旅 瀬戸内(たびせと)    宮路山城ー備中高松城水攻めーGoogleMap    
   
      
   宮路山城跡   宮路山城跡・鍛冶山城跡   
  宮路山城ー備中高松城水攻めー
毛利軍の「境目七城」の内の一つで、最も北に位置する。
当初黒田官兵衛らが降伏を呼びかけたが、毛利軍小早川隆景の家臣で城将として来ていた乃美元信は応じなかった。
しかし、隣冠城の陥落後宇喜多家家臣の信原氏が開城を勧めついに開城した。
関が原合戦後は、秀吉の正室ねねの兄木下家定が治めることになる。
現在も陣屋町足守の街並みや近水園がその名残を留めている。
  宮地山城跡・鍛冶山城跡
足守川を挟んで左が宮路山城跡、右が鍛冶山城跡。
このように近ければ、宇喜多氏が毛利方に付いていた頃は、交流もあったのだろうか?
 
 
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