旅 瀬戸内(たびせと)

三嶋大社 GoogleMap
     
    三嶋大社 参道   
     
  三嶋大社 本殿・幣殿・拝殿   三嶋大社 舞殿   
  三嶋大社本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門(国・市指定建造物)
三嶋大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(1192〜1333)初期には関東総鎮守(かんとうそうちんじゅ)として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。
一遍聖絵(いっぺんひじりえ)の社頭と現在のそれとではかなり異なり、消失記録を見ると、文永5年(1268)と永仁4年(1296)に焼け、また延享元年(1744)と安政元年(1854)の地震で倒壊している。
今の社殿は万延元年(1860)から明治2年(1869)にかけて再建されたものである。
本殿(ほんでん)は流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で切妻屋根(きりづまやね)(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟(むね)には千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)をつけている。
拝殿(はいでん)は入母屋造(いりもやづくり)(上部を切妻屋根とし、下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、前面には三間の向拝をつけ、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)がつく。
両殿の間には軒下に納まるように相(あい)の間がつくられている。
この建築の様式は権現造(ごんげんづくり)といわれる。
全国的に見て拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なものである。
彫刻は伊豆国名工小沢希道(おざわきどう)、駿河国名工後藤芳治良(ごとうよしじろう)がそれぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。
                                   平成16年3月
                                   三島市教育委員会
(現地案内版)
本殿・幣殿・拝殿ー重要文化財ー平成12年5月25日指定
 
     
   
  拝殿前の彫刻  
           
   拝殿    舞殿    神門  
  社殿
嘉永7年(1854)11月4日の東海大地震に社殿工作物悉く倒壊し時の神主矢田部式部盛治が10年の歳月を費やし総工費壱万六千六百七十七両余りの巨費を以って慶応2年(1866)9月9日完成させた総欅造りの豪壮なもので関東随一を誇り周囲の彫刻も又比類ない傑作である。其の外の社殿も慶応4年9月相次いで完成。(現地案内版)
舞殿

古くは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった。
現在は舞の他、田打ち神事(県無形文化財)・豆撒き神事・鳴弦式神事などの神事の他祈祷等も行う。
慶應2年12月18日の再建で昭和5年の伊豆震災の復旧工事まで一部改修を行ったものである。(現地案内版)
    
 
         
   若宮神社   見目神社     幸神社・第三社・聖神社・天神社・大楠社  
  若宮神社
古くは八幡宮・若宮八幡宮又は若宮社等と呼ばれた御祭神は物忌奈乃命(三嶋大社の御子神)誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である例祭は8月15日で御本社大祭の前日に行われる。
            慶応4年8月20日再建(現地案内版)
見目神社
若宮神社と同じく御本社と最も関係の深い社で摂社という。
御祭神は三嶋大社の后神六柱を祀る。
昔は御本社大祭の前々日幕府より奉献の玉簾を在庁(将軍の代理)が奉持し此の社前で検分の上神主に渡す儀式が行われた。
                     慶応4年9月3日再建(現地案内版)
    
 
           
   天然記念物 三嶋大社の金木犀    総門   宝物館   
       
  神馬舎  源頼朝・北条政子腰掛石    厳島神社  
  神馬舎
神馬は慶応4年7月10日完成旧神馬舎に納められていたが戦後現在の神馬舎が完成し移したものである。
古くから当社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登ると言う伝説があり旧神官はお馬様が帰ったと言って朝食にしたと伝えられ子供の成長と健脚を祈る風習がある。
(現地案内版)
源頼朝・北條政子 腰掛石
治承4年5月源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折腰を掛けて休息したと伝えられる。
右側は北條政子の腰掛けた石である。(現地案内版)

厳島神社
祭神 市杵島姫命(天照大御神の御子神)
北條政子が勧請し、殊の外信仰したと伝えられる当社は、家門繁栄・商売繁昌・安産・裁縫等の守護神として広く信仰されている。
(現地案内版)
神池
天長4年(827)神池の水が渇れ天下大旱し、神官の訴えにより朝廷は三嶋神殿に於て澪祭(雨乞)を行わしめた。
6月11日から15日まで大雨が降る。
時の帝は当社に圭田を寄せ、神官に禄金財帛を賜わった(類聚国史)。
元禄2年(1185)8月源頼朝は神池に於て放生会を行い、その際糠田郷・長崎郷を三嶋社の料と定めた。(吾妻鏡
)(現地案内版)
 
           
  芭蕉句碑     たたり石    若山牧水の歌碑  
  芭蕉句碑
どむみりと 棟や雨の 花曇り
棟とは「せんだん」の事で元禄7年(1694)5月14日三嶋明神に参詣した芭蕉は、雨空に神池の辺りせんだんの花の群を仰いで 江戸に残してきた病床の妻「すて」の身を案じて詠んだ句である。(現地案内版)
たたり石
此の石は大社前旧東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた。
たたり(絡?)は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語である。
後に往来頻繁になり、これを取り除こうとする度に災いがあったと言われ、絡?が崇りに置き換えて考えられる様になったと言われている。
大正3年内務省の道路工事によって掘り出され、神社に於て此処に据えられた。
今日では交通安全の霊石としての信仰がある。(現地案内版)
若山牧水の歌
のずゑなる 三島のまちのあげ花火 月夜のそらに 散りて消ゆなり
若山牧水は、九州宮崎県に生まれ、大正9年(1920)三島市の西隣りの沼津市香貫に住み、8月15日に行われた三嶋大社の夏祭りの花火を見てこの歌を詠んだ。
  昭和34年12月
  三島民報社建立
(現地案内版)
 
           
   三嶋神社門前町    三嶋神社門前町   JR三島駅・伊豆箱根鉄道三島駅   
         
   国指定天然記念物 名勝 楽寿園    白瀧観音堂    三島 水辺の文学碑  
  J三島駅から三嶋大社まで
三島の街中には、富士山からの湧水が至るところに流れている。
JR三島駅から2〜3分の所には、緑と湧水の楽寿園が、続いて白瀧観音堂のある白瀧公園、この公園から三嶋大社にかけの桜川沿いには三島を訪れた文学者の文学碑が立ち並んでいる。
文学者たちが三島の街をどのようにとらえて来たのか、またその言葉から三島の街がどのような町なのかについて知識を得ながら三嶋大社へ参拝することができる。
主な文学者、詩人、歌人ー司馬遼太郎、太宰治、若山牧水、十返舎一九、正岡子規など
また、三島の街中には、この水辺の文学碑のある路以外にも、富士山からの湧水が至る所に流れており、その流れに沿った散策路「せせらぎルート」が設けられている。
     
 
           せせらぎルート案内図  

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