旅 瀬戸内(たびせと)

       
      黒田官兵衛の里 西脇 GoogleMap    
             
     
    黒田城跡   
     
  荘厳寺     姥ヶ懐ー黒田官兵衛生誕伝承地ー   
  黒田官兵衛の里 西脇黒田官兵衛ゆかりの地
播磨(はりま)黒田氏と黒田城
左手(北ー荘厳寺からー)に見える山を「天狗山(てんぐやま)」といい、その山稜のあちこちに曲輪の跡があります。
この山城が播磨黒田氏の居城・黒田城です。
播磨黒田氏は、赤松円光(あかまつえんこう)−赤松円心則村(あかまつえんしんのりむら)の弟ーを元祖とする赤松庶流(あかまつしょりゅう)の一族です。
観応(かんのう)2年(1351)3月円光の子・七郎重光(しちろうしげみつ)がこの黒田城に移り、播磨黒田氏の始祖(しそ)、初代となりました。
以来その子孫は、九代二百数十年にわたり、黒田城主として存続しました。
八代黒田城主・黒田下野守重隆(くろだしもつけのかみしげたか)に男子二人あり、兄が治隆(はるたか)。弟が孝隆(よしたか)です。
治隆は父重隆の家督を継いで九代城主となりましたが、元亀(げんき)の頃(1570年代初め)合戦に敗れて戦死、播磨黒田氏は滅亡しました。
それより前、弟の孝隆は、姫路城主・小寺美濃守職隆(こでらみののかみもとたか)の猶子(ゆうし)−養子ーとなっており、小寺官兵衛(こでらかんびょうえ)を名のって、播磨の国飾東郡(しきとうぐん)の御着(ごちゃく)城主・小寺氏の家老となっておりました。
この小寺官兵衛が豊臣秀吉の参謀役として有名な黒田官兵衛ー如水(じょすい)−です。
当地、黒田は、官兵衛の先祖、赤松庶流・黒田氏の根本地(こんぽんち)であり、しかも黒田官兵衛自身の出生地(しゅっせいち)です。
これらは、心光寺旧記(しんこうじきゅうき)等の姫路の古文書、そして当山所蔵の荘厳寺本黒田家略系図(しょうごんじほんくろだけりゃくけいず)の史料研究によって
近年はじめて判明した新事実です。
これにより従来の通説はくつがえされました。
当地には黒田城址(くろだじょうし)のほかにも黒田氏ゆかりの場所があります。
それらを探訪して歴史散策をお楽しみください。
(現地案内板) 黒田の里案内マップ 黒田庄町案内図 黒田むらづくりマップ 白山・妙見山ハイキングコース案内図 官兵衛略歴
近くのキャンプ場 東はりま日時計の丘公園
 
     
         
   多田城(構居)跡ー城主屋敷群ー   松ヶ瀬ー官兵衛と母の別れの地ー     円光寺跡ー黒田家菩提寺ー  
         
  兵主神社   JR本黒田駅    瀧尾神社   

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