旅 瀬戸内(たびせと)    大宮八幡宮ー南の八幡神社ーGoogleMap    
             
     
     
     
    随神門と社叢   社叢   
      
  大宮八幡宮ー南の八幡神社ー 庄原市高野町南(福円原)鎮座
祭神ー高?神(たかおかみのかみ) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 帯中日子命(たらしなかつひこのみこと) 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 比女大神(ひめおおかみ)
    (相殿神) 神日本磐余彦命 天湯津彦命
祭礼 10月19日(旧暦9月19日)
本殿 寛政7年(1795年)再建 付属社殿 幣殿 拝殿 御供所 手水舎 随神門
鳥居三基 (石鳥居一基 延宝8年(1678年)建之 木鳥居二基) 境内地面積3,771坪
摂末社 八坂社(祭神) 素戔嗚命 櫛稲田姫命 蘇民将来
      高良社(祭神) 武内宿祢大臣
     杵築神社(祭神) 大国主大神 安政6年出雲大社から勧請 祭礼10月20日
     社日社(祭神) 天照皇大神 大己貴命 少彦名命 稲蒼魂命 埴安姫命
     護国神社(祭神) 明治以来の高野町出身戦没者英霊
境外社 若宮社(祭神) 本社に同じ
     粟島神社(祭神) 大己貴命 少彦名命
     厳島神社(祭神) 事代主命 市杵島姫命
     大歳神社(祭神) 大歳神
     三社・山ノ神(祭神) 山之神三社
宝物  倒面鏡 鎧一領(甲山城主山内隆通寄進) 絵馬二面
天然記念物 (広島県指定天然記念物) 社叢面積約壱弐町歩余
特別行事 (七座の神楽) 斎行日は10月19日祭礼の後、神職による斎庭神楽の神舞
地域行事 旧暦二十日正月に稲藁で作った龍を山神様に奉納し当年の五穀豊穣を祈念する
関係仏閣 薬師堂(本尊 薬師如来)
由緒
大宮八幡宮の起こりは、崇神天皇の御世に波久岐の国造であった豊玉根命が、「高?神」(たかおかみのかみ)雨を司る神)のご神託により、南の奥地多気山に「高?神」を祀り雨を祈ったのが起源とされ、高?明神と称えられました。
古に、当社奥山の雄滝にて祈雨祈念の折、滝壺の中より「倒面鏡(さかつらのかがみ)」が引き上げられました。
以来「倒面鏡」は、八幡宮のご神体として崇められ、雄滝、雌滝から八幡宮迄の大鬼谷川は、大宮八幡宮の神域として尊ばれております。
天元2年(979年)9月(旧暦)に現在地の福円原に社殿を造営し、「高?神」を祀り、この時新たにこの地域の荘園領家平氏により勧請された山城国の石清水八幡宮を合せ祀り福円原八幡宮と称し、荘園の鎮守社として厚く崇敬されました。
正和5年(1316年)山内首藤通資が、地毘庄(中世の地名、旧庄原市北西部・高野町・比和町・口和町一帯)に地頭職として下向し、蔀山に城を築き、福円原八幡宮に鶴ヶ岡八幡宮を合祀し鶴ヶ岡八幡宮と号し庄内総鎮守としました。
通資は、同時に阿弥陀堂を建立し薬師像他を安置しております。
その後、累代の蔀山城主が社領寄進や社殿の造営をしばしば行いました。
天正15年(1591年)山内氏が蔀山城を去り、江戸時代になると鶴ヶ岡八幡宮は、高野山十一ヶ村の総鎮守となり多賀山大宮と称えられ、近郷近在の尊崇深く祭礼の折には幟仕立ての数百余の馬が宮入り致しました。
明治時代に入ると大宮八幡宮と称され高野山村の村社に列せられました。
現在、南地域の氏神でありますが、霊験あらたかなる神社として氏子のみならず広く厚く崇敬されております。
昭和2〜4年に広島県の天然記念物として指定された社叢には、県内有数の多くの大樹群や五百米にも及ぶ参道・馬場等が望め、往時の栄華を現在も偲ぶことができます。
(参考文献 廣島神社誌 広島県神社庁・堀江寿美氏著大宮八幡宮史、助言・高?神宮以来。一貫し大宮八幡宮神職奉勤堀江家第44代当主堀江壽満宮司)
                                                      平成25年4月吉日 氏子有志奉納設置
(現地案内板)
広島県天然記念物 南の八幡神社社叢 昭和34年10月30日指定
本社叢は、スギ、モミ、クロマツなどと落葉広葉樹からなり、特に巨杉の連なる参道並木は見事である。
注目すべき巨樹として、胸高幹囲5.7メートル樹高約30メートルのモミ、胸高幹囲3.8メートル樹高約25メートルのスギ、胸高幹囲4.05メートル樹高7メートルのアベマキなどがある。
     平成9年3月
                    広島県教育委員会
                    庄原市教育委員会
(現地案内板)
 
   広告  
     
   
         
   本殿と拝殿   拝殿    随神門   
          堀江家の古文書ー広島県立文書館ー   

Home 広島県の旅へ