旅 瀬戸内(たびせと)

景雲山 香山寺 GoogleMap
     
     本堂  
     
    兼隆供養塔と本堂    兼隆供養塔  
      
  景雲山 香山寺(こうざんじ)
臨済宗建長寺派(諸山)
開山密宗  不明
  臨済宗  勅諡佛乗禅師天岸慧廣大和尚
開基密宗  伝・八牧判官平兼隆公
  臨済宗
  足利家時公(尊氏公太父)
        中興開基・北条早雲公
        再中興開基内藤信成公
本尊 千手観世音菩薩伊豆中道十二番札所
由緒・略歴
草創久寿元年(1154)開基八牧判官平兼隆公、治承4年(1180)8月17日逝去す。
法名は香山寺殿興峰兼隆大禅定門。この当時は禅宗にあらず蜜宗なりしという。それ故当時の開山和尚は不明なり。
その後170余年を経て寺門頽廃(たいはい)するに至る。
この時足利尊氏公の太父家時公、元徳2年(1330)4月開榛して野州雲岩寺開山勅諡佛国禅師応供広済国師の法嗣佛乗禅師を請じて開祖とす。
その頃独立本山にして塔頭五院ありて輪番地なり。七堂伽藍整備して百器具足豆南の巨刹、東海の叢林と称せられる其後足利氏の末世に及び天下争乱の世となり寺門頽廃、塔頭両院を残す有様となった。
然る時小田原北条氏長氏公(北条早雲)、諸堂伽藍を中興し、境内地二万五千二百六十一坪、門外の寺領永二十三貫文を寄付せらる。
然れとも世は更に再転「して秀吉の小田原征伐となり、本寺もその災を受けて宝物器具を消失するに至る。
慶長2年(1597)韮山城主内藤三左衛門尉藤原信成公又費を投じて再興せらる。
元禄5年(1692)建長寺の指名を受けてその末寺となる。
江戸幕府の本末制度の励行受けざるを得ざる法令に従いしなり。
幕末に及んで嘉永6年(1853)10月25日町家の延焼により類焼を免れず、遂に堂宇宝物古記録等残らず灰燼に帰せりと伝う。
宝物・古記
   薬師如来像(伝・兼隆公室念持仏)
   小田原北条氏・虎之御朱印等 三通他
石造遺物
   六地蔵石憧(室町前期)
   笑華・川派和尚塔
   山門(元・韮山県庁の門)他
                  田方郡韮山町韮山山木868−1
                       現住元照記
(現地案内版)
 
             

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