旅 瀬戸内(たびせと)    松島城ー備中高松城水攻めーGoogleMap    
   
         
  松島城ー備中高松城水攻めー
毛利軍の「境目七城」の内の一つで、備中高松城からは最も遠い所にある。
その為、羽柴秀吉による備中高松城水攻めの時は、秀吉軍に攻撃される事無く、織田方と毛利方の和睦となった。
現在、川崎医療短期大学の敷地となっているあたりが松島城跡とされている。
川崎医療短期大学と川崎医科大学付属病院の建設されている敷地及びその西、両児神社がある最頂部まで含めて松島と呼ばれていたようであるが、松島城主要部があったのは、川崎医療短期大学の敷地、別名射越山とも呼ばれていた丘の上のようである。
   
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   松島ー川崎医科大学付属病院・両児神社ー    両児神社    松島  
  松島ー川崎医科大学付属病院ー
この川崎医科大学付属病院のある附近は松島と呼ばれる大小二つの丘陵があり、西側の大きな丘陵には、昭和48(1973)年川崎医科大学付属病院が建設されその西側、丘陵の最高部には、神功皇后ゆかりの両児神社が鎮座している。
また、上の写真で左部に小さく見える小さな方の丘陵ー別名射越山ーには、川崎医療短期大学が建設されている。
この山に、毛利氏の「境目七城」の一つと言われた松島城が築かれていた。
  両児神社(ふたごじんじゃ)略記ー松島ー
御祭神 伊邪那岐大神  伊邪那美大神  天照大神  月夜見大神  品陀和気尊(人皇第十五代応神天皇)
由緒
仲哀天皇の皇后神功皇后が三韓征伐で戦勝し、凱旋の時、船路を当宮に寄せて神に戦勝の奉賽と皇子の安泰を祈念された。
皇后は筑前国譽田の宮で皇子をお生みになり(後の人皇十五代応神天皇)当宮へお泊りの時は、年の暮で此の地で新年を迎えられた。
皇子は此の地で御歳二歳になられたため当宮の社号を二子の宮と名付けられた。
(現地案内板を参考)
  松島(東南方より)
左が川崎医科大学付属病院のある松島。
右が川崎医療短期大学のある射越山。
 
 
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