旅 瀬戸内(たびせと)

興福寺 GoogleMap
           
     興福寺 北円堂  
       
  猿沢の池と興福寺五重塔      興福寺 南円堂  
  興福寺
興福寺は、和銅3年(710)の平城遷都の際藤原不比等によって創建されて以来、藤原氏の氏寺として栄えた。
奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つと数えられた。
特に、平安時代には、春日社の実権も握って、僧兵達は春日社の神木を奉じて強訴を繰り返しついに、治承4(1180)年平重衡の兵火により焼亡してしまった。
その後も、再建と被災が繰り返され鎌倉・室町時代には、幕府は大和国には守護を置かず、興福寺にその任に当たらせ、文禄4(1595)年の検地では春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められるなどその寺勢は徳川政権下まで続いた。
その後、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈などを経て今日に至っている。
                     興福寺境内整備計画
 
       
   興福寺 東金堂   興福寺 東金堂・五重塔   興福寺 五重塔   
興福寺 東金堂 国宝 室町時代 天平様式
神亀3(726)年 聖武天皇が叔母にあたる元正(げんしょう)太上天皇の病気平癒を祈願し創建。
興福寺五重塔 国宝 室町時代
天平2(730)年光明皇后が創建 平重衡の兵火など数度の火災により焼失、現在の塔は室町時代、応永33(1426)年の再建。高さ:50.10m 相輪の高さ15.08m
興福寺 食堂(現国宝館) 興福寺 講堂跡(仮金堂) 興福寺 三重塔
興福寺 食堂跡(現国宝館)
興福寺の細殿(さいでん)、食堂(じきどう)跡に昭和33年に「国宝館」が完成。
阿修羅像(国宝)、仏頭(国宝)など白鳳〜鎌倉時代の仏像を安置するとともに奈良時代からの彫刻、絵画、書籍、工芸、考古資料などの寺宝を収蔵。
興福寺 三重塔 国宝
康治2(1143)年崇徳天皇の中宮皇嘉門院の願建。治承4(1180)年の平重衡の兵火にて焼失し、鎌倉時代に再建であるが、その優美さは平安時代の建築様式を伝えている。
興福寺 本坊 柳茶屋 再建計画中の興福寺中金堂

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