旅 瀬戸内(たびせと)

首無地蔵(豊島 甲生) GoogleMap
   
  首なし地蔵縁起
室町時代のはじめ、正平2年(1347年)豊島を統治していた佐々木信胤(のぶたね)の家臣、豊島左馬之介は細川勢と戦い御殿山に逃れ、(しきみ)の下にかくれたところ、その根元から雉がとび立ち発見され斬首された。
辞世、「樒そだつな 雉すむな」が残され以来豊島には野生の樒はなく、雉もいない。
住民は斬首された左馬之介主従の墓石の代りに頭(首)のない地蔵をたてひそかに供養した。
時は変り室町時代の末、文明11年(1480年)左馬之介斬首の際に首がとんだと伝えられる向林(首実検の場所)に首が祀られ、又一方、この首のない地蔵にも頭が奉じられたといわれる。
いつの頃からか「頭がよくなる」また、「頭の病気が直る」お蔭のある地蔵といわれ、願いごとなどがかなえられると、お礼に頭を作り、以前に奉じた頭と取替えて奉納するようになった、霊験あらたかな地蔵である。
その後、島内外からご利益を願い、祈願成就により納められた頭は列挙できない数となっている。
特に近年は勉強、受験合格を祈願する人がふえている。
註 年代 名称などは村誌に「よる。
    昭和61年7月吉日建之
(現地案内板より) 

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