旅 瀬戸内(たびせと)    兵庫県の旅ー観光ー    
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  竹田城跡軍師官兵衛あなたへ天と地と ロケ地ー      
  兵庫県の旅
兵庫県は、京都、大阪と境を接しており、平安時代から豊臣政権の時代にかけては、政治、軍事、経済の上で大きな影響を受け、また西日本への交流・流通の拠点として重要な役割を果たしてきた。
平清盛は、大輪田の泊を開くと共に一時ではあるが、福原への遷都を行っている。
  政治の中心が東に移った後の江戸時代から現代にかけても、神戸を中心に西日本や近畿地方への流通、経済の上で大きな位置を占めている。
2014年に放映される、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、その位置づけがどのように描かれていくのであろうか?
  私は、この大河ドラマを楽しむため2013年の一年間をかけて、播磨の国を中心に但馬地域など、黒田官兵衛ゆかりの地を旅してきたが、各地域の持つ歴史の奥深さを改めて知ることが出来た。
ドラマ上での各地域の描かれ方が楽しみである。
兵庫県は、淡路島の南端、紀伊水道から日本海まで多様な気候風土を有する地域を含んでいる。
 
 
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  ここでは、わかりやすくするため、兵庫県の観光案内などで区分されている区分に従がって、次の6つの地域に分けて案内する。
(1)神戸・阪神地域、(2)淡路地域、(3)東・北播磨地域、(4)中・西播磨地域、(5)丹波地域、(6)但馬地域
(1)兵庫県 神戸・阪神地域(神戸市・尼崎市・西宮市・芦屋市・伊丹市・宝塚市・川西市・三田市・猪名川町)
この地域は、兵庫県の県庁の所在地神戸を中心に京阪神都市圏の一部を占める人口密集地域である。大阪湾に面し、瀬戸内海国立公園の一部を形成する六甲山脈を中心に南には、神戸港とその関連港湾都市が、北側には丘陵地が広がりそれを縫うように山陽自動車道・中国自動車道が貫通している。
(2)兵庫県 淡路地域(淡路市・洲本市・南あわじ市)
大阪湾の入口に大きく横たわる瀬戸内海に浮かぶ島の中では最も大きな島で、南は紀伊水道と豪快なうず潮の渦巻く鳴門海峡および友ヶ島水道に、北は潮の流れが早く、全国的にも有数の鯛や蛸の漁場となっている明石海峡、東は大阪湾、西は播磨灘に面している。
  (3)兵庫県 東・北播磨地域(明石市・加古川市・高砂市・稲美町・播磨町・西脇市・三木市・小野市・加東市・加西市・多可町)
日本列島のほぼ中心に位置し、東経135度の子午線が貫く、兵庫県の主要河川の一つ加古川が瀬戸内海に流れ込みその流域には肥沃な平野と丘陵(清水東条湖立杭県立自然公園・播磨中部丘陵自然公園)が広がっている。

(4)兵庫県 中・西播磨地域(姫路市・神河町・市川町・福崎町・相生市・たつの市・赤穂市・宍粟市・上郡町・佐用町)
天下の名城姫路城、赤穂浪士で有名な赤穂城、書写山円教寺、うすくち醤油と名産「揖保の糸」で知られた手延べそうめん、因幡街道の宿場町として栄えた平福の町並みなど豊かな自然の中に歴史ある町並みや建造物が多く残っている地域。西播丘陵県立自然公園、雪彦峰山県立自然公園、氷ノ山後山那岐山国定公園などの丘陵や高原も適度に分布している。
また、瀬戸内海には瀬戸内海国立公園の一部である家島諸島が浮かんでいる。
播磨灘の西部の港町室津は、「此の泊 風を防ぐこと 室の如し」(播磨国風土記)と記されているように古来より天然の良港で、奈良時代には僧行基によって摂播五泊の一つに定められ、江戸時代には参勤交代の西国大名の上陸地として「室津千軒」といわれるほどに大いに栄えた。
  また、井原西鶴た谷崎潤一郎などの小説の舞台ともなり、多くの悲話や伝説を秘めた歴史と旅情の土地であり、美しい瀬戸内の風光に恵まれた港町である。
(5)兵庫県 丹波地域
(篠山市・丹波市)
兵庫県の内陸にある自然と歴史豊かな地域。内陸部であるにもかかわらず特にこれといった高山はなく、それを証明するかのごとく日本一低い中央分水界や平城篠山城跡がある。
また、京都府との境近くには、多紀連山県立自然公園が。
(6)兵庫県 但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)
兵庫県の日本海に面した地域。海岸線は、山陰海岸国立公園が続いており、その南には氷ノ山後山那岐山国定公園である、神鍋高原、ハチ高原、ハチ北高原などスキーのメッカが目白押し。
東部には出石糸井県立自然公園が。
また、この地域には、多くの文人墨客が訪れた城崎温泉、夢千代日記で一躍有名になった湯村温泉を初め多くの温泉が散在している。
    
 
  兵庫県のキャンプ場・スキー場・温泉      
         
  兵庫県のキャンプ場    兵庫県のスキー場   兵庫県の温泉  
     
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  兵庫県 神戸・阪神地域(神戸市・尼崎市・西宮市・芦屋市・伊丹市・宝塚市・川西市・三田市・猪名川町)      この地域は、兵庫県の県庁の所在地神戸を中心に京阪神都市圏の一部を占める人口密集地域である。大阪湾に面し、瀬戸内海国立公園の一部を形成する六甲山脈を中心に南には、神戸港とその関連港   湾都市が、北側には丘陵地が広がりそれを縫うように山陽自動車道・中国自動車道が貫通している。   
         
   神戸(オープンエア・おかやまへ)    神戸しあわせの村(オープンエア・おかやまへ)   有馬温泉   
  兵庫県 神戸・阪神地域の旅
神戸

六甲山の山懐に抱かれた神戸は、古くより良港として知られており、その風光明媚さと相俟って多くの人々の憧れの地として発展してきた。
平清盛の時代には、日宋貿易の拠点となり、室町時代になると兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれ、足利義満の日明貿易で経済の発展みならず中国からの多様な文化を輸入する役割も担った。
江戸時代に入ると、西回り航路の北前船で大いに栄えた。明治維新を迎え海外との交易が盛んになると、兵庫津の少し東に神戸港が開港(1868年)。
  神戸港に近い、旧居留地や北野町には、多くの外国人が移り住みエキゾチックな港町町神戸の原点となっていった。
その後も、旧居留地や北野町には伝統的な建物を残し、ポートアイランド、六甲アイランド、ハーバーランドなどの埋め立て地に、新しい町並みを発展させ、ますますその魅力を増しつつある。
神戸しあわせの村
しあわせの村は子供から大人まで、またお年寄りの方も、障害のある人も、誰もが気軽に利用できるスポーツ・レクリエーション・リフレッシュのための場所で、さまざまの施設が充実しており。
これらの施設を安価に利用することができる。ここでは、野外活動センターに所属する施設をご紹介。
  有馬温泉黒田官兵衛ゆかりの地
有馬温泉は、日本三大古泉の一つに数えられる、自然と歴史豊かな温泉。街中はもちろん周辺にも遊歩道が整備されている。
 
         
  須磨寺(オープンエア・おかやまへ)    生田神社   福原京と源平一の谷合戦古戦場  
  兵庫県 神戸・阪神地域の旅
須磨寺

真言宗須磨寺派の大本山で、平敦盛と熊谷直実の物語で広く知られている。
「源平の庭」には、海上に馬を乗り入れ沖へ逃れようとする平ノ敦盛とそれを呼び返す熊谷直実の騎馬像が・・・。

  生田神社
一の谷に安徳天皇の内裏と本陣を構えた平家は、鉢伏山山頂へ西門を、当事の生田川沿いの生田の森に東門を構え、生田川を挟んで源氏軍と対峙した。大将は平知盛。
生田神社境内には、謡曲「箙」で知られている梶原源太郎景季ゆかりの「箙(えびら)の梅」、景季が水を汲んだ時箙の梅が映ったといわれる梶原の井敦盛萩など多くの史跡が散在している。
  福原京と源平一の谷合戦古戦場
福原京と大輪田の泊

平安時代末期、平家一門が日宋貿易の港である大輪田泊を見晴らす福原の地を領有し、ここに多くの邸宅を構えた。
治承4(1180)年、政権の強化を図った平清盛が孫の安徳天皇を奉じて都造りをはかったのが「福原遷都」である。「雪見御所」の石碑がその歴史を今に伝えている。
源平一の谷合戦
木曽義仲に京の都を追われ、安徳天皇を奉じて九州、大宰府へ逃げ延びていた平家は、体制を立て直して屋島に本拠地を構えると共に須磨、一の谷に陣を築き都の奪還を図っていた。
寿永3年2月7日、後白河法皇から平家追討の命を受けた源義経は、鵯越(ひよどりごえ)の坂落(さかおとし)で良く知られている一の谷の合戦の火蓋を切るのである。
この美しい須磨の地には、謡曲「敦盛」で知られる須磨寺、安徳天皇内裏跡伝説地、戦いの浜、熊谷次郎直実によって首を討たれた平敦盛の冥福を祈って建立されたとする敦盛塚などがあり、秘めた歴史を今に伝えている。
 
 
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   有岡城跡ー伊丹城跡ー    今の伊丹    枝吉城址ー黒田官兵衛の母の里明石氏の城ー  
  兵庫県 神戸・阪神地域の旅
有岡城跡黒田官兵衛ゆかりの地
南北朝時代から伊丹氏の城、伊丹城として発展してきた。
永正17年(1520)からは、城下町をも城の中に取り込んだ「惣構(そうがまえ)」構造の城に改築を開始、その後も一向宗との合戦など、数々の戦いを経て次第に強化されてきた。
天正2年(1574)、織田信長の部将、荒木村重が伊丹氏を破って入城し、「有岡城」と改名した。
    
  そして摂津一国の軍事上の中心とした大改修を行い、主郭部・侍町・町屋地区の全体を塀と土塁で囲み、北・西・南にそれぞれ砦(とりで)を配した惣構の城を完成させた。
天正6年(1578)、村重が信長に背(そむ)いたため、大軍によって包囲され、10ヶ月の攻防戦の末に落城した。
その後、池田之助(ゆきすけ)が城主となりますが、同11年には美濃国に移り、城は廃されました。
  枝吉(しきつ・えだよし)城址について
ー黒田官兵衛の母の里明石氏の城ー
枝吉城は、戦国争乱の時代が幕をあける十五世紀中ごろ、明石氏によって築城された。
城を台地上にかまえ、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され、一時は地域の中心として賑わった。
その後、枝吉城は二度の合戦を経て、城下町もそのたびに戦火にあったが、十六世紀末にはキリシタン大名の高山右近重友が最後の城主となり、一世紀半にわたる枝吉城の歴史は終った。
(現地案内板より抜粋)    枝吉城城郭配置図
黒田官兵衛の母いわは、枝吉城主明石宗和ー長行・正風ともーの娘ー享禄4(1531)年生まれー黒田家の主君 御着城主小寺政職の養女。
官兵衛の父職隆との間に二男二女をもうけており、官兵衛は長男。
次男兵庫介ー利高ともーは「黒田二十四騎」の一人として、官兵衛や長政を助けていく。
 
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  兵庫県 淡路地域(淡路市・洲本市・南あわじ市)       大阪湾の入口に大きく横たわる瀬戸内海に浮かぶ島の中では最も大きな島で、南は紀伊水道と豪快なうず潮の渦巻く鳴門海峡および友ヶ島水道に、北は潮の流れが早く、全国的にも有数   の鯛や蛸の漁場となっている明石海峡、東は大阪湾、西は播磨灘に面している。  
           
    淡路島   淡路島のオートキャンプ場       
  兵庫県 淡路地域の旅
淡路島
大阪湾、播磨灘、紀伊水道の3つの海域に囲まれ、本州・四国との間には、明石海峡、鳴門海峡、紀淡海峡と3つの海峡を有する。
    
  南北約40km、東西約20km、面積約592平方キロメートルで瀬戸内海の島の中では一番大きい。瀬戸内性気候のため温暖、少雨。
明石海峡大橋と大鳴門橋で本州、四国に連絡している。
     
             
  兵庫県 東・北播磨地域(明石市・加古川市・高砂市・稲美町・播磨町・西脇市・三木市・小野市・加東市・加西市・多可町)      日本列島のほぼ中心に位置し、東経135度の子午線が貫く、兵庫県の主要河川の一つ加古川が瀬戸内海に流れ込みその流域には肥沃な平野と丘陵(清水東条湖立杭県立自然公園・播磨中部丘陵自然公園)が広がっている。       
         
   明石公園(オープンエア・おかやまへ)    魚の棚(オープンエア・おかやまへ)   志方城跡    
  兵庫県 東・北播磨地域の旅
明石公園
市街地、しかもJR駅のまん前にありながら緑と自然にあふれた公園。春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉と人々に潤いを与えてくれる。
   
  魚の棚(うおんたな)
流れの速い明石海峡、古くから明石鯛や明石ダコなどの獲れる全国的にも有数の漁場のすぐそばにある。明石の城下町の台所として発展してきた。
鮮魚の他にも、干物などの海産物や”いかなごのくぎ煮”、明石焼から衣類や生活用品まで扱う店が並んでいる。明石駅からは徒歩でわずか5分ほど。
  志方城跡黒田官兵衛ゆかりの地
軍師 黒田官兵衛の妻・光(てる) 幸圓(こうえん)が生まれた城。
観音寺は志方城の本丸があった場所。
 
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   志方八幡宮    三木城跡     雲龍寺   
  兵庫県 東・北播磨地域の旅
志方八幡宮黒田官兵衛ゆかりの地
祭神:誉田別命外二神
天永2(1111)年宮谷に創祀され、明応元(1492)年現在地に奉還して八幡神を勧請した。
古来、厄除安産の神、交通安全の神として高く崇敬され、播磨三社八幡の一つ。
志方八幡神社は、志方城とその周辺を眺めるビューポイントとしてお勧め。
    
  三木城跡黒田官兵衛ゆかりの地
室町時代の後期、東播磨八郡の守護代となった別所則治によって、明応年間(1492〜1501)に築かれた。
戦国時代末、五代城主長治のとき、天下統一を目指す織田信長の家臣羽柴秀吉に攻められ、天正6年(1578)4月より1年10ヶ月に及ぶ兵糧攻めを受け、天正8年(1580)1月17日に長治一族自害によって開城。
  雲龍寺
天徳2年(958年)に慈恵僧正の創建と伝えられている。
羽柴秀吉との三木合戦時には、三木城内にあったため、殿堂及び伽藍は焼失した。
天正8年(1580年)1月17日、一族の最後を弔うために、雲龍寺7世の住職春泰禅師が、当時の三木城主別所長治公の自害の席に招かれたとき、長治公は後事を禅師に託し、日頃から愛用していた「天目茶碗」と「唐子遊びの軸」を形見として贈呈した。

別所長治公・照子夫人首塚がある。
 
         
   播州三木 大宮八幡宮    三木市街の見所   竹中半兵衛の墓    
  兵庫県 東・北播磨地域の旅
大宮八幡宮ー三木市ー
応神天皇をはじめ八柱の神を祀っている。
創建年代は詳しくは分からないが、第36代孝徳天皇の世、既に宮山の上に磐境があり、第74代鳥羽天皇の世天永2年、今の地に社殿を遷したと伝わる。
第62代村上天皇第7皇子、具平親皇胤源秀房の孫頼清(別所氏の祖)が播磨国の守護となると当宮を氏神とした。
これから東播8群の所領、三木城主別所氏は代々の産土守護神とした。
天正8年、三木城主別所氏が亡ぶ際に兵火に罹り、灰燼となったと伝えられる。
天正11年、羽柴秀吉の命により三木領主中川秀政が産土守護神として当営を再建造営した。
慶長8年、姫路城主池田輝政は、家老伊木長門守をして、美嚢川原に於て田畑50石及境内の山林竹木を黒印を以て寄進せられ、応神天皇の左右に八神を配祀した。
従って、これより九社八幡宮と云い、現在は大宮八幡宮と云う。
御本殿は天和2年(西暦1682)に再建せられたものである。
         大宮八幡宮
(現地案内板より抜粋)
 
  三木市街の見所
三木市は、古い歴史と自然に恵まれ、播磨風土記には億計、弘計2皇子の古代ロマンの物語が記されている。
また、戦国時代には、24万石を領した別所氏の居城があった。三木合戦によって一時荒廃したが豊臣秀吉の復興策により商工業が活発化し、今日の金物産業発展の基礎をつくった。
吉川町の合併により山田錦(酒米)の主生産地となり、三木金物ブランドとともに更に発展が期待されている。
一方、市域内を中国及び山陽自動車道が通過するなど、全国的にも交通の要衝として注目され、数多くのゴルフ場が立地するほか、「グリーンピア三木」「三木ホースランドパーク」「山田錦の館」「吉川温泉よかたん」など、観光資源も多彩なものがある。
  竹中半兵衛の墓黒田官兵衛ゆかりの地
天文13(1544)年〜天正7(1579)年。戦国時代の部将で初名は重虎、のちに重治、別名半兵衛。
竹中半兵衛重治は、初め斎藤龍興に属し、後に織田信長に従い、秀吉と共に各地に転戦し殊勲を立てる。
黒田官兵衛と共に戦国時代を代表する軍師として知られ、「両兵衛」「二兵衛」と称された。
三木城攻めの際中、平井山の陣中で胸を病み、一時は京都に移って療養していたが、固着した戦況を心配、陣中に帰ってきて天正7年6月13日、36歳の若さをもって永眠
 
         
   黒田官兵衛の里 西脇黒田庄説    大蔵海岸   明石市役所   
  兵庫県 東・北播磨地域の旅
黒田官兵衛の里 西脇黒田庄説黒田官兵衛ゆかりの地
通説として、黒田官兵衛の先祖黒田家発祥の地は、長浜 木之本ーと云われてきた。これは、福岡藩に仕えた儒学者・貝原益軒が編纂した「黒田家譜」によるものである。
しかし、播磨地域には、黒田家の発祥の地が西脇市にある黒田庄町黒田であることが古くから語り伝えれており、特に平成23年に、この黒田にある荘厳寺で、黒田氏の発生から滅亡までの歴代が記された「荘厳寺本黒田家系図」が発見されてからは、黒田家発祥の地が西脇であるという説を研究する機運が盛り上がっている。
  
  大蔵海岸ー明石ー
TEL078-914-7255
〒673-0879 兵庫県明石市大蔵海岸通1丁目〜2丁目
JR朝霧駅付近から明石駅付近、山陽電車大蔵谷駅付近から山陽電車明石駅の南付近の南の海岸沿いに造られた海浜公園。
明石海峡大橋や淡路島の眺望が素晴しい。
バーベキュー施設、レジャー用品の販売店舗ースポーツデポ明石大橋海岸店ー、スーパー銭湯なども誘致されている。
  明石市役所
TEL078-912-1111
〒673-0883 兵庫県明石市中崎1丁目5−1

明石市ホームページ
 
       
   江井ヶ嶋酒造   浜の散歩道    江井島港ー魚住泊ー   
  江井ヶ嶋酒造
TEL078-946-1001
〒674-0065 兵庫県明石市大久保町西島919
江井ヶ島は、酒造りに適した湧き水や播磨平野の良質な米、気候に恵まれ、江戸時代から酒どころとして栄えてきた。

江井ヶ嶋酒造は、設立以来100年以上の歴史をもつ総合酒造メーカーで清酒をはじめ焼酎やみりん、ワイン、ウイスキー、ブランデーなどの洋酒部門にも積極的に取り組んできている。
この工場の前には、昭和59年ウイスキー蒸留所も竣工している。      江井ヶ嶋酒造株式会社ホームページ
  浜の散歩道ー明石市ー
明石市の海岸沿いは、明石大橋の見える海岸としてよく知られているが、山陽電車の藤江から西二見付近までの海岸沿いには「浜の散歩道」ーサイクリングも可ーと名付けた、車の通行を制限した風光明媚な道路が整備されている。
道沿いには、自然の松原に囲まれた住吉神社、播磨・摂津の五泊の一つとして重要な港とも呼ばれた
魚住泊、明石海峡大橋や淡路島を望む江井島海水浴場、明石原人発掘地など、海の風を感じながら自然や歴史を訪ねるには最適。
明石江井島酒館には、地ビールや明石の新鮮な魚介類を味わうレストランもある。 
  江井島港の由来ー魚住泊ー
ここ江井島港はかって名寸隅(なきすみ)の船瀬と和歌などにも詠まれた赤根川河口の港で、その後魚住泊と呼ばれ、播磨・摂津の五泊の一つとして重要な港であった。
各泊の間はそれぞれ一日の航程の距離で、僧行基が定めたとされている。
沖合には好漁場が多く、鯛や蛸の獲れる港としてもよく知られている。(現地案内板より抜粋)
 
       
  住吉神社ー魚住ー     江井島海水浴場    明石江井島酒館  
  住吉神社ー魚住ー
TEL078-946-0417
〒674-0082 兵庫県明石市魚住町中尾1031
都市化されてしまった明石でかろうじて自然に近い風景が残っている。
やはり自然のままの風景は心が和む。
第一本殿 底筒男命、第二本殿 中筒男命
第三本殿 表筒男命、第四本殿 息長足姫命−神功皇后ー
御由緒
底筒男命、中筒男命、表筒男命を総称して、住吉大社という。
神功皇后によって摂津国住吉に祭られた。
住吉大神は「吾が居住(すま)はむと欲(ほ)りする処は播磨国に渡り住はむ」と御神宣を出された。
そこで神功皇后が新羅遠征の時当地に御滞泊になられ、神籬をたてて海上平穏を祈願されたゆかりのある此の地に、雄略天皇の八年(西暦四六四)四月初卯(う)日に勧請して御祭祀された。
以後当地方の総鎮守として崇敬されてきた。
(現地案内板より抜粋) 
  江井島海水浴場
兵庫県明石市大久保町江井島
遠浅で、水のきれいな海水浴場。
淡路島、明石海峡大橋などを望むことが出来る。
開設期間:7月1日〜8月31日(変更される場合がありますので確認下さい)
交通:第二神明道路「大久保IC」より車約15分
山陽電車「江井ヶ島駅」より徒歩約10分
 
  明石江井島酒館
TEL078-948-2060
兵庫県明石市大久保町西島1194
日本徳利博物館。酒造資料館
営業時間:平日11:00〜18:00(日・祝日10:30〜)
入館料:
地ビールレストラン明石ブルワリー
営業時間:11:00〜22:00(日・祝日10:30〜)
明石魚の棚寿司・麺坊はりまや
営業時間:11:00〜22:00(日・祝日10:30〜)
他に
和食レストラン江井ヶ島・イタリアンバル江井島漁港・ながさわなど
変更されている場合もありますので詳細は確認下さい。
 
 
       
   JR・山陽電車 明石駅    神吉城跡ー常楽寺ー   加古川城跡ー称名寺ー   
  JR・山陽電車 明石駅
JR山陽本線に乗っているとすぐ北側に、明石城が見えることでよく知られた明石駅、JR明石駅に並んで山陽電車明石駅が造られており乗換には非常に便利。
舞子付近からJRの南側に並行して走行してきた山陽電車は、明石駅から西は、JRから少し離れてより海側に近い所を走っている。
また、駅の間隔もJRよりは短いので、明石の海岸を訪れる場合は、ここ明石駅で乗り換えるのが便利。

JR明石駅ホームページ
山陽電車明石駅ホームページ
 
  神吉城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
赤松氏の一族赤松範次が築城した城で初代城主は範次の子元頼で神吉元頼を名乗った。
神吉集落全体が城域のいわゆる惣構の城であった。
中の丸を中心に東の丸・西の丸・二の丸の四つの曲輪をもっており小さいながらも天守閣が建てられていたといわれている。
現在、中の丸には常楽寺と神吉神社がまた西の丸には真宗寺が建てられている。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも放送されたが、羽柴秀吉の播磨攻めにおける加古川城での毛利討伐の軍議、いわゆる「加古川評定」の際、当時の城主頼定は赤松一族の別所氏に付き秀吉と戦ったが度重なる戦闘空しく頼定をはじめとする城兵は討死し、天正6(1578)年7月16日ついに落城した。
常楽寺の本堂裏の墓地には城主神吉頼定の墓がある。
  加古川城跡ー称名寺ーー黒田官兵衛ゆかりの地ー
鎌倉時代、糟屋有教により築城。
12代城主糟屋武則の時の天正5(1577)年、羽柴秀吉による毛利討伐の軍議(加古川評定)が播磨中の領主達を集めてこの城で開かれた。
この時、三木城主の別所長治は姿を見せず代わりに名代として毛利びいきの叔父別所吉親(賀相)が出席、志方城主で官兵衛の義兄櫛橋左京進と共に造反を宣言、追従する過半数の領主達を従えて出て行ってしまった。
これが三木の干殺しで有名な三木合戦の始まりとなり、野口城、神吉城、志方城、御着城など別所氏側に付いた城が攻め落とされることとなる。
城跡は称名寺となっており遺構は、堀だったと思われる水路などがわずかに存在するのみ。
 
 
       
   鶴林寺   教信寺ー野口城跡ー    野口城跡   
  鶴林寺ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
崇峻天皇2(589)年、聖徳太子が16才の時、秦河勝(はたのかわかつ)に命じ仏教をひろめる為の道場として建てられました。
釈迦三尊と四天王を祀り「四天王寺聖霊院」と称されたのがこの寺のはじまりといわれ、播磨の法隆寺とも呼ばれています。
平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物・国宝「太子堂」や、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえてきたため改心したと伝えられている国宝重要文化財「金銅聖観音像」など多くの文化財があります。
また官兵衛ゆかりのものとしては、天文9(1540)年ごろの官兵衛の父・職隆の書状や天正16(1588)年の官兵衛直筆の書状、信長や秀吉が鶴林寺への乱暴狼藉を禁じる禁制の文書のほか、織田勢に降伏した高砂城主・梶原景行が寄進した県指定文化財の机などが残っており、官兵衛と鶴林寺とは深いつながりがありました。
           加古川市
(現地案内板)
  教信寺ー野口城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
TEL079−422−7189
〒675−0012 兵庫県加古川市野口町野口465
天台寺の寺院で、本尊は阿弥陀如来。
平安朝前期の僧、沙弥教信がこの野口に庵をつくり、念仏を唱えながら仏の教えを説き、お百姓の手伝いをし、わらじを作って貧しい人に与えたり、旅をするお年寄りの荷物を運んだりして、大勢の人を助けたことから「荷送り上人」や「阿弥陀丸」とも呼ばれた。
庶民仏教の普及に努めた庵跡に建てたのが教信寺で、境内の左手奥に教信上人廟があり、春には、満開の桜が境内を彩る。
また羽柴秀吉の播磨攻めの時、寺の東側にあった野口城では、黒田官兵衛が指揮した秀吉軍と教信寺の僧兵と野口城兵が戦ったが、奮戦やむなく落城した。
加古川市
(現地案内板より抜粋)
 
  野口城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
野口城は野口丘陵の先端部に位置する、長さ43間(約83m)横21間(約42m)の丘城であったと伝えられている。
天正6年(1578)4月、秀吉の三木城攻めに際して最初に攻められたのがこの城で、城主の長井四郎左衛門長重以下の精兵がこれに対峙した。
野口城は四方を沼田に囲まれた要害であったが、秀吉は数万荷分の麦や草木でこれを埋め立て、3日3晩攻め立てたため、ついに降参したと言われている。
なお、この時、近くの教信寺も兵火にかかって全焼しているが、同寺の僧兵不動坊海長・経蔵坊春盛などが加わり、目覚ましい働きをしたと伝えられている。
平成14年11月 加古川市教育委員会
(現地案内板表現を一部変更)
 
       
  五社宮野口神社     光明山 宝蔵寺   阿閇城跡   
  宮野口神社ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
TEL079−422−4352
〒675−0012 兵庫県加古川市野口町野口326
約350年前の創建といわれているが、一説によれば、その昔、比叡山麓日吉神社(ひえじんじゃ)より御分霊をお迎えし、のち四柱の神を併せ祀ったともいわれている。
山王五社宮と呼ばれ権現号を称していたが、明治の初め野口神社と称するようになった。
主な行事
1月18日・19日 厄除大祭
7月28日     夏祭(湯だて)・大祓祭
10月15日に近い日曜日 例大祭
    加古川市 加古川市観光協会
(現地案内板)
        野口神社案内図
近くには秀吉により天正6年(1578)に攻め落とされた野口城があった。
  光明山 宝蔵寺ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
TEL079−437−8271
〒675−0126 兵庫県加古川市別府町本町1−23
奈良時代、行基菩薩の開基と伝えられている。
羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、毛利軍が食料を運び込むのを防ぐ重要な拠点となった阿閇城(あえじょう)が近くに在った為被災している。

多木化学の創始者多木久米次郎寄贈の日本最古と言われるオリーブの木やこの地、別府出身の俳人・滝瓢水の筆塚がある。
阿閇城の所在地については諸説あるが、その一つとしてここ宝蔵寺近くの西脇戎神社附近も挙げられている。
その阿閇城跡を探すための目印ともなるので「黒田官兵衛ゆかりの地」として取り上げた。
  阿閇城跡(あえじょうあと)ー別名別府城ー
ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
三木合戦において、三木城への食糧輸送路として重要な位置にあった阿閇城は、城主加古政顕が織田軍との戦いが開始されるとすぐ阿閇城を放棄し三木城へ入城し、秀吉方の入城を許してしまった。
毛利軍は阿閇城を取り返すべく、毛利・雑賀衆の8,000人の水軍を向かわせたが、官兵衛は500人ほどの兵で迎え討ち奇策で毛利・雑賀軍を追い返してしまう。
 
 
       
  大藤山 長楽寺     生石神社ー石の宝殿ー   酒相山 西岸寺   
  大藤山 長楽寺ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
標高約250mの大藤山の麓にある浄土宗の寺院で、和銅6(713)年慈心上人の開基。
高倉天皇が中宮建礼門院の安産を念じ、丹波老の坂の地蔵尊に祈願をされた。
するといとも簡単に玉のような皇子を拾いあげたことから、平清盛に命じて、全国六十余州の国々に一体ずつ安置させたものが、本尊の「木造地蔵菩薩半跏像(重要文化財)」。
以後、「谷の子安地蔵」として安産祈願に訪れる人が絶えない。
羽柴秀吉の播磨攻めの際、長楽寺の伽藍は焼失してしまったが、住職が本尊と釣鐘を背負って大藤山を越え、「蛇が池」に沈めた。
今も池の底には釣鐘があり、池の主である大蛇がしっかりと抱いていると伝えられている。
      加古川市
(現地案内板)
  生石神社(おうしこじんじゃ)ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
TEL079-447-1006
兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
御祭神:大己貴神、少彦名命
創建:崇神天皇13(紀元前85)年
日本三奇の一つとも言われる、縦・横・高さとも5.5mを越える巨大で不思議な石造物をご神体とする神社。
三奇とは塩釜神社の塩釜、霧島山の天の逆鉾、石の宝殿である。
天正7(1579)年、織田信長の播磨攻めの際、羽柴秀吉が三木城攻めの陣所として貸すように申し出たが拒否されたため焼き討ちをし、焼け残った梵鐘は関が原の戦で陣鐘として用いたといわれている。
その後、その鐘は、勝利した徳川軍が戦利品として美濃赤坂の安楽寺(大垣市)に寄進された。
ちなみに、当時の宮司は神吉城主 神吉頼定の弟であった。
 
  真宗大谷派 酒相山 西岸寺ー黒田官兵衛ゆかりの地ー
兵庫県加西市北条町北条1126
後藤又兵衛の甥が僧侶として務めた寺院。
元は北条町内の栗田にあったが承応元(1652)年に移転してきたと言われている。
後藤又兵衛の妹は、神吉城主に嫁いだが羽柴秀吉軍の播磨攻めの際神吉城は落城。
その時、5歳であった息子房太郎は、長じて西岸寺の住職恵覚となった。
寺には後藤又兵衛の槍などゆかりの品が保存されている。
 
 
  兵庫県 中・西播磨地域(姫路市・神河町・市川町・福崎町・相生市・たつの市・赤穂市・宍粟市・上郡町・佐用町)   天下の名城姫路城、赤穂浪士で有名な赤穂城、書写山円教寺、うすくち醤油と名産「揖保の糸」で知られた手延べそうめん、因幡街道の宿場町として栄えた平福の町並みなど豊かな自然の中に歴史ある町並みや建造物が多く残っている地域。西播丘陵県立自然公園、雪彦峰山県立自然公園、氷ノ山後山那岐山国定公園などの丘陵や高原も適度に分布している。
また、瀬戸内海には瀬戸内海国立公園の一部である家島諸島が浮かんでいる。
  播磨灘の西部の港町室津は、「此の泊 風を防ぐこと 室の如し」(播磨国風土記)と記されているように古来より天然の良港で、奈良時代には僧行基によって摂播五泊の一つに定められ、江戸時代には参勤交代の西国大名の上陸地として「室津千軒」といわれるほどに大いに栄えた。また、井原西鶴た谷崎潤一郎などの小説の舞台ともなり、多くの悲話や伝説を秘めた歴史と旅情の土地であり、美しい瀬戸内の風光に恵まれた港町である。  
         
   姫路城    姫路城周辺   坂越(さこし)   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
姫路城
黒田官兵衛ゆかりの地
白鷺の飛び立つ様に似て白鷺城とも呼ばれる。
江戸初期に建てられた、天守、櫓などの主要建築物が現存し、国宝・重要文化財・国の特別史跡に指定されると共に、ユネスコの世界遺産に登録されている。日本100名城に一つ。
1333年(元弘3年)、播磨国の守護職、赤松則村が護良親王の令旨を奉じ北条氏討伐の兵をあげて、ここに砦を築き、1346年(正平元年)則村の子、貞範が城館を初めて築いたのがはじまりとされている。
一方、赤松築城説を否定し、築城は16世紀中頃の黒田重隆、職隆父子によるとする説もある。
その後、羽柴秀吉が黒田孝高の勧めに従い、毛利攻略の根拠地として1581年(天正9年)三層の天守を築いたが、関ヶ原の戦いのあと播磨領主に封ぜられた徳川家康の女婿、池田輝政が
  
  1601年(慶長6年)から8年の歳月をかけて完成したのが、現在の五層七階の天守である。 
そして池田氏のあと入部した本多忠政のとき、その子忠刻の室に千姫を迎え化粧櫓や西の丸を築き、1618年(元和4年)今日見られるような全容を整えた。
その後城主は松平、榊原の諸氏を経て酒井氏が世襲して明治に至った。明治初代、この城も廃棄される運命にあったが、陸軍省中村重遠大佐の建言により保存された。そして幸い太平洋戦争下の被爆もまぬがれた。
昭和6年(1931年)には大天守、西小天守、乾小天守、東小天守とこれを結ぶ4棟の渡櫓が国宝に、それ以外の建築物74棟の建物が重要文化財に指定され、昭和31年(1956年)中濠以内107haが特別史跡に指定され、また、平成5年(1993年12月日本で初の世界遺産に指定された。
  坂越
坂越(さこし)の町は、聖徳太子の時代からの古い歴史を持つ。
波静かな瀬戸内海の坂越浦に浮かぶ生島(いきしま)は、644年蘇我入鹿の乱をのがれた秦河勝(はたのかわかつ)が上陸した島として、墓所が築かれ、それ以来神地とされたため、島全体が原生林に覆われている。
また、秦河勝を祭り、坂越の氏神でもある大避(おおさけ)神社や行基菩薩が開山したと伝えられる妙見寺の建つ山の麓には、千種川と瀬戸内海の良港坂越港を結ぶ大道(だいどう)を主軸に発展した町が、その古い町並みを今に伝えている。
 
         
   室津    醤油と赤とんぼの町龍野(たつの)    赤穂岬   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
室津 歴史とロマンのまち
室津は、神武天皇東征の折、港を創設されて以降の歴史を持つとの伝説のある天然の良港。
奈良時代には僧行基によって摂播五泊の一つに定められ、江戸時代には参勤交代の西国大名の上陸地として大いに栄え「室津千軒」といわれた。
また、井原西鶴や谷崎潤一郎などの小説の舞台になり、多くの悲話や伝説を秘めた歴史と旅情の土地であり、美しい瀬戸内の風光に恵まれた港町である。
  龍野 醤油と赤とんぼの町
うすくち醤油と赤とんぼで知られる龍野。兵庫県の南西部に位置し、古くから交通の要衝でもあった。
播磨の小京都、と呼ばれる通り、戦災にあっていないため、日本の城下町の良さをいっぱい残しており、閑静なたたずまいは、本当に「心のふるさと」といえる素晴しい町である。
西播磨なぎさ回廊
たつの市・相生市・赤穂市。これら3つの市内に、5つの特徴豊かな「なぎさ」が存在する。これらの「なぎさ」をつなぐ道筋を「西播磨なぎさ回廊」としてネットワークをつくり交流していくことを目指して、「西播磨なぎさ回廊づくり連絡会」が結成されている。
私も、すぐ隣の岡山県にいながらその魅力を十分には知らなかったが、最初に「坂越」を訪れ、室津など周囲も訪問して改めて、その深い歴史と、自然環境のすばらしさに気付かされた。
5つのなぎさとは?
  赤穂岬
自然豊かな、瀬戸内海国立公園赤穂御崎からは、播磨灘に浮かぶ家島諸島や小豆島を見渡すことができ、海岸遊歩道では、御崎福浦海岸、大石内蔵助が赤穂を去る時何度も見返したと言われる「大石名残の松」など自然や歴史を満喫することができる。
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       播磨科学公園都市      
         
   家島諸島   和食レストラン すみれ亭    天然温泉「佐用の湯」   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
家島諸島
兵庫県の南西部、姫路沖の播磨灘に浮かぶ40余りの島々の総称。主な島としては、家島本島を中心に男鹿島、坊勢島、西島の4島がある。
島内各所からの眺めが素晴しく、昭和22年には、瀬戸内海国立公園に編入されている。
菅原道真公ゆかりの家島神社をはじめ、弁天島など名所・旧跡も多く、また、海洋レジャー・リゾート基地として釣りや海水浴、ヨットなどのマリンスポーツを楽しむ多くの人が訪れている。
  和食レストラン すみれ亭
TEL0791-58-0600 
〒678-1205 兵庫県赤穂郡上郡町光都3丁目1−1
営業時間:11:00〜21:00(ラストオーダー20:30)
兵庫県立先端科学技術支援センターに付属したレストラン。
  天然温泉「佐用の湯」
TEL0790-82-3426 
〒679-5346 兵庫県佐用郡佐用町口金近459−74
営業時間:10:00〜22:00
アルカリ性単純温泉、無色透明、無味無臭、やわらかく刺激が少ない。
効用:神経痛・関節痛・五十肩・関節のこわばり・くじき・うちみ・運動麻痺・慢性消化器病・痔疾・疲労回復など
 
         
   ほたるの里安富 花温泉   雪彦温泉    安志加茂神社   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
ほたるの里安富 花温泉 
TEL0790-66-4300 
〒671-2401 兵庫県姫路市安富町安志1298−26
日帰り天然温泉 硫黄療養泉(源泉1kg中に2mg以上硫黄を含有する)、殺菌作用があり温熱効果が高く飲用では解毒作用がある。
入泉料:大人700円・小人400円・回数券(11枚綴り)7,000円
営業時間:10:00〜21:00
定休日:木曜日(祝祭日・年末年始は休まず営業)
  雪彦温泉
兵庫県姫路市夢前町山之内字掛の谷甲120番
営業時間:10:00〜19:00(受付終了は18:30) 
料金:大人700円 子供450円
泉温:25.5℃ 湧出量30リットル/分 無色・無臭・無味・微弱な硫化水素臭 PH9.91 ラドン含有量:5.39マッヘ
泉質:アルカリ性単純泉(低張性、アルカリ性、低温泉)
適応症:神経痛・筋肉痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進など
  安志加茂神社
祭神:別雷神
寿永3(1184)年、源頼朝が京都、上賀茂神社に神領を寄進、上賀茂神社の荘園、安志庄の総社として造営されたと伝えられている。
境内には、安志稲荷、弁天宮も祀られており、また、約8,000株のあじさいが植えられ、「あじさいの里」と呼ばれている。
隣には、安富町の「あじさい公園」もある。あじさいは安富町の町花に指定されている。
    
 
         
   雪彦山    賀野神社    鹿ヶ壷  
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
雪彦山
日本百景並に日本三彦山の一つで洞ヶ岳(ほらがだけ)、鉾立山(ほこたてやま)、三辻山の三山の総称である。
中でも洞ヶ岳は岩肌をあらわに見せて険しく聳え立ち、玄常上人以来の修験者の道場となっている。
  賀野神社
賀野神社の由緒は古く応神天皇諸国巡幸の際、夢のお告げにより鉾立山頂に伊弉諾神、伊弉册神、保食神(うけもちのかみ)を祀られたが中世に今の地に移された。
明治元年(1868)神仏分離令により、雪彦山金剛鎮護寺を廃し、賀野神社に高座霊神、神産霊神、誉田天皇(応神天皇)の三神を合祀して現在に至る。
慶応4年(1864)改築の本殿は実に素晴しいものである。
  鹿ヶ壷
林田川の源流、雪彦峰山県立自然公園内にあり、滝の流れは20度から90度の階段状の急斜面を水が上流から運んだ石や砂とともに流れ落ち、階段面において旋回、数十万年の長い歳月に岩盤、河床をえぐり、岩質は石英粗面岩のかたい岩質であるが削り磨いて、大小数十個の甌穴をつくり、これらの甌穴に鹿ヶ壷、底無し等その形状にちなんで古くから名前が言い伝えられている。
最大の甌穴が鹿ヶ壷であり、鹿が寝ている姿に似ており、鹿ヶ壷と名づけられ全体の代名詞となっている。
底無し壷はその深さ約6メートルあり、まったく底が見えないところから名前がつけられこれらすべて一枚岩盤で出来ており、甌穴の大きさ、またその数においても全国的にもめづらしいと言われている。
 
         
   千年家   安富ダム・富栖湖    道の駅みなみ波賀   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
千年家
上屋軸組の構造技法などからみて室町末期のものと推定されており、民家としては全国でも一・二を争う古い遺構である。    
  安富ダム:1986年完成の重力式コンクリートダム(高さ約50m・長さ約145m・総貯水量295万?)ー洪水調節・農地防災が目的。
富栖湖(とみすこ):安富ダムによってできた湖で、静寂の中での春の新緑、秋の紅葉が美しい。
  道の駅みなみ波賀 
TEL0790-75-3999 
兵庫県宍粟市波賀町安賀8−1
営業時間:9:00〜19:00(レストランは11:00〜)
定休日:水曜日
中国自動車道「山崎IC」から国道29号を北上、約25km(約30分)
山陽自動車道「姫路西IC」から国道29号を北上、約40km(約50分)
阪神高速・姫路バイパス「姫路西ランプ」から国道29号を北上、約50km(約60分)

  道の駅 みなみ波賀案内図 宍粟市波賀町案内図
 
         
   道の駅「はが」    よふど温泉    南光ひまわり館  
  ー兵庫県 中・西播磨地域ー 
道の駅「はが」 
TEL0790-75-3711
兵庫県宍粟市波賀町原149
特産品コーナー:開設時間9:00〜18:00 
休日:木曜日、年末年始 
(おみやげ)手づくりこんにゃく、山菜佃煮、笹うどん、りんごジャム、きなこ飴、波賀かりんとう、木工品など
レストラン(楓の里)−名物笹うどん、山菜うどん・そば 10:00〜18:00 休日:木曜日、年末年始
* トイレ・駐車場(29台ー大型車3台・普通車26台)・公衆電話は24時間利用可能
設置路線:国道29号線
波賀町は、町内を国道29号線が縦断しており、氷ノ山後山那岐山国定公園、音水深林県立自然公園に囲まれた町で、赤西・音水渓谷、音水湖、原不動滝などの景観美を楽しむことができる。
近くには、スキー場、波賀温泉、観光りんご園などの観光施設にも恵まれている。

          
波賀町観光案内地図  
  よふど温泉 
TEL079-670-7070 
〒669-5135 兵庫県朝来市山東町森字極楽108番地
よふど温泉は朝来群山県立自然公園の麓にあり、目の前には自然豊かな農村風景が広がっており気分をなごませてくれる。
泉質ー単純低温泉、新陳代謝をよくするラドンの含有量が多い。
効能ー神経痛、筋肉痛、慢性消化器病、冷え症
適応症ー関節痛、筋肉痛、五十肩、うちみ、くじき、痔疾、運動麻痺、慢性消化器病、冷え性、疲労回復など
泉温ー25.1℃
交通:播但有料道路「和田山IC」より車約10分         
    山東町観光マップ
 よふど温泉ホームページ
  南光ひまわり館
TEL0790-77-0766 
〒679-5227 兵庫県佐用郡佐用町船越232−1
ひまわり油の搾油・製品化・販売とひまわり油を利用した新製品の開発を中心に佐用町の特産品の販売コーナーを設け、また、軽食喫茶コーナーでは、特産品のカレーやうどんも食べることができる。
千種川の対岸には、南光自然観察村・長林キャンプ場も開かれており自然とのふれあいも楽しむことができる。
           南光ひまわり館ホームページ
 
         
   ひまわり畑    音水湖   道の駅「山崎」   
  ー兵庫県 中・西播磨地域の旅 
佐用町 ひまわり畑 
問い合わせ先ー佐用町役場TEL0790-82-2521 
〒679-5380 兵庫県佐用郡佐用町佐用2611番地1
佐用町では、関西でも屈指の、ひまわり畑が広がるひまわりの名所。町内のいたる所でひまわり畑を見ることができる。
ひまわり畑は、県道53号線・72号線沿い、特に53号線沿いに多く分布している。
宝蔵寺約24万本・米田約19万本・林崎約34万本・東徳久24万本・漆野約15万本・西下野約16万本
交通:JR姫新線姫路駅から約1時間、播磨徳久駅下車、徒歩約20分(約2km)−途中にひまわり畑を見ながら行くことができる。
車ー中国自動車道佐用ICからJR播磨徳久駅・太田井橋経由千種川沿いに北上(7km約10分)。
 
  音水湖(おんすいこ)
TEL引原ダム管理事務所0790-73-0436 
〒671-4204 兵庫県宍粟市波賀町176−11
引原ダムによりできた人工湖。カヌーコースがあり、春は桜、初夏の新緑、秋の紅葉が楽しめる湖。
引原ダムー揖保川流域に造られた、洪水調節、かんがい用水、発電、工業用水を目的とする多目的ダム。昭和33年3月完成。
      引原ダム周辺マップ 音水湖周辺マップ 
      音水湖カヌークラブホームページ
  道の駅「山崎」 
TEL0790-63-0400 
兵庫県宍粟市山崎町今宿96−1
営業時間:8:00〜20:00(レストランは8:00〜20:00) トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用可能
物産館:そうめん(揖保の糸)、黒大豆、美味しそう米(地元米ブレンド)など
休館日:毎月第2火曜日(祝日の場合は第3金曜日) 年末年始
交通:中国自動車道山崎ICから国道29号線を鳥取方面へ車約1km
兵庫県西部のほぼ中央に位置し山陽道と山陰道を結ぶ因幡街道(国道29号線)沿いに位置。
         周辺案内図
 
         
   道の駅「播磨いちのみや」   伊和神社     書写山円教寺  
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
道の駅「播磨いちのみや」 
TEL0790-72-8666 
兵庫県宍粟市一宮町須行名510−1
営業時間:売店9:00〜18:00 
レストラン:3月〜11月8:00〜20:00、12月〜2月8:00〜19:00
トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用可能
休館日:年中無休
地域食材供給室:営業時間8:00〜20:00 
休日:毎週火曜日、
地域特産物展示販売室:営業時間9:00〜18:00 
休日:毎週火曜日

交通:中国自動車道山崎ICから国道29号線を鳥取方面へ約15分(大阪から約2時間)
JR山陽本線姫路駅から車約1時間
播磨一宮「伊和神社」のまん前にある。郷土芸能展示室では、伊和神社の秋祭りで使われる屋台を常設展示、一宮町の特産品の販売店や特産品を食材としたレストランもある。
                  宍粟市案内図
  伊和神社
第十三代成努天皇申申歳(西暦1444年)の創祀と伝えられ、播磨国の一の宮。
御祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)、又伊和大神(いわのおおかみ)とも申し上げる。
国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神。
  書写山円教寺黒田官兵衛ゆかりの地
書写山は西の比叡と呼ばれ、平安時代の康保(こうほう)3年(966)瑞雲(ずいうん)に導かれた性空(しょうくう)上人により開かれた。
上人の徳をしたって山に訪れる天皇や法皇、貴族も多くその後も善男善女の参詣や多くの僧侶の修行の場として栄えた。
円教寺は、比叡山を手本とした歴史があり、建物の配置や名称等、似かよったものとなっている。
 
         
    随願寺    広峯神社      御着城址  
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
随願寺黒田官兵衛ゆかりの地
開山:高麗僧・慧便(えべん)ー聖徳太子の命によるー  中興:行基 書写山円教寺と並び称される名刹。
当初法相宗であったが承和元年(834)に天台宗となり、皇族、貴族、武士の信仰を集めていた。
平安時代に諸堂が整備され、山上には36坊もある大寺であったが、天正元年(1573)別所長治に攻められ全山を焼失、天正13年(1585)に秀吉によって再興された。
江戸時代、姫路城主・榊原忠次が随願寺を菩提寺として、再建、整備に努めた。
国指定需要文化財 毘沙門立像  県指定文化財 薬師如来坐像・経堂・開山堂  市指定文化財 鐘楼・榊原忠次墓所唐門  市指定史跡 榊原忠次墓所・榊原政邦墓所
(現地案内版参考)    
  広峯神社黒田官兵衛ゆかりの地
主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で733年(天平5)右大臣・吉備真備(きびのまきび)公により創建。
播州の守護神として崇敬され、古くは、大鳥居が瀬戸内海に浮かんでいたと伝えられている。
本殿は入母屋(いりもや)造り、檜皮葺(ひわだぶ)き、桁行(けたゆき)11間もあり拝殿(桁行10間)とともに、国内最大級の大きさを誇っている。
黒田官兵衛の祖父、黒田重隆は、備前福岡から姫路に移ったのち、広峯神社の御師(おし)ー参詣者を案内し参拝や宿泊の世話をする者ーが配る神符とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を成し、御着城を中心に西播磨で大きな勢力を持っていた小寺家に仕えて姫路城の城代となった。
  
  御着城址黒田官兵衛ゆかりの地
御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨の守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。
永正16年(1519)小寺政隆が築城、則職、政職と承継され天正6年(1578)か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡されたとされるが、嘉吉年間(1441〜44)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭として機能していた。
黒田官兵衛の祖父重隆は、御着城主の小寺氏に仕え、姫路城代を任される。
黒田官兵衛は、重隆の子職隆(もとたか)の子として天文15(1546)年11月29日に姫路城で誕生している。
 
         
   御国野町御着     播磨国分寺   松原八幡神社   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
御国野町御着黒田官兵衛ゆかりの地
播磨の守護赤松氏の家臣小寺政隆が、永正16年(1519)にこの地に 御着城を築城。
黒田官兵衛の祖父重隆の代より、御着城城主小寺政職に仕えている。
御着城址の南側を旧山陽道ー西国街道ーが、御着城址を二つに割くように旧国道2号線が通っている。旧山陽道には一部古い町並みが残っており、かっての町の様子を偲ぶことが出来る。
また、御着城の外堀としての役割も果たした天川が城の西側を北から南に、途中で南東に方向を変えて流れている。
小寺氏は天正6年(1778)か7年に、羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡された。
  播磨国分寺黒田官兵衛ゆかりの地
上月城をの救援に行った羽柴秀吉軍の隙をついて、別所勢が姫路城を攻めようとしていたため、黒田官兵衛は国分寺にまで引き返して別所勢を撃退したと伝えられている。
  松原八幡神社黒田官兵衛ゆかりの地
上月城をの救援に行った羽柴秀吉軍の隙をついて、別所勢が姫路城を攻めようとしていたため、黒田官兵衛は国分寺にまで引き返して別所勢を撃退したと伝えられている。

天正元(1573)年羽柴秀吉の三木城攻めの際、織田方、毛利方のどちらに味方するか、決着が付かなかった為、別所長治の怒りにあい火を放たれた。
羽柴秀吉の播磨平定後、秀吉もその時の松原神社の態度を怒り城南の芝原(現在の姫路市豊沢町)に移転する様に命じたが、黒田官兵衛は、松原が由緒ある地として現地での存続を懇願した。
その結果、社領を60石に減じられながらも移転は免れることが出来た。
その後、天正12年頃(1584)当社の僧・快祐が社殿を復興した。この時官兵衛も社殿を寄進している。
 
 
         
    妻鹿城址   黒田職隆廟所    史蹟黒田官兵衛青山古戦場跡    
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
妻鹿城址黒田官兵衛ゆかりの地
黒田官兵衛の祖父重隆は、この地の豪族妻鹿氏の娘を娶(めと)っている。
天正8年(1580)三木城主別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は三木城を居城とした。
これに対し、官兵衛孝高は三木城が戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り、天正元(1573)年、父職隆(もとたか)と共に国府山城に移った。
天正13年(1585)職隆が没した後は、廃城となっている。
山頂からの姫路市街の眺めが素晴らしい。
  黒田職隆廟所黒田官兵衛ゆかりの地
俗に「筑前さん」と呼ばれ、妻鹿筑前さんの五輪塔で知られる。
黒田職隆は御着城主小寺氏の重臣・重隆の子で、黒田官兵衛孝高(如水)の父である。
羽柴秀吉の播磨侵攻にあたり、黒田職隆・孝高親子は天正八年(1580)姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府山城(妻鹿城)に移ったといわれる。
職隆は、天正13(1585)年8月22日没62歳。
官兵衛の祖父重隆は、この地の豪族妻鹿氏の娘を娶っている。
 
  史蹟黒田官兵衛青山古戦場跡黒田官兵衛ゆかりの地
永禄12年(1569)8月9日、小寺氏の出城姫路城を攻めようとした播州龍野城主 赤松政秀と黒田官兵衛との古戦場跡。
官兵衛は秘策を尽くして不意撃ち、挟み撃ちし敵の軍勢を追い詰めてこの地まで撃退、この地が「決戦場」となった。
この戦いで敵の首七十をあげた官兵衛は、奇襲の作戦技もあって有名になった。
「智将 黒田官兵衛」といわれる、その兆しを見せたのがこの青山合戦であった。
 
         
    心光寺    英賀神社    英賀城本丸之跡碑    
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
心光寺黒田官兵衛ゆかりの地
御着城主小寺氏の菩提寺で梨原寺という寺名であった。
永禄年間に黒田氏の菩提寺となりこの時に心光寺と改称、官兵衛が姫路城主となった時姫路城内に移転。
その後慶長13年池田輝政公の時姫路城内から坂田町に移転
昭和の時代になって国道2号線の貫通や戦後の復興事業により寺地が減少したため現在地に移転。
  英賀神社黒田官兵衛ゆかりの地
英賀神社の北、一の宮社・塩竃社・琴平社が祀られている場所が、英賀城の土塁跡。
天正8年2月(1580年)、羽柴秀吉は英賀城攻略に際し、特に当社に除火の令を出して敬神の誠を致した。
  英賀城本丸之跡碑黒田官兵衛ゆかりの地
南は海、西は夢前川、東は水尾川に面し、北は湿地帯で、守るのに大変つごうのよい城であった。
天正8年(1580年)秀吉に滅ぼされるまで約140年間三木氏は、的形から室津の間を中心にその周辺を支配し、一大勢力を誇っていた。
城内には本丸・二の丸をはじめ、一族がそれぞれ大きな屋敷を構えた。
また英賀五坊をはじめ多くの真宗寺院、商家や住宅が建てられ、交易の盛んな港のある城下町として大いににぎわった。
今では英賀神社と英賀薬師(城主の墓所・宝寿寺跡)の北側だけに残っている。
 
 
         
    姫路文学館     播磨国総社   香山城跡   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
姫路文学館黒田官兵衛ゆかりの地
姫路を中心とした播磨ゆかりの文人たちを顕彰し、資料の調査研究を行うとともに文学活動の拠点となること。
南館には、播磨灘物語を書いた司馬遼太郎記念室がある。
  播磨国総社黒田官兵衛ゆかりの地
永禄10(1567)年ー黒田職隆の命により拝殿・御神門を再建。屋根も板葺から瓦葺に葺き替え。
天正9(1581)年ー羽柴秀吉が姫路城を築城する際現在地に遷座。
  香山城跡黒田官兵衛ゆかりの地
鎌倉時代から香山荘地頭職であった香山氏の居城。
嘉吉の乱(1441年)で城は一度落城するが、文明3年(1471)に秀氏が城を再興。
羽柴秀吉が宇野氏(山崎・長水城)を攻めたときに城主秀明は宇野氏に属し、香山城は秀吉軍の黒田官兵衛に攻められ、天正8年(1580)4月27日に落城する。
司馬遼太郎の「播磨灘物語」には官兵衛の父小寺兵庫助の初陣での手柄の城として香山城が登場。
 
         
   香山廃寺    篠ノ丸城址      最上山公園  
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
香山廃寺
奈良〜平安時代の古代寺院跡。
「播磨国風土記」の香山里に属し、現在は寺跡に薬師堂土壇が残っている。
  篠ノ丸城址黒田官兵衛ゆかりの地
築城:赤松円心
宇野政頼の時、天正8年(1580)、羽柴秀吉の猛攻により落城。
天正8年(1580)〜黒田官兵衛が羽柴秀吉から宍粟郡を与えられ領有。ー天正12年(1584)〜との説もありー
その後官兵衛は天正15年(1587)に豊前国に移封。
  最上山公園
森林浴のを勧めるために整備した公園。
篠ノ丸城址のある山頂まで整備されており、地元の散策愛好者にも親しまれている。
途中にある、百畳敷や千畳敷は、篠ノ丸城の曲輪の一部なのであろう。 
    
 
         
    山崎の町並    置塩城跡      上月城跡  
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
山崎の町並
赤松円心が篠ノ丸城築城後、広瀬氏、宇野氏らの居城となったが、天正8年(1580)、織田信長の命により羽柴秀吉の猛攻により落城。
黒田官兵衛が、秀吉から宍粟郡を与えられて領有。
官兵衛が天正15年(1587)に豊前国に移封後は、龍野から木下勝俊が入封し山崎城を築城。
その後、徳川政権になると、松平氏、本多氏らの城下町として明治維新まで納められてきた。
旧街道には、造り酒屋を始めとして江戸時代からの城下町のたたずまいが残されている。
また、町並みのすぐ横にある、最上山公園には、自生している日本のモミジを中心に中国やカナダなど世界のカエデも植栽され、シーズンには、山全体が紅葉の美しさにつつまれる。
公園からは、篠ノ丸城址を訪れることもできるよう、兵庫森林浴場として散策路が整備されている。
 
  置塩城跡黒田官兵衛ゆかりの地
室町時代に播磨守護職であった赤松氏の居城。
標高370mの城山の山頂部に位置する播磨最大規模の山城跡。
天正5(1577)年、赤松則房の時、播磨平定のため侵攻してきた羽柴秀吉に殆んど戦うことなく降伏。
その後、天正8(1580)年羽柴秀吉による城破霊が出され廃城となった。
  上月城跡黒田官兵衛ゆかりの地
戦国時代の天正5年(1577)〜6年に、全国統一を目指し中国地方へ侵攻する織田勢と中国の毛利勢との間で、上月城を舞台に行われた合戦。
天正5(1577)年11月、羽柴秀吉の侵攻に対して、毛利方についていた時の上月城主赤松政範は、隣の福原城に次いで滅ぼされてしまう。
播磨灘物語では、上月城主は上月政範、その妻は官兵衛の妻の姉妹となっている。官兵衛も竹中半兵衛と共に参戦。
羽柴秀吉は、上月城に尼子勝久、山中鹿之介主従を入れて守らせるが、宇喜多勢に攻められ撤退、宇喜多は之を上月十郎景貞に守らしたが再び秀吉軍により落城したとされる。
再度上月城に入った尼子勝久、山中鹿之介は、天正6(1578)年4月毛利方の小早川、吉川らに包囲される。
支援に向かった秀吉軍は、高倉山に陣を置くが、別所長治寝返りのため、織田信長の命により急遽三木城攻略に動き上月城より兵を引くこととなる。
上月城を死守しようと留まった、尼子勝久と山中鹿之介は、2ヶ月間の籠城の末、尼子勝久は自刃、山中鹿之介は、備中の毛利輝元の所へ護送の途中、高梁川の合の渡しで斬殺される。
 
         
   ふれあいの里上月 農産物直売所・上月駅    佐用城跡ー福原城跡ー    宿場町平福道の駅   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅     
JR上月駅
ふれあいの里上月 農産物直売所 TEL0790-86-8005 〒679-5523 兵庫県佐用郡佐用町上月529−1
開店時間:9:00〜17:30
定休日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日が定休日)、年末年始(12月31日〜1月2日)

近くのキャンプ場 オートキャンプ場 スターグランパス
 ふれあいの里上月ホームページ
 JR上月駅ホームページ
  佐用城跡ー福原城跡ー黒田官兵衛ゆかりの地
中世に築かれた代表的な「平山城」で、南面に川、背後に山の「城堅固」の立地で、空堀、防塁、馬落としなどよくその原型をとどめている。
戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城(こうづきじょう)、南の高倉城(たかくらじょう)、東の利神城とともに赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、羽柴秀吉(はしばひでよし)との攻防により落城しその役割を終えた。
この時、黒田官兵衛が、佐用城攻めの先陣を勤め、取り囲んだ城の一方にわざと逃げ口をつくる「孫子」の兵法を平塚藤蔵に教え、城主福原則尚を討ち取っている。
播磨灘物語に書かれている、この時の竹中半兵衛、黒田官兵衛、竹森新次郎らの手柄の譲り合いが非常に興味深い。
福原則尚は城脱出に成功したが、多くの城兵の討死を知り、菩提寺、福円寺で自刃したとの説もある。
後世、土地の人々によって、時の城主福原藤馬允則尚(ふくはらとうまのじょうのりなお)の首級を祀るため城跡に一社が造営され「福原霊社(俗に頭様)」として今に崇敬されている。
  道の駅「宿場町ひらふく」 TEL0790-83-2373 〒679-5331 兵庫県佐用郡佐用町平福988−1
利用可能時間
物産館:8:30〜19:00
休憩室・トイレ・駐車場・公衆電話:24時間
休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月31日〜1月3日)
町の紹介
佐用町は、平成2年に「星の都」を宣言し、自然環境を生かしたまちづくりを進めています。
「全国星空の街・あおぞらの街」や「全国棚田100選」に選ばれるなど、美しい自然やふるさとの原風景がいまも数多く残る美しい町です。
大撫山から望む朝霧は、日の出とともにその色を変え、神秘的な景観を楽しませてくれます。
佐用川の上流では、その清流にあまごが泳ぎ、天然記念物大サンショウウオも生息しています。
乙大木谷集落では、1,000枚近い棚田が昔ながらの農村風景を楽しませてくれます。
また、剣豪宮本武蔵が少年時代をすごし、わずか13才で初決闘に勝利したといわれる旧因幡街道の宿場町平福や利神城、安部晴明・芦屋道満ゆかりの地である大木谷など歴史的ロマン豊かな町でもあります。
宿場町ひらふく道の駅案内図
宿場町ひらふく道の駅ホームページ
近くのキャンプ場 オートキャンプ場 スターグランパス
 
         
   宿場町ひらふくー平福ー    白旗城跡      黒田家廟所ー長浜 木之本ー   
  兵庫県 中・西播磨地域の旅
宿場町ひらふくー平福ー
赤松一族から最北端の防備の任をうけた別所敦範(あつのり)により貞和5年(1349)に築城。
その後、別所一族が薬二百年間この地を治めるが、天正6年(1578)秀吉の中国攻めにからみ山中鹿之介に攻められ落城。
姫路城主池田輝政(てるまさ)の甥、由之により慶長5年(1600)から約5年の年月をかけて行った大改修で現在の城となる。
標高373メートルの山頂に三層の天守丸を配した連郭式山城、利神城址は、東西300メートル、南北500メートルにも及ぶ総石垣造りの広大な山城で、別名を雲突城とも呼ばれた。
これを見た輝政は、余りにも壮大であるため天守破却の命を下し由之は退去させられる。
寛永6年(1631)最後の城主、輝興(てるおき)が赤穂へ転封。
これにより平福は、城下町としての歴史を閉じ鳥取藩の本陣を置く宿場町として栄えることとなる。
     
  白旗城跡 
白旗城跡は、南北朝時代の武将赤松円心が建武3年(1336)に築城し、新田義貞率いる軍勢の、50余日の城攻めに耐えた堅固な山城。
  黒田家廟所ー長浜 木之本ー 黒田官兵衛ゆかりの地
滋賀県にあるため、兵庫県に掲載するのは筋違いだが、兵庫県、播磨地方にゆかりの深い黒田家の廟所のためあえてこの兵庫県内に掲載した。
黒田家の由来
筑前・福岡五十二万石・黒田藩の始祖は、当地の御廟に祀られている佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源宗清(別名宗満)公であり、この地・近江国伊香郡(木之本町)黒田村に住み、湖北の荘園の領主として、黒田判官と称した。
黒田村の中央の小字・構(かまえ)と称するこの一町角が往年の構屋敷、即ち黒田判官の邸跡である。
黒田判官・宗清公(弘安元年=1278年・延文2年=1357年病没・享年79歳・法名道法)より数えて6代目・高政公の時代、永正8年=1511年山城船岡山の戦いの後、備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間黒田氏は6代にわたりこの地に居を構えていた。
この構え屋敷から西へ約1q離れた余呉川対岸の山麓、小字名を穂先谷ー今の保崎谷(ほさきだに)−の観音寺に、かっては穂先長者とも伝えられている源 宗清公が寄進したといわれる鎧の草摺があった。
更にそれより南1.7q離れた田井(今の田居)の寿徳寺(黒田村より移築された寺院、今の樹徳寺)には黒田氏歴代の墓石と黒田官兵衛孝高(よしたか)如水公の肖像画の掛軸がある。
 
 
           
   市川サービスエリア          
  播但道ーTEL0790-24-9600 兵庫県神埼郡市川町屋形 
播但連絡道沿線観光案内板
市川サービスエリアホームページ
         
             
  兵庫県 丹波地域(篠山市・丹波市)
兵庫県の内陸にある自然と歴史豊かな地域。内陸部であるにもかかわらず特にこれといった高山はなく、それを証明するかのごとく日本一低い中央分水界や平城篠山城跡がある。
また、京都府との境近くには、多紀連山県立自然公園が。
         
           
   道の駅「丹波おばあちゃんの里」          
  道の駅「丹波おばあちゃんの里」について
今日も、ふるさとはそのまんまです。
当地域は、古くから瀬戸内海側と日本海側を結ぶ交通の要衝として栄え、この道の駅の周囲は旧石器時代(約3万年前)から奈良・平安時代(約1000年前)まで続いた西日本最大級の複合遺跡である「七日市遺跡」があります。
また、地名でもある「七日市」とは、七の付く日に市が立っていたという謂れがあり古くから人の集まる場所であった事が窺い知ることが出来ます。
道の駅「丹波おばあちゃんの里」では、丹波市の豊富な農畜産物を加工し商品化する農畜産物処理加工施設、新鮮で安心安全な野菜などを販売する物産館、様々な道路情報を提供する情報コーナー・公衆トイレの3棟をはじめ、大人から子供まで楽しめる芝生広場、様々なイベントに活用する出会いの広場、舗装色の色分けやフラット化することにより安全で使いやすい大型駐車場スペースなど丹波市の玄関口としてふさわしい、人にうるおいと安らぎを与える施設として整備しております。
(現地案内板)
       道の駅「丹波おばあちゃんの里」案内図
         
             
兵庫県 但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)   兵庫県の日本海に面した地域。海岸線は、山陰海岸国立公園が続いており、その南には氷ノ山後山那岐山国定公園である、神鍋高原、ハチ高原、ハチ北高原などスキーのメッカが目白押し。
  東部には出石糸井県立自然公園が。
また、この地域には、多くの文人墨客が訪れた城崎温泉、夢千代日記で一躍有名になった湯村温泉を初め多くの温泉が散在している。
道の駅 但馬楽座 やぶ温泉 湯村温泉 余部鉄橋
  兵庫県 但馬地域の旅
道の駅 但馬楽座 やぶ温泉 
TEL079-664-1000 
兵庫県養父市上野299 国道9号
開設時間:9:00〜20:00
休館日:無休 *トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用可能
産直売場:営業時間ー9:00〜19:30 休日ー無し みやげー黒豆製品
レストラン:営業時間ー11:00〜19:30、休日ー無し、おすすめメニューー但馬牛のステーキ
軽食堂:営業時間ー10:00〜19:30 休日ー無し、おすすめメニューー山菜うどん、焼肉定食
宿泊施設と温泉がある道の駅
宿泊施設:チェックイン14:00〜チェックアウト翌日10:00 客室19室、収容人員100名
快湯温泉:営業時間ー10:00〜21:30、入浴料金ー大人600円、小人300円 泉質ーラドンを含むアルカリ性

交通:播但連絡道和田山ICから車約20分、舞鶴若狭自動車道福知山ICから車約1時間
JR山陰本線養父駅から車約5分

   養父市観光案内マップ 
   道の駅 但馬楽座 やぶ温泉ホームページ
  湯村温泉
平安時代の嘉祥元(848)年に慈覚大師により開かれた歴史ある温泉。兵庫県北西部、春来川沿いののどかな山峡にある。
「湯けむりの里」と呼ばれ、1981年のNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地としてその魅力が全国に知られるようになり、以来「夢千代の里」とも称されている。
 
     
香住海岸 八坂神社 道の駅ハチ北
  兵庫県 但馬地域の旅
香住海岸

香住湾を中心とした日本海の海岸線を言い、岡見公園のある城山半島、黒島、白石島から、香住浜、国の天然記念物に指定されている鎧の袖、松ヶ崎、但馬松島など断崖、洞窟、奇岩などが連なる景勝地で山陰海岸国立公園の中心地である。また、昭和13(1938)年5月には国の名勝に指定されている。
  八坂神社
10月5日の秋祭りの神事として「天下泰平国土安穏、長久円満息災延命」等を祈願し「踏子(ふみこ)と呼ばれる、千歳(せんざい)、翁(おきな)、黒木尉(くろきじょう)と謡手(うたいて)、鼓(つづみ)、笛、拍子木で構成され氏神に奉納。
三番叟は、千歳、翁、黒木尉の三つに組まれた舞で、悪霊をしずめ、人々に祝言を述べ幸福をもたらす神であり、五穀豊穣を祈願する内容を表現している。
三番叟は、三番猿楽(さるがく)という言葉で、方固めという四方へ向かって大地を踏み固める悪魔払いの呪術であったようで、室町時代より始まったとされている。
三番叟は「舞う」ではなく「踏む」と言っているのは、そうした踏み鎮めの祈祷のなごりと考えられる。
ちなみに、ここで使用している「三番叟面」は香美町の有形民俗文化財を受けている。
  
  道の駅ハチ北
町の紹介
村岡町は、兵庫県の北西部に位置し、優美な鉢伏山・瀞川山の山々に囲まれ、中央を湯舟川・矢田川が流れる、人口約7千人の農業を中心とした町。
慶長6(1601)年に関ヶ原の合戦で東軍に属し、功績のあった山名豊国が領主となり陣屋を構えてから、この陣屋を中心に城下町が形成され、併せて山陰街道の宿場として栄えてきた。
町内には、瀞川平の緑豊かな地に自然とふれあう数々の体験が可能な「但馬高原植物園」、「木の殿堂」やシーズン中は但馬で屈指の雪質を誇るハチ北、スカイバレイ両スキー場がある。
また主な特産品として、とち餅・但馬牛・山菜等がある。
道の駅について
「ハチ北」は、村岡町と国土交通省が連携し、レストラン、地場産品販売施設などを備えた市域振興施設を村岡町が、駐車場、休憩・情報コーナー、トイレを国土交通省が整備したものであり、地域の特色を生かした休憩施設を形成しています。
(現地案内板)
       道の駅「ハチ北」案内図 香美町案内図
 
ハチ高原スキー場 ハチ北高原スキー場 道の駅「ちくさ」
  ハチ高原スキー場
TEL079-667-8036 079-667-8037 
兵庫県養父市鉢高原
関西のスキー場の中でも屈指の規模と人気のあるスキー場。
隣接するハチ北高原スキー場と共通リフト券になっており、山頂から自由に行き来することが可能。
高原上部は、広大なためライン取りが自由にでき、下部は林間コースとなっている。
初級・中級・上級・ファミリーの各エリアがある。
キッズパークも二箇所設置されており、ファミリー層にも人気のあるスキー場。
シーズン:12月中旬〜3月下旬
営業時間:8:00〜17:00
標高:1221m〜730m 標高差:491m 最長滑走距離:2,500m
 コース数:7コース
駐車場:3500台 平日1,500円 土・日曜日1,800円 24時間営業

交通:車ー播但連絡道路・北近畿豊岡自動車道和田山ICから国道9号線経由で約40km
JR−山陰本線八鹿駅からバス約50分

  ハチ高原案内図 下山コース案内図 
  但馬アルペンロード
ハチ高原は、鉢伏山(標高1,221m)の中腹に広がる高原で冬のスキーの他、夏にはキャンプや登山、パラグライダーなどのアウトドアが楽しめる。
   ハチ・ハチ北スキー場ホームページ
  ハチ北高原スキー場 
兵庫県美方郡香美町村岡区大笹

関西のスキー場の中でも屈指の規模と雪質で人気のあるスキー場。
隣接するハチ高原スキー場と共通リフト券になっており、山頂から自由に行き来することが可能。
標高:1221m/550m(標高差1,085m) 最長滑走距離:3,500m、最大斜度:32度
中級・上級者向け:北壁・アルペンコース、初・中級車向け:中央ゲレンデ
リフト数12・コース数14
パノラマゲレンデー標高1,000m、雪質良好
北壁スカイロードー木立に囲まれた比較的緩やかなコース
野間ゲレンデー駐車場の直ぐ前の緩やかなゲレンデ
ファミリーゲレンデー斜度が緩やかでリフトの設定も遅い、ファミリー、初心者向け
シーズン:12月中旬〜3月下旬
営業時間:8:00〜17:00
交通:車ー播但連絡道路・北近畿豊岡自動車道和田山ICから国道312号〜国道9号〜県道531号経由
JR−山陰本線八鹿駅から秋岡・村岡行きまたは湯村温泉行き全但バス、ハチ北口乗換、ハチ北行き終点下車
 
  ハチ・ハチ北スキー場ホームページ
  道の駅「ちくさ」県道若桜南光線(県道72号) 
TEL0790-76-3636 
兵庫県宍粟市千種町下河野745−5
営業時間:8:30〜18:00
休館日:木曜日、12月31日〜1月1日(トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用可能)
レストラン:営業時間9:00〜18:00 休日水曜日 山菜うどん・うどん定食など
特産館:営業時間9:00〜18:00 休日水曜日 自然水・こんにゃく・山菜など
ふれあい市:営業時間9:00〜17:30 高原野菜・農業加工品・木工品など
ミニキャンプ場:開設時間ー8:00〜18:00(7月〜8月のみ) 川遊び・バーベキューなどが楽しめる。デイキャンプのみ。利用料金ー大人300円
交通:中国自動車道山崎ICから国道29号線・県道山崎南光線経由県道若桜南光線を千種方面へ約30分

                   ちくさ案内図 
 
  ー兵庫県 但馬地域ー      
若杉高原温泉 若杉高原おおやスキー場/キャンプ場 生野銀山湖
  若杉高原温泉 
TEL079-669-1576
兵庫県養父市大屋町若杉99−2
営業時間:13:00〜18:00
入浴料金:大人600円 小学生以下300円 サマーゲレンデ・ウォータージャンプ利用者割引ー大人500円、小学生以下200円
2日間フリーパス入浴料ー大人1,000円、小学生以下600円
営業日:土曜・日曜・祝日 キャンプ宿泊者がいる場合は平日も営業

泉質:含弱放射能ーカルシウムー硫酸塩泉 含弱RnーCa-SO4泉 低張性、中性、冷鉱泉 
  若杉高原大屋スキー場/キャンプ場
  若杉高原大屋スキー場/キャンプ場 
TEL079-669-1576 
〒667-0323 兵庫県養父市大屋町若杉
夏はキャンプ、ハイキングやサマーゲレンデをまた冬はスキー、スノーボードを楽しむことができる若杉高原。ウォータージャンプやタンポリンも・・・・。
駐車場が近く温泉もある。
夏はゲレンデ脇がキャンプ場に!オートキャンプも可能。
オートキャンプ料金:
入山料ー500円/1名1泊 300円/1名日帰り
普通一般車両ー1台+テント1張・・・1,000円 
2台目以降1,000円/1台
バイクー1台+テント1張・・・500円
2代目以降500円/1台
タープ1張・・・500円
キャンピングカー1台・・・1,500円
チェックイン・アウト・・・13:00
     大屋町観光案内図  
若杉高原大屋スキー場/キャンプ場ホームページ
 
  生野銀山湖ー生野ダムー
生野銀山湖周辺マップ

近くのキャンプ場 
緑ヶ丘キャンプ場 さのう高原キャンプ場 
 
  ー兵庫県 但馬地域の旅      
       
   竹田城跡    生野銀山    出石城跡  
  兵庫県 但馬地域の旅
竹田城跡黒田官兵衛ゆかりの地
嘉吉年間(1441〜1443)に、守護大名の山名持豊−宗全ーが有力家臣のひとりである太田垣に築かせた城。
そのころの竹田城は砦(とりで)ー小規模な要塞(ようさい)−に近かった。
最近の調査では、現在のような壮大な石積みの城郭になったのは、廃城時(慶長5年ー1600)にごく近い時代と考えられている。
規模は南北約400m、東西約100mである。
2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケが2013年9月25日〜ここ竹田城跡にて行われた。
竹田城としてではなく、「小田原城攻め」のシーンに使われるとの報道ですが、初回、2014年1月5日(日)に放送される予定とのこと。
  生野銀山
大同2(807)年の開坑と伝えられ1200年余りの歴史を持つ国内有数の大鉱山。
織田、豊臣、徳川の直轄を経て明治政府初の直轄鉱山となる。
明治元年仏人技師仏人技師フランソワ コワニーを招いて近代化、明治22年、皇室財産、明治29年、三菱合資会社に払い下げられ、昭和48年閉山。
(株式会社シルバー生野作成案内書より)
  出石城跡黒田官兵衛ゆかりの地
有子山(321m)山頂には、山名氏政が天正2(1574)年築いた有子山城(高城)跡があり、その山麓には慶長9(1604)年に小出吉英(よしふさ)が築いた平山城、出石城跡がある。
この平山城本丸跡には、昭和43年に再興された東西隅櫓、仙石氏の藩祖、仙石権兵衛秀久を祀る感応殿等が、その上の稲荷郭には有子山稲荷神社ある。
 
       
    城下町出石    竹田の街並み   寺町通り  
  兵庫県 但馬地域の旅
城下町出石
出石町は、古事記、日本書紀に但馬文化発祥の地として、その名があげられており、中世には山名宗全一族の本拠地として、また近世には小出、松平、仙石氏ら五万八千石の城下町として繁栄を極めた。
但馬の小京都と呼ばれる美しい町並みと出石皿そばは、今も多くの人々を引き付けている。
    
竹田の街並み
竹田城の麓には、他の城下町と同じように旧街道があり、それに沿って古い町並みが続いている。
大正年間の頃までは、旅館、茶屋、料理屋などの商店が軒を並べ、特産の家具を業とする店も数多くあった。
現在でも、その一部が竹田家具、漆器や仏壇店として店を開いている。
今回は時間の関係で行くことが出来なかったが、立雲峡からの竹田城の眺めも人気撮影スポットの一つ。
             竹田城下町ガイドマップ
 
近くのキャンプ場 緑ヶ丘キャンプ場 さのう高原キャンプ場 
  寺町通りー竹田城下ー
竹田城の山麓には、竹田川に沿って、寺や神社が並ぶとともに虎臥城公園も整備され、静かな城下町の風情を残している。
城めぐりの後の絶好の散策スポット。
この寺町通りの四ヶ寺のそれぞれの門の前には、石橋がかかっているが、どれも江戸時代に造られており、但馬地域で確認されている七基の石橋の内五基がこの竹田地区にある。
中でも、常光寺の石橋には、但馬で最も古い宝永4(1707)年の文字が刻まれている。
   
 
             

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