旅 瀬戸内(たびせと)

琴弾八幡宮 GoogleMap
拝殿 本殿 若宮・住吉神社
 観音寺 市街
神社での参拝の作法
まず二礼二拍手をして祓詞を奉唱します。
高間原(たかまのはら)神留(かむづま)ります神漏岐神漏(かむろぎかむろみ)(みこと)()ちて皇御祖神伊邪那岐命(すめみおやかむいざなぎのみこと)筑紫(つくし)日向(ひむか)(たちばな)小戸(おど)阿波岐原(あわぎはら)御禊祓(みそぎはら)(たま)ひし(とき)(あれ)ませる祓戸(はらへど)大神等(おおかみたち)諸諸(もろもろ)禍事罪穢(まがことつみけがれ)(はら)(たま)(きよ)(たま)へと(もう)(こと)(よし)(あま)(かみ)(くに)(かみ)八百万神等共(やほよろずのかみたちとも)(あめ)斑駒(ふちこま)耳振(みみふ)()てて聞食(きこしめ)せと(かしこ)(かしこ)みも(もう)
奉唱の後二拍手一礼をいたします。
    新四国曼荼羅霊場会
(拝殿前案内板)

「弓張月」いわれ
江戸時代の読本作家、瀧澤馬琴の書いた「
椿説弓張月(ちんぜいゆみはりづき)」のなかに源為朝の妻白縫が観音寺、琴弾の宮で夫の仇討ちをしたという話があります。
為朝が京の戦いで敗れたとき鎮西大宰府の館(やかた)を守っていた白縫は召し使い八人とともに讃岐観音寺、琴弾の宮に落ち、神仏に夫の無事を祈っていました。
一方京では、敗れ傷ついた為朝は家来の武藤太の家に身をひそめました。
その時武藤太は「為朝を捕えた者には過分のほうびをとらす」という敵方のおふれに目がくらんで密告したため為朝は捕われて八丈島に流されました。
主君を敵方に売った武藤太は、()れ者として避難され居たたまれなくなって手下二人と西国に落ちました。
流れついたのが讃岐の国室本の港(観音寺市室本町)でした。
港にあがった武藤太は武運に縁の深い琴弾の宮の近いのを知って参拝しました。
祈る言葉は悪人らしく、為朝密告の恩賞の少なかったうらみごとだったのです。
白縫は拝殿に祈る男の言葉からその男が夫の仇と知ったのです。
「これこそ神の導き」と白縫は、ある月の夜酒宴と美女の琴で武藤太を誘い出し、みごと夫の仇を討ったのです。
いまも観音寺琴弾八幡宮の境内には、この仇討ちを伝える史跡が保存され観光客が絶えません。
(現地案内板)

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