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の女(むすめ)、前津見(まえつみ)である。
古事記・日本書記に記される清彦、田道間守(たじまのもり)の祖で、神功皇后(じんぐうこうごう)の母、葛城高額比賣命(かつらぎのたかぬかひめ)の祖である。
創立年月は不詳であるが、延喜式内の古社で、始め出石川側の出石町水上(むながい)に鎮座していたが、当国の守護山名氏が居城を出石町宮内の比隅山より出石有子山に移すに及び、当社を城下の現在地に移転されたという。
累代の出石城主の尊崇厚く、江戸時代小出大和守は長刀を奉献し、松平忠徳は社殿を改造し、宝駕を具え、華表を建て、治下瑞泉寺主釋大梅に諸杉大明神記を撰ばしめた。
寛保二年仙石政辰は社殿を改築し、神供料五石八斗を寄進し、宝暦二年神霊を勧進し且つ同僚諸侯及び有名な宗匠に俳句を求め、扁額として拝殿に奉納された。
仙石氏が出石城主のとき、在城の年は年首必ず自ら参拝し、参勤交代の時は帰城の年早々必ず自ら参拝された。
明治六年十月郷社に列せられたが、明治九年三月二十六日夜、民家より失火し、社殿は悉く類焼した。
これにより明治十五年新に工事を起し、明治十七年十月十四日に現在の本殿、拝殿が竣工した。
大正十三年四月二十一日懸社に列せられる。
本殿建物ー正面三間、背面二間、側面二間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺
祭礼ー例祭(秋祭) 十月中旬
境内神社ー川下神社、天神社、厳島神社、社日神社、新田神社、三柱神社、八幡神社、稲荷神社、大国神社、稲荷神社
(現地案内板)
 
         
   川下神社    境内社   境内社   
         
   神輿蔵        本殿扉  

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