旅 瀬戸内(たびせと)

増位山 随願寺ー黒田官兵衛ゆかりの地ー GoogleMap
   
     随願寺 開山堂  
     
    随願寺境内   随願寺 経堂   
  増位山 随願寺黒田官兵衛ゆかりの地 GoogleMap
播磨天台六山の一つ。資料では増井寺とも記される。
寺伝によると高麗(こま)僧慧便(えべん)が開基し、天平年間(729〜749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが天長10年(833)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。
平安時代には諸堂が整備され、山上には三十六坊もある大寺であったという。
天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。
江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。
国指定重要文化財
木造毘沙門天立像  本堂  開山堂  経堂  鐘楼  榊原忠次墓所唐門
県指定重要文化財
木造薬師如来像
市指定文化財
行基菩薩坐像  榊原忠次墓所  榊原政邦墓所
本堂 附厨子一面・鬼瓦一面
国指定重要文化財 平成21年6月30日指定  形状 桁行七間 梁間六間 入母屋造本瓦葺き
大鬼瓦銘に「元禄五年(1692)3月10日他」の箆書銘があり、様式的にも元禄時代を代表する建築の一つである。
唐様にしたがった細部が多く、技法的にきわめて丁寧な造りであり、規矩術(中国から日本に伝えられた建築の計算技術)の基本を踏襲しながら、人の視線を意識した特徴ある建築となっている。
また、厨子は規模の大きさ、精巧な技法であり、江戸時代の唐様の厨子としては傑作である。
          増位中学校区夢プラン実行委員会
(現地案内版)               随願寺境内案内図          随願寺周辺案内図
黒田家と随願寺
官兵衛の叔父黒田高友はこの随願寺、地蔵院で休夢と称する僧侶であった。
和歌に秀で、秀吉に仕える。明石宗和の息女である母とともに文人官兵衛に大きな影響を与えている。
天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。
 
     
         
   随願寺 本堂    随願寺 鐘楼   収蔵庫  
           
   榊原忠次墓所    榊原政邦と夫人の墓   池田輝政公墓   
  姫路城主 榊原忠次墓所
榊原家は譜代大名の中の名門で、徳川四天王の一つに数えられた。忠次公(1605〜1665)は、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。
この墓所は寛文5年(1665)に長子の政房によって造られたもの。面積:1,100u。
(現地案内版参考)
 
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   増位山 虚無僧之碑     随願寺 放生池   随願寺 梅林   
  随願寺
随願寺はインドの阿育王(あしょかおう)が仏舎利を八万四千に分け、空高く投げられた内、二つの舎利が日本に到着。
一つは琵琶湖の東、石塔寺(いしどうじ)の地に、一つは播磨の増位山に到達したと云われる仏舎利飛来の霊地であります。
その後、厩戸皇子(うまやどのおうじ)ー聖徳太子ーが仏教の師僧である高麗(こま)の僧慧便(えべん)ー恵便ーをして止住せしめたことに始まります。
元はここより南の平地である出井村(伊伝居)にあったようですが、聖武天皇、天平7年(735)に僧行基が出井の地に宿泊されたとき夢に薬師如来が現れ、今の地、増位山上に寺を建立するように告げられ、朝廷に上奏、薬師如来を刻み、安置しました。
これが増位山での随願寺の基となりました。また、増位寺とも云われていました。
奈良時代は南都六宗の一つ法相宗でしたが、仁明天皇、承和元年(834)比叡山の法勢法師が勅命を受け、天台宗に改宗し、この時に増位山随願寺医王院の勅号を賜わりました。
平安時代は寺領も多く、伽藍も多数あり、鎮護国家の勅願寺としての威容をほこっておりました。
ある時、勅使として在原業平(ありはらのなりひら)が来山の節、増位山の有明の峯に登り、うたが詠まれました。
この時代は播磨地方に天台宗の隆盛の時代でした。この随願寺をはじめ、書写山円教寺・法華山一乗寺・八徳山八葉寺・妙徳山神積寺・蓬莱山普光寺は播磨六山と呼ばれていました。
又、随願寺は、朝廷の尊崇厚く、法皇の臨幸や勅使の来山等も多く、そのたびに、お堂を建てたり、改築が成されました。
ところが、天正元年(1573)三木城主別所長治(べっしょながはる)の兵乱によって焼打ちに遭い、諸堂すべて焼けてしまいましたが、諸仏像をもって、あるいは嵐山(今の城西岩端)あるいは印南郡佐土村(
今の別所町佐土)に避難したということです。
大正13年(1585)豊臣秀吉が諸堂を建立、寛文8年(1668)姫路城主榊原忠次(さかきばらただつぐ)公により現在の本堂(金堂)が建てられました。
江戸時代に於いても寺門隆盛し、三十坊を数えておりましたが明治時代、神仏分離令により廃仏毀釈が起こり、寺勢も衰微していきました。
現在は信仰の場。市民の憩いの場として整備して参りました。
   指定文化財
県指定文化財    本堂・経堂・開山堂
市指定文化財    鐘楼・榊原忠次墓所唐門
市指定史跡      榊原忠次公墓所並び榊原政邦公夫妻墓所
県指定文化財    本尊薬師如来
国指定文化財    毘沙門天立像
市指定文化財    開山堂本尊行基菩薩像
             増位中学校区夢プラン実行委員会
(現地案内版)    
 

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