旅 瀬戸内(たびせと)

源頼朝による幕府創建の地鎌倉 GoogleMap
     
     寿福金剛禅寺  
     
  鶴岡八幡宮      銭洗弁財天 宇賀福神社  
  源頼朝による幕府創建の地鎌倉
源頼朝は、治承4年(1180)、富士川の合戦の後、鎌倉に館となる大蔵御所を置き、幕府の統治機構の原型となる侍所を設置した。
そして元暦2年(1185)に、長門壇ノ浦で平家を滅ぼすと、朝廷は、頼朝に対し、東国に与えられた諸国への守護・地頭の設置・任免を許可、建久3年(1192)には征夷大将軍の宣下をした。
こうして、平清盛に始まった武家政権は、頼朝の鎌倉幕府により成立した。
鎌倉幕府は、元弘3年(1333)北条氏が新田義貞らの軍により滅ぼされるまで続いた。
 
     
  鶴岡八幡宮
源頼義公が前九年の役で阿倍貞任の征伐に成功した後、康平6年(1063)報賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる。
その後、治承4年(1180)源頼朝公が源氏再興の旗を挙げ、父祖由縁の地鎌倉に入ると、まず由比郷の八幡宮を遥拝し、先祖を祀る為小林郷北山と呼ばれる現在の鶴岡八幡宮の地に移し、京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。
寿福寺
源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺。
銭洗弁財天 宇賀福神社
巳の年の文治元年(1185)、巳の月、巳の日、源頼朝に「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」との宇賀福神の夢のお告げがあった。
お告げの通りにこの地に湧き水があったので、さっそく宇賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれている。
 
       
   白旗神社   源頼朝の墓   大江広元の墓・島津忠久の墓・三浦一族の墓  
  白旗神社・源頼朝の墓
源頼朝の舘である、大蔵御所の北隅で頼朝の持仏堂のあった所。
建久10年(1199)に頼朝が53歳で没すると、頼朝はここに葬られ、幕府創始者の墳墓堂として、のちの時代の武士たちからもあつい信仰を集めた。
大江広元の墓・島津忠久の墓・三浦一族の墓
頼朝の墓から山道を少し歩くと、鎌倉幕府の基礎となった三浦一族や幕府、政所初代別当を務め幕府創設に貢献した大江広元、幕府御家人、島津忠久氏の墓が並んでいる。
 
           
   大蔵幕府跡   荏柄天神社     永福寺跡  
  大蔵幕府跡
治承4年(1180)、富士川の合戦の後、源頼朝が鶴岡八幡宮の東に建てた御所。
頼朝が鎌倉幕府を開いてからも政治の中心として1225年まで続き、その後、若宮大路東の宇都宮辻子(うつのみやづし)に移った。
荏柄(えがら)天神社
平安時代中頃、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い、そこに神社を建てて祀ったのが始まりとされている。
源頼朝が大蔵に幕府を開くと、その鬼門を守護する神社として崇められた。
国指定史跡 永福寺(ようふくじ)
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)に、工事に着手した。
堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130mに及ぶ伽藍で、前面には南北100m以上ある池が造られていた。
鎌倉市では、昭和42年(1967)度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めている。
 
           
   文覚上人屋敷跡   勝長寿院跡    東身延 本覚寺   
  文覚上人屋敷跡
鶴岡八幡宮の三の鳥居から金沢鎌倉線(204号)を東に、岐れ道を少し過ぎた所にある大御堂橋を渡って右側に文覚上人屋敷跡の石碑がある。
勝長寿院と源義朝主従の供養塔
文治元年(1185)源頼朝が父義朝の菩提を弔うため、この地に義朝と郎等鎌田正清(政家)の首を埋葬、勝長寿院を建立した。
鎌倉幕府滅亡後も足利氏によって護持されたが、16世紀頃に廃絶したと思われる。
2012年放送のNHK大河ドラマ「平清盛」の最初の場面で出てくる立柱式の場面は、この勝長寿院です。
東身延 本覚寺
本覚寺のあるこの場所は、幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂(えびすどう)を建てた所といわれている。
 
           
  妙本寺    安養院    元八幡社   
  長興山 妙本寺
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷があった所。
比企一族は二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされた。(比企の乱)
その後、乱から逃れていた末子能本(よしもと)が、日蓮聖人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てたのが妙本寺の始まりであるといわれている。
安養院
北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身と伝えられている。
その後、鎌倉時代末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院になった。安養院は北条政子の法名。
元八幡社
阿倍貞任の征伐にに成功した源頼義が、康平6年(1063)8月に石清水八幡宮を勧請し、ここ由比郷鶴岡と呼ばれる地に建てたのが始まり。
その後、治承4年(1180)10月に源頼朝が先祖を祀る為小林郷北山と呼ばれる現在の鶴岡八幡宮の地に移した。
ここが元八幡と呼ばれるのは、小林郷北山の現在鶴岡八幡宮がある地に移す前の八幡宮という意味。
 
         
   来迎寺   補陀洛寺    由比ヶ浜   
  来迎寺
時宗来迎寺の開基は、建久5年(1194)源頼朝が己の鎌倉幕府の基礎となった三浦大介義明の霊を弔う為、真言宗 能蔵寺を建立したときに始まる。
補陀洛寺
源頼朝が文覚上人のために建立したとされる。
由比ヶ浜
滑川河口の西側から稲村ヶ崎にかけての海岸で、海水浴場やサーフィンの海岸としてよく知られている湘南海岸の一部。
源義経の側室、静御前の産んだ子が男児であったため、この浜で海に沈められたとされている。
 
         
   満福寺   鎌倉大仏ー高徳院ー     JR鎌倉駅  
  満福寺
源義経が腰越状を書いた所として有名。
鎌倉大仏
源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。
 
           
   江ノ電    JR藤沢駅    JR北鎌倉駅  
           
  円覚寺     建長寺    長谷寺  

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