旅 瀬戸内(たびせと)    三木市街の見所 GoogleMap    
  スマートフォンで表示           
     
     黒田清右衛門商店  
     
  ひめぢ道      旧玉置家住宅  
  三木市について
三木市は、古い歴史と自然に恵まれ、播磨風土記には億計、弘計2皇子の古代ロマンの物語が記されています。
また、戦国時代には、東播8郡24万石を領した別所氏の居城があり、三木合戦によって荒廃した町は、豊臣秀吉の復興策によって商工業が活発化し、今日の金物産業発展の基礎をつくりました。
三木市と吉川町の合併により、名実ともに山田錦(酒米)の主生産地となり、三木金物ブランドとともに更に発展が期待されます。
一方、市域内を中国及び山陽自動車道が通過するなど、全国的にも交通の要衝として注目され、数多くのゴルフ場が立地するほか、「グリーンピア三木」「三木ホースランドパーク」「山田錦の館」「吉川温泉よかたん」など、観光資源も多彩なものがあります。
市の木=松、市の花=さつき、推奨花=さざんか・サルビア・菊
姉妹都市:バイセリア市(アメリカ合衆国)昭和41年姉妹都市提携、コロワ市(オーストラリア)平成17年姉妹都市提携
(現地案内板)
駐車場ー観光協会横駐車場、三木鉄道記念公園前駐車場、三木市役所前駐車場
 
   広告  
     
   
       
   三木城跡    雲龍寺    播州三木 大宮八幡宮  
  三木城跡について黒田官兵衛ゆかりの地
三木城は室町時代の後期、東播磨八郡の守護代となった別所則治によって、明応年間(1492〜1501)に築かれた。
戦国時代末、五代城主長治のとき、天下統一を目指す織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められた。
秀吉は、三木城を取り囲むように三十余りの付城を築き、兵糧攻めにした。
この戦いは三木合戦といわれ、天正6年(1578)4月より1年10ヶ月に及び、籠城の悲惨さから”三木の干殺し”として全国的に有名。
天正8年(1580)1月17日に長治一族自害によって開城し、籠城した人々の命が助けられた。
合戦後は、秀吉の家臣が城代として在城し、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後は池田輝政が姫路城主となり、その支城として存続した。
大坂夏の陣の直後、江戸幕府が打ち出した一国一城令によって元和3年(1617)に廃城となった。
(現地案内板) 三木城想像図
  長治公と雲龍寺
創建:慈恵僧正(村上天皇の勅命による)ー天徳2年(958年)
羽柴秀吉との三木合戦時、三木城内にあったため、殿堂及び伽藍は焼失した。
天正8年(1580年)1月17日、一族の最後を弔うために、雲龍寺7世の住職春泰禅師が、当時の三木城主別所長治公の自害の席に招かれたとき、長治公は後事を禅師に託し、日頃から愛用していた「天目茶碗」と「唐子遊びの軸」を形見として贈った。
三木城開城後、領主杉原伯耆守は秀吉に上訴して寺院を建立した。
天正13年(1585年)秀吉から境内山林竹林並びに三十石の寄進状及び制札を賜り、以後代々の徳川将軍家より御朱印状を賜った。
秀吉の兵糧攻めにあい、城内の藁まで食べたとの言い伝えにより、当寺では、毎年1月17日に藁にみたてた”うどん”を食べて当時を忍ぶ会が催されている。
村上天皇の勅願所であったが、廃絶すること久しく、その後、播磨、備前、美作の守護職であった時の豪族赤松円心入道則将が古い事伝を知り、深くこれを惜しんで朝廷に再建を奏請して、そのご聖慮に沿い天皇より高源山の山号を賜った。
時は後醍醐天皇の元享2年(1322年)で天皇の祈願所となった。
のち、文明年間になって、時の城主別所加賀守就治が異忠禅師を招いて再建し、そのとき規模を一新して禅寺として開山した寺院であると伝えている。
(現地案内板参考)雲龍寺周辺図
  大宮八幡宮
TEL0794-82-0401
兵庫県三木市本町2−19−1
創建:不明であるが人皇第36代孝徳天皇の時、既に宮山の上に磐境があり、人皇第74代鳥羽天皇御宇天永2(1111)年、月輪寺院主慶算が今の地に社殿を遷したと伝わっている。
祭神:応神天皇を御主座に、八柱の神を祀る
人皇第62代村上天皇第7皇子、具平親皇胤源秀房の孫頼清(別所氏の祖)が播磨国の守護となるや、当宮を氏神とし、以後東播8群の所領、三木城主別所氏は代々の守護神としてきた。
天正8年、三木城主別所氏亡ぶ際に兵火に罹り、灰燼となったと伝えられている。
天正11年当時、播・備・伯・美・因・諸州の宰領羽柴秀吉の命により三木領主中川秀政が守護神として当営を再建。
慶長8年姫路城主池田輝政は家老伊木長門守に命じ、田畑50石及境内の山林竹木を寄進、応神天皇の左右に八神を配祀す。
よってこれより九社八幡宮と云い、現在は大宮八幡宮と云う。
御本殿は天和2年(西暦1682)に再建せられたものである。
勇壮な秋祭りは播州三大祭の一つに数えられている。
         大宮八幡宮
(現地案内板参考) 
 
       
  三木市立図書館     三木市立堀光美術館    三木市立金物資料館  
  三木市立図書館 
TEL0794-82-4727 
〒673-0432 兵庫県三木市上の丸町4−5
開館時間:10:00〜18:00
休館日:第4木曜日(休日の場合は翌日)。年末年始(12月29日〜1月3日)、管内整理期間(5月〜6月までの期間において10日以内)
図書館と美術館のある所は、三木城の二の丸跡。
  三木市立堀光美術館 
TEL0794-82-9945 
〒673-0432 兵庫県三木市上の丸町4−5
開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の翌日) 12月28日〜1月4日
入館料:無料(特別展は有料)
特別展:一般ー200円(150円)、大・高校生ー100円(50円)、中学生以下ー無料、障害のある方及びその介護者は半額、65歳以上100円
  三木市立金物資料館 TEL0794-83-1780 〒673-0432 兵庫県三木市上の丸5−43
三木市の伝統産業である金物に関する資料の収集・保存・展示による市民の郷土文化への理解を深めること、後世への鍛冶の伝統技術伝承を目的として1976年に開設。
近世から現代までの大工道具を中心に展示。
開館時間:10:00〜17:00
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合その翌日が休館)、年末年始(12月29日〜1月3日)
交通:神戸電鉄「三木上の丸駅」から徒歩約5分、神姫バス「上の丸」から徒歩約5分
 
 
  広告      
     
   
         
   湯の山街道入口付近    ナメラ商店街   三木鉄道ふれあい館・MIKI夢ステーション   
      ナメラ商店街
三木城跡のすぐ下にある商店街で昭和の街の風景をそのまま残している。
観光案内の地図を見ると、旧湯の山街道の一部でであった事がわかる。
 
  三木鉄道ふれあい館 
TEL0794-82-9900
廃線となった旧三木鉄道の駅舎を、平成22年に地域の交流拠点として生まれ変わらせたところ。横には農産物直売所と食事処ーMIKI夢ステーションーがある。
開館時間:10:00〜17:00
休館日:月曜日・木曜日
MIKI夢ステーション TEL 0794-88-8790
旧三木鉄道、三木駅の車庫を改修して造った惣菜や野菜、食品などを販売する農産物直売所と地元産の食材を使った食事処。
営業時間:10:00〜17:00
休日:月曜日・木曜日
 
 
       
   本長寺と三木義民の墓   湯の山街道    稲見酒造と酒屋の杉玉  
  本長寺 
TEL0794-82-6173 
兵庫県三木市府内町6−43
三木義民の墓
三木は別所氏時代、秀吉時代、徳川時代へと永代に渡り、免租地だったが、延宝5年(1677年)幕府は「延宝地検」という令を出し、年貢を取る通知を交付した。
町民は困って話し合い、幕府に取り消しの直訴に行く三木の代表として名乗り出たのが、平田村の大庄屋:岡村源兵衛成次と、平山町の年寄:貝屋大西与三右衛門の二人で、死罪を覚悟で幕府にお願いをして取り消しをしてもらった。
その後二人は義民と呼ばれるようになった。
義民の一人、大西与三右衛門の墓所は本長寺にあり、毎年12月8日には義民冬祭りが本長寺で行われている。
(現地案内板参考)  
  湯の山街道
有馬の湯が栄えだしたころ、これに通じる道は「湯の山街道」と呼ばれ、特に羽柴秀吉の三木城攻めの頃(天正6〜8年、1578〜1580年)から、その名は顕著になった。
有馬の湯を知った秀吉は、三木合戦の最中、兵卒のけが人に対して、この有馬の湯を汲んできて、安福田(あぶた)の野風呂で療養させたとも伝えられている。
また、参謀の竹中半兵衛重治が病気療養のため、この湯の山街道を通ったことは有名。
天正8年(1580年)1月17日、三木城を攻略した秀吉は、次の城主となり、そのときけが人や病人の兵卒をこの湯の山に連れて行き、養生させたともいわれている。
この三木城下町地区の街道筋には、今も昔を物語る町家や社寺が多く残っており、大塚町には道が直角に曲がった”鍵型の辻”もみられる。
(現地案内板参考) 
  稲見(いなみ)酒造と酒屋の杉玉 
TEL0794-82-0065 
兵庫県三木市芝町2−29
酒米ー山田錦の里にある日本酒の醸造元で、播磨乃国三木 清酒「葵鶴(あおいつる)」で販売。
営業時間:8:30〜17:00
休日:土曜日・日曜日、祝日
 
       
  大塚 薬師堂     浄土宗 心光寺    極楽寺  
  大塚 薬師堂
薬師如来の由来
昔の人は、お医者さまや薬がすぐ間にあわなかったので、病気にかかったり、あるいは急の痛みのときに、古くから口伝えに聞いてきた「オンコロコロ」と唱えて、とにもかくにも仏さまにお願いしました。
お薬師さまは、その名のとおり病をなおしていただける仏さまとして、昔から信仰をあつめてきました。
仏教が日本に伝えられたときは、お釈迦さまの仏像が伝えられましたが、すぐそのあとにこの薬師さまの信仰が盛んになっていったのはうなずけます。
天武天皇が即位9年(682)に皇后の病気平癒のために薬師寺建立を発願して、持統天皇が697年に完成したのが、いまの奈良薬師寺の前身ですが、奈良時代初期からお薬師さまの像がつくられ、現存している代表的ものでも、法輪寺、興福寺の仏頭、法隆寺金堂はじめ、薬師堂の薬師三尊葉はもちろんのこと、奈良の諸大寺(元興寺、大安寺、西大寺、興福寺、唐招提寺)にも安置されているように、お薬師さまの信仰が急激に広がりました。
さらに天台密教の流布とともにこの薬師信仰は全国的に広まり、村々には薬師堂が建てられました。
比叡山延暦寺は、平安、鎌倉時代においては仏教の中心地であると同時に文化の中心でした。
その延暦寺の中心である根本中堂のご本尊にまつられているのが薬師如来ですから、その影響がいかに大きかったかがわかります。
(現地案内板) 
  浄土宗 護念山 心光寺 〒673-0414 兵庫県三木市芝町3−43
本尊:阿弥陀如来座像
創建:延徳元年[1489) 
開基:長誉儀天和尚
天正8年(1580)に羽柴秀吉による三木城攻めの時、兵火により焼失。
再建:天正10年〜慶長6年頃と推測
寺宝:善導大師立像、宗祖法然上人立像、弁財天像
  浄土宗 無量山 不断院 極楽寺ー三木市ー TEL0794-82-4317    
〒673-0413 兵庫県三木市大塚1−2−15
交通:神戸電鉄 三木上の丸駅から徒歩約7分
 
  広告      
     
   
         
   戎神社    ギャラリー 湯の山道    明月堂  
  戎神社と湯の山街道ー三木市ー
「大塚のえべっさん」として知られる。
西宮の戎神社から勧請して創建されたと伝えられており、延享4年(1747年)の「三木町寺社帳」に西宮の分社としての記録がみられる。
祭神としては、七神が祀られている。
今宮のえべっさん「事代主命」と、西宮のえべっさん「蛭子命」の両方が祀られているのが特徴。
戎神社は当初、大塚町の西端、湯の山街道沿いにある極楽寺境内にあったと言われており、極楽寺の山門を入った左側にある大日堂の狛犬が、当時の戎神社境内にあったものだと伝えられている。
元々は寺院の管理下に置かれていた小さな祠程度のものが、明治11年に現在の場所に移されて以降、年ごとに盛況を見るようになり、現在に至る。
戎神社では毎年1月9日から11日までの3日間、戎祭が開かれる。
特に9日、10日の宵宮、本宮には神社前の街道筋に露天が立ち並び、商売繁盛の護符と福を求めて近郷近在から多くの参詣者が集まる。
10日の本宮の午後には福餅まきが行なわれ、境内は詰めかけた参詣者で一杯になる。
(現地案内板参考)
  ギャラリー 湯の山道
非常に興味深いギャラリー、是非立ち寄りをお勧め!
   
  明月堂 
TEL0794-82-2341 
〒673-0431 兵庫県三木市本町3−3−21
創業:昭和7年(1932)〜昭和20年(1945)
第2創業:昭和29年(1945)
会社設立:昭和43年12月
主力商品:俵もなか、巻カステラ、酒壺の里、レモンケーキ、みっきい栗パイ
営業時間:8:30〜18:30
 
 
         
   あかし道    大日如来堂   光明寺   
  あかし道
元和2年(1616年)2代将軍徳川秀忠のとき、小笠原忠政が譜代大名として三木城主になったが、このとき三木郡、明石郡の2郡12万石を領していた。
しかし幕府の命により、西国大名の目付として三木城を明石の丘陵に移築することを命ぜられ、元和5年(1619年)に忠政は三木から明石に移住し、三木城は城址と化した。
明石城の建設に必要な三木城の古材や石材等を明石に運ぶとき、それまでの道を改修し、あかし道という専用道路ができた。
明石城が完成すると、今度は城主以下、藩士や今までの出入り商人、藩に必要な工夫(たくみわざ)ー技術者ー、名医等続々と明石に移住した。
また、三木の魚の棚の商人が明石に移り住み、今の明石の魚の棚商店街が出来たといわれている。
あかし道ー三木から明石までの道⇒三木ー杣八幡ー小林ー老の口ー神出(城址)−田井ー平野(福中城址)ー中津ー出合ー持子ー上池ー茶園場ー鷹匠町ー明石大蔵本陣
(現地案内板参考)
  大日如来堂ー三木市ー
創建は不詳。
この大日如来堂に面した道は、古くよりあかし道として通行が頻繁で、三木の主要道であった。
その昔ここに楠の大木があり、その木の根元の朽ちた洞窟に大日如来を祀ったのが始まりと伝えられている。
旅の安全を祈願する道祖神と同じく、この街道を通行する人たちが、道中の悪魔を防ぎ、旅を安全に守る如来として崇敬したといわれている。
「大日さん」と呼ぶ大日講中の地元であるこの一角は「大木下組(おぎのしたぐみ)」という町名組織があり、8月28日を講日と定めてお講が行われている。
*現在では8月28日の直前の日曜日に行われている。
(現地案内板参考) 
  光明寺
建立:貞享元年(1684年)11月 十河与一左衛門入道養随寄進
本尊:如意輪観世音菩薩(京都六角堂本尊と同体分身)
仏師:安阿弥作(三十三体)
霊験:除病延命・福徳円満・開運招福・大願成就
中町と光明寺
大年寄「十河
(そごう)氏」、名奉行「都筑(つづき)十平」両一族の菩提寺
本尊は阿弥陀如来立像、羽柴秀吉が城下町を造成したとき13か寺を許可したとあることから、天正8年(1580年)頃の創建と考えられる。
近辺ではあまり見られない勇壮な二重屋根構造の本堂、仏師安阿弥作の観世音菩薩像33体がまつられた六角観音堂で知られている。
山門をくぐった左手にある「南無阿弥陀仏」の名号石は、天正年間(安土桃山時代)の作と伝わる貴重なもの。
代々大年寄をつとめた十河氏は、近世三木町の発展に多大な貢献をした。
六角観音堂は、貞享元年(1684年)この十河氏より寄進された。
また光明寺は、名奉行といわれ55年間も三木に在職した都筑十平盈静(みつやす)一族の菩提寺でもある。
本堂裏手の霊園には、両一族の墓碑が並んでいる。(盈静の墓は、のちの任地・石見国浜田にある。)
(現地案内板参考)
 
         
   旧小河家住宅   道標     三木市リバーサイドパーク  
  国登録有形文化財(建物)・登録記念物(庭園)
旧小河家住宅
ー三木市ー  
連絡先TEL三木市産業環境部観光振興課内0794-82-2000 
所在地 〒673-0431 兵庫県三木市本町3−6−24
明治から大正時代にかけての政治家・実業家として活躍した小河秀太郎氏が明治末期に別荘として造営したもの。
池泉回遊式庭園と建物がうまく調和している。
敷地面積:2,024.95u、
公開日:毎週土曜日・日曜日、離れは第4日曜日
開館時間:10:00〜16:00
入館料:無料
交通
神戸電鉄粟米線「三木駅」下車、徒歩約8分
神姫・みっきいバス「本町」下車徒歩約2分
山陽自動車道 三木・小野ICより車で約10分(駐車場なし)
周辺駐車場ー観光協会横駐車場より徒歩約8分、三木鉄道記念公園前駐車場より徒歩約10分、三木市役所前駐車場より徒歩約10分
   
  三木城下町の道標
三木の城下町にある道標の中でも最も古いと言われている道標。レストランの入口にある。
あかし道、ひめぢ道、湯ノ山街道の起点を示す道標となっている。
  三木市リバーサイドパーク
美嚢川の河川敷に造られた市民公園。 
     三木市リバーサイドパーク案内図
 
 
         
   三木市観光協会    三木市役所    三木市文化会館  
  三木市観光協会 
TEL0794-83-8400 
〒673-0431 兵庫県三木市本町2−2−10
駐車場あり。
  三木市役所
TEL0794-82-2000 
〒673-0492 兵庫県三木市上の丸町10−30
 
  三木市文化会館 
TEL0794-83-3300 
〒673-0433 兵庫県三木市福井1937
 
 
           
   道の駅「みき」          
  道の駅「みき」
TEL0794-86-9500 
〒673-0433 兵庫県三木市福井2426
ー国道175号線沿いー
営業時間:9:00〜20:00(通常)、9:00〜18:00(12月30日)、10:00〜18:00(12月31日〜1月1日
休館日:無休
トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用可能
 
         

Home 兵庫県の旅へ 黒田官兵衛ゆかりの地へ 三木城跡へ