旅 瀬戸内(たびせと)

寂光院 GoogleMap
       
    山門   
       
  本堂    汀の池   
  「平家物語ゆかりの地を訪ねる旅」の中で、「建礼門院と大原御幸」を訪ねるために、2010年11月17日(水)に大原の里の谷間の奥にひっそりとたたずむ寂光院を訪問した。
今年は、紅葉が素晴しいと聞いてきたが、ここ寂光院でも丁度見頃で、歴史ある庭に一層の趣を添えていた。

寂光院
(じゃっこういん)
天台宗の尼寺で、山号は清香山(せいこうざん)、寺号は玉泉寺(ぎょくせんじ)という。
推古2年(594)に、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建造したと伝えられる。
初代住職は、聖徳太子の御乳人(めのと)であった玉照姫(たまてるひめ)で、その後、代々貴族の姫君らが法燈を伝えてきた。
文治元年(1185)9月、平清盛の息女、高倉天皇の皇后である建礼門院徳子が、壇ノ浦で滅亡した平家一門と子・安徳天皇の菩提を弔うため出家、入寺し、終生をこの寺で過ごした。
それ以来、御閑居(ごかんきょ)御所、また、高倉大原宮とも称されている。
翌文治2年(1186)後白河法皇が御幸したことは、平家物語や謡曲で有名な大原御幸(おおはらごこう)として知られている。
旧本堂は、内陣及び柱が飛鳥様式、藤原時代及び平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で、慶長8年(1603)に豊臣秀頼が修理したという歴史的に貴重なものであったが、平成12年(2000)5月9日の火災により全焼し、その姿は永遠に惜しまれるものとなった。
ともに破損した聖徳太子の作と伝えられる旧本尊・六万体地蔵尊は重要文化財の指定が継続されているが、損傷が甚だしいため、収蔵庫に安置されている。
現在の本堂及び本尊は平成17年(2005)6月に焼損前のものを基に忠実に復元されたものである。
                                                     京都市
(現地案内板より)
 
     
謡曲「大原御幸」と寂光院
文治2年(1186)4月、壇ノ浦で平家が滅びて後、洛北寂光院に隠棲された建礼門院(徳子・高倉帝の皇后)を後白河法皇が訪ねられたことは「平家物語、灌項巻」にくわしく、また謡曲「大原御幸」にも謡われている。
当時、法皇は鞍馬街道から静原を経て江文峠を越え大原村に入り寂光院を尋ねられているが、ここ寂光院の本尊は聖徳太子御作の地蔵菩薩で、その左に建礼門院の木像や阿波ノ内侍の張子の座像が安置されている。
謡の詞章にそって緑羅の垣、汀の池などが趣をそえ、うしろの山は女院の御陵域になっており、楓樹茂り石段は苔むし謡曲をしのぶことが出来る。
                                                            謡曲史跡保存会
(現地案内板より)
茶室 北庭園 雪見燈籠
建礼門院御庵室(ごあんしつ)跡 阿波内侍たち女官の墓 宝物殿
諸行無常の鐘 書院 本堂左の庭園

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