旅 瀬戸内(たびせと)    本陣山ー太閤ヶ平    
             
                
   
   
     
  史跡鳥取城跡附太閤ヶ平 秀吉本陣跡ー太閤ヶ平(たいこうがなる)−
全国統一を目指す織田信長は、中国地方に勢力を持つ毛利氏と対立を深めて行き、天正8・9年(1580・81)の2度、羽柴(後の豊臣)秀吉を総大将として鳥取に侵攻し、毛利方の拠点であった鳥取城(久松山山頂)を攻めました。
この地に築かれた秀吉本陣は、高低差4m以上の土塁(土の堤防)と空堀(からぼり)に囲まれ、内寸58m、櫓台(やぐらだい)も設置した、大型かつ強固な防御性を備えた構造をしています。
また、周囲のあらゆる尾根に陣城(じんしろ)を配置し、鳥取城に対する強大な包囲網を敷いています。
本陣および陣城群は、一城を攻めるにはあまりに大規模であることから、毛利氏との本格的な戦闘に備えた陣城であるとともに、信長を迎え入れるための本陣でもあった可能性が指摘されています。
                                                  2011年1月 鳥取市教育委員会
(現地案内板)
本陣山ー太閤ヶ平
鳥取城 上ノ丸跡より⇒
太閤ヶ平
山頂の本陣跡横にはNTT Do Co Mo等の鉄塔が建っている。
此処も含め中世の城址など多くのヶ所でに放送局や通信会社の電波塔が建設されている。
重要な社会インフラであるから仕方がないとはいえ史跡とその周辺が破壊されていくのは残念で仕方がない。
 
             

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