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  寶泉寺      
  臨済宗 妙心寺派 太平山 寶泉寺 吉弘統幸公菩提寺
当寺は承安3(1173)年法茲法師の創建にして天台宗石雲山寶泉寺と呼び、本尊は阿弥陀如来両脇に観音勢至の弐菩薩なり。
爾来弐百拾余年の変遷により堂宇は荒廃に瀕す。
時に至徳2(1385)年大友拾壱代親著公之を再建し、自ら当寺の開基となり大分郡府内東新町萬壽寺独峰禅師を請して開山となし本尊に釈迦牟尼如来、両脇に文殊普賢弐菩薩を安置し臨済宗妙心寺派に属したり、後衰えたが、寛文5(1665)年石垣村中石垣屋田直政家出身の萬壽寺住職乾叟禅師が再興し山号を太平山に改む。
偶慶長5年兵燹(せん)に罹り烏有に帰せしが久留島藩主の建物を以って其堂宇に充て、爾来三百余年に及び頽?甚だ大を来たし、茲に昭和2年現今の本堂を再建す。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、即ち慶長五年九月吉弘嘉兵衛統幸公は黒田如水の北軍と石垣原合戦にて「明日は誰が草の屍や照らすらん石垣原の今日の月影」と辞世の句を残して戦死し、大友能直 大友宗麟と共に豊州の三偉人と称せられ、当寺は吉弘公菩提寺なり、明治32年三百年諱を営み誠忠無比の徳をたたえたり。
(現地案内板)
 
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