旅 瀬戸内(たびせと)

平維盛・平時子の供養塔
     
  平維盛の供養塔
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる人も久からず ただ春の夜の夢の如し」
平維盛の系図はー平忠盛ー清盛ー重盛ー維盛となり平家一門滅亡の最後の人なのである。
三位中将維盛法名浄円 生年27才 平治2年(1160)〜寿永3年(1184)3月28日 那智の沖にて入水す
平家物語の最後は山成島(勝浦)で維盛が入水することとなり山成島の松の大樹を削り辞世を書きのこす。
  「生まれては ついに死ぬてふ事のみぞ 定なき世の定ありけり」
維盛伝説はここからはじまるのである。
紀伊の港に上陸した維盛は山伝いに高野山ー本宮ー補陀洛山寺(補陀洛渡海)−山成島ー色川ー大野 その後、色川村藤綱の要害にこもり53才で世を去ったともされている。
(現地案内板)

補陀洛山寺の案内の方の話によれば、裏山にある渡海上人の墓の最上段、左端の供養塔が平維盛、その左の供養塔が、平清盛の妻、平時子=二位の尼のものであるとのこと。
 

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