旅 瀬戸内(たびせと)

閑院宮(かんいんのみや)邸跡
     
     閑院宮邸門  
     
    閑院宮邸    庭園  
  閑院宮邸跡
京都御苑西南角に位置する閑院宮邸跡は、江戸時代から続いた閑院宮家の屋敷跡です。
京都御苑は、江戸時代には二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた公家町でしたが、明治になって都が東京に移った後、これらの邸宅は姿を消しました。
そのなかで唯一、閑院宮邸跡は創建以来の場所にあって、当時の建物や庭園の面影を今に伝えています。
閑院宮家は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、東山天皇の皇子直仁親王を始祖として宝永7年(1710)創立されました。
この場所が閑院宮家の邸宅として使用されたのは、同宮家が東京に移った明治10年までで、その後は華族会館や裁判所に使用され、明治16年に旧宮内省京都支庁が設置されています。
現在の建物はその時に新築されたとの記録がありますが、当時存在していた閑院宮邸建物や材料が利用されたことが推測されます。
歴史的価値が高い閑院宮邸跡を保存し、公家屋敷としての面影を遺す建築と庭園を活用するため、平成15年から3ヵ年をかけて全面的な改修と周辺整備が行われ、平成18年3月に竣工しました。
また、閑院邸跡周辺部には、九条邸庭園の遺構である九条池や二階建茶室の拾翠亭などがあり、京都御苑の歴史に触れるには格好の場所となっています。
 
閑院宮邸跡
閑院宮家は江戸時代の四親王家(しんのうけ)の一つで、最も新しく1710(宝永7)年に創設されました。
第118代後桃園(ごももぞの)天皇が1779(安永8)年に急逝したため、九才で閑院宮家出身で皇統(こうとう)を継いだのが光格天皇です。
邸宅は宮家が東京に移った1877(明治10)年以降、華族会館や裁判所等に使用され、1883(明治16)年、宮内庁京都支庁が設けられ、屋敷も建て替えられたいいわれています。
(現地案内板)
           
  玄関     中庭    門  

Home 平家物語(源平)ゆかりの地を歩く旅 平家物語と京都へ 京都御苑へ