旅 瀬戸内(たびせと)

       
      出石城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地ー GoogleMap    
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   出石城跡   有子山城跡ー山名氏城跡ー    城下町出石  
  出石城跡
兵庫県豊岡市出石町内町
出石城は、慶長9(1604)年に小出英吉によって山頂の城を廃して築かれたもので、一国一城制による但馬唯一の城。
平山城に分類され、梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、下の郭、三の丸と梯子を立てかけたように城を築いている。
城主は、小出氏が九代(百年)、松平氏一代(十年)、仙石氏七代(百六十年余)と続き、明治の版籍奉還まで、二百七十年間五万八千石の本城として、また、但馬第一の雄藩として威容を誇った。
また、本丸には仙石公の藩祖、仙石権兵衛秀久を祠る感応殿や昭和四十三年に復元した東西隅やぐらがあり、往時の面影を偲ばせてくれる。  出石町観光協会
(現地案内板より抜粋)
  有子山城跡ー山名氏城跡ー
兵庫県豊岡市出石町内町
城史
この城は、天正2(1574)年、それまで山名氏の本城であった此隅山城(こぬすみやまじょう)にかわって、山名祐豊により築城された。
その名は落城した「子盗(こぬすみ)」(此隅)の名を嫌って「有子」と命名したという。
しかし、わずか6年後の天正8(1580)年天下統一をねらう織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征でによって城は陥落。
城主は因幡に出奔した。
その後城は、織田系の城主の管理となるが、江戸時代に入り、ふもとに出石城が築城され、有子山城は廃城となった。
現状
標高321mの有子山山頂に、主郭とその西方に6段のくるわが階段状に続き、また主郭の東南に千畳敷と呼ばれるくるわがある。
石垣の残りはよく、中世の城郭が、近世の城郭に移行するまでの、過渡期の形態をよく残している。
(現地案内板)
              有子山城跡
  重要伝統的建造物群保存地区 城下町出石
出石は「古事記」「日本書紀」にも登場する古い町である。
但馬開発の祖神「天日槍」がこの地を拓いたと伝えられている。
室町時代に山名氏が但馬を制圧し、出石に本拠を構えたことにより、但馬の中心として繁栄した。
その後、慶長9(1604)年ごろ、出石藩主小出吉英が有子山山頂の城を廃し、北側の山麓に平山城(出石城)を築いた。
これを契機に出石城下町は本格的な整備が行われたといわれている。
以後、藩主は、元禄10(1697)年には小出家から松平家、宝永3(1706)年に信州上田の仙石家と替わり、5万八千石を有する出石藩は、但馬地方の政治や経済の中心地として栄えた。
仙石氏お国替えの際、信州のそば打ちの技術が伝わった。
明治9年には城下町の三分の二を焼き尽くす大火に見舞われたが江戸時代の建築様式を承継した建物が再建され復興した。
近年では、落ち着きと安らぎのある歴史的なまちなみが「但馬の小京都」として知られるようになり、また美しい白磁の「出石焼」や名物の「出石皿そば」のまちとして、今日でも多くの人々を魅了し続けている。
 
 
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       出石の町パノラマー出石城跡よりー      
  出石城と黒田官兵衛
出石城が作られる前には、山名氏によって築城された有子山城が背後の有子山山頂にあった。
しかし、築城後わずか6年後の天正8(1580)年に天下統一をねらう織田軍によって城は陥落、城主は因幡に出奔している。
この時、黒田官兵衛は何らかの形でかかわっているのではないだろうか。
江戸時代に入り、ふもとに出石城が築城され、有子山城は廃城となっている。
 
         
   出石城 本丸跡   出石城跡 感応殿     出石そば発祥の由来  
  出石城 本丸跡
本丸跡には仙石公の藩祖、仙石権兵衛秀久を祠る感応殿や昭和四十三年に復元した東西隅やぐらがある。
ここからは、城下町の面影を残す出石の街並みを見渡すことが出来る。
  出石城跡 感応殿(かんのうでん)
出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀っている。
公は美濃の人で、豊臣秀吉に仕えて功があり洲本、高松の城主となり一時勘気を受けて浪人したが、小田原攻めで奮戦し小諸城主に返り咲いた。
その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捕らえた豪傑として伝説化されている。
仙石氏は、公のあと子の忠政が信州上田に移り、玄孫政明が宝永3(1706)年に出石に移封されて五万八千石を領し以来廃藩まで七代百六十三年間続いた。
明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公を祀る感応殿が建立され今日に至っている。
以後町の人々は本丸を権兵衛さんと愛称を以って呼び、例祭は五月の祥月命日に行われている。
     仙石科野大宮社御神木奉賛会
(現地案内板)  
  出石そば発祥の由来
城主仙石氏の藩祖権兵衛秀久公(信州小諸城主)は、大変そば好きで宝永3年(1706)、出石の松平忠徳公(のち忠周=老中)と御国替えで出石に入部の際、信州一の蕎麦打ち名人を伴い入国しそばを当地に広めた。
後、永年に亘り改良と技術研鑽を重ね、出石焼の小皿に盛り付ける独特の「出石皿そば」を創出し今日に受け継いできた。
    平成18年11月3日
    仙石科野大宮社御神木奉賛会
(現地案内板より抜粋)  
 
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   出石城跡 石垣    稲荷神社    恵方稲荷大明神  
  出石城跡 石垣
苔むした石垣は、時の流れを強く感じさせる。
何時までも残してほしい歴史遺産。
  稲荷神社ー出石城 稲荷郭ー
本丸跡のさらに上の段にある。
 
  恵方稲荷大明神ー出石城跡 稲荷郭ー   
         
   出石城 三の丸跡    稲荷神社 参道      
  出石城 三の丸跡          
         
   
             

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