旅 瀬戸内(たびせと)    神吉城跡ー常楽寺ーGoogleMap    
   
   
  神吉城跡 常楽寺ー神吉城跡ー   神吉神社  
  神吉城跡
赤松氏の一族赤松範次が築城した城で初代城主は範次の子元頼で神吉元頼を名乗った。
神吉集落全体が城域のいわゆる惣構の城であった。
中の丸を中心に東の丸・西の丸・二の丸の四つの曲輪をもっており小さいながらも天守閣が建てられていたといわれている。
現在、中の丸には常楽寺と神吉神社がまた西の丸には真宗寺が建てられている。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも放送されたが、羽柴秀吉の播磨攻めにおける加古川城での毛利討伐の軍議、いわゆる「加古川評定」の際、当時の城主頼定は赤松一族の別所氏に付き秀吉と戦ったが度重なる戦闘空しく頼定をはじめとする城兵は討死し、天正6(1578)年7月16日ついに落城した。
常楽寺の本堂裏の墓地には城主神吉頼定の墓がある。
  常楽寺ー神吉城跡ー
TEL079−432−3866
兵庫県加古川市東神吉町神吉1413
浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。
ここはもともと神吉城があったところで、神吉城主・神吉民部大輔頼定は、天正6(1578)年の羽柴秀吉の播磨攻めの時、約三万の大軍の包囲に対して、わずか千名ほどの城兵で果敢に抵抗し、何度も攻撃を撃退したと伝えられている。
しかし、度重なる攻撃に頼定をはじめとする城兵は討死し、ついに落城した。
一説には黒田官兵衛の養女が頼定の奥方といわれており、常楽寺の裏手には、勇猛を誇った頼定の墓がある。
また春の花見の頃には、見事なしだれ桜が、参拝者の目を楽しませてくれる。
(現地案内板)
一説では、秀吉勢が、頼定の伯父神吉藤太夫を謀略で味方につけて頼定を暗殺し神吉城を落城させたとも言われている。
本堂など4棟の建物が国の登録有形文化財になっている。
  神吉神社ー神吉城跡ー
祭神 菅原大神  豊受毘売神  御歳神  金山彦神
大年神  池鯉鮒明神 市杵島姫神
由緒
天正年間(1573〜1591)常楽寺の守護神として太宰府天満宮より勧請した菅原大神と、同寺の境内に鎮座したる豊受毘売神とを明治27年に神吉城跡の此の地に合祀遷座。
同年拝殿を造営、明治35年菅原道真公千年祭に合わせ本殿外覆い及び幣殿を造営した。
その後、文明年間(1467〜1468)神吉城築城時に京都愛宕山から勧請した御歳神、又、神吉城の守護神であった大年神、天正年間廃寺になった法福寺に鎮座せし金山彦神、嘉永年間(1848〜1853)三河の国から分霊した池鯉鮒明神、更に嘉永元年(1848)淡路島より勧請した市杵島姫神、これら神吉村に古より鎮座したる神々を大正5年に合祀、現在、七柱の神々をご祭神とする神社である。
学問・知恵の神、農業の神開運の神として神吉町内の人々や崇敬者からの信仰が篤い。
   平成25年10月吉日   神吉町内会
(現地案内板依り抜粋)
 
 
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   神吉集落内路地          
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