旅 瀬戸内(たびせと)

法然上人遺跡と祇園精舎
         
     知恩院  
     
   青蓮院   吉水草庵 安養寺   
法然上人遺跡と祇園精舎
青蓮院から知恩院、吉水の草庵のあった安養寺、長楽寺は、法然上人や親鸞聖人など平安時代末期平家物語の時代に修行し、説法をした僧ゆかりの寺である。
また、青蓮院は、平家物語の生みの親といわれているうちの一人慈円僧正が、第三代門主を務めた寺でもある。
平安時代末期には、知恩院の三門のあたりから双林寺付近にかけては、「真葛ヶ原」と呼ばれる、真葛やススキ、萩などが生い茂る原野であり、その山側に吉水の草庵や長楽寺が建っていた。
       
  吉水弁天堂   左阿弥   長楽寺  
吉水弁天堂
弁天堂は、草庵を安養寺として再興した慈鎮が、叡山から勧請したものといい、技芸上達の祈願の信仰が厚い。
また、弁天堂に向かって右側には吉水の名の起源となった清水の涌き出る泉がある。
長楽寺
延暦24年(805)桓武天皇の勅令によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたと伝わる。
文治元年(1185)安徳天皇の生母、建礼門院が僧 印誓について剃髪されたところでもある。
また、法然上人の弟子 隆寛がここに住み念仏を広めた。当時はこれを長楽寺流と呼ぶほどに世間に知れ渡っていた。
       
双林寺 西行庵 芭蕉堂
双林寺と平家物語
1140年に出家した西行法師が草庵を結んだのがこの双林寺境内の蔡華園院。
鹿ヶ谷事件に加担し鬼界島に流された平康頼が、帰京後双林寺の山荘に落ち着き仏教説話集「宝物集(ほうぶつしゅう)」を著した。関連史跡⇒卒堵婆石

西行庵
西行法師(1118〜1190)は、平安時代末期の僧侶であり、新古今和歌集の代表的歌人の一人である。
出家をする前の俗名を佐藤義清といい、もと鳥羽上皇の北面の武士であったが、保延(ほうえん)6年(1140)に出家し諸国を行脚して全国各地の風光明媚な自然を愛で和歌を詠んだ。
この地は、西行が蔡華園院を営み、終焉の地であったところと伝えられている。
  願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)の頃  西行(山家集)
忠盛燈籠(ただもりとうろう)
忠盛燈籠
永久年間の頃(12世紀)白河法皇(しらかわほうおう)が祇園女御(ぎおんにょうご)の許(もと)に赴(おもむ)かれようとしてこのあたりを通られた時、折しも五月雨(さみだれ)の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。
法皇は供の平忠盛(たいらのただもり)に射取(うちと)ることを命じたが、忠盛はその正体を見定めての上とこれを生捕りにしたところ、油壺(あぶらつぼ)と松明(たいまつ)とを持ち燈籠に燈明(とうみょう)を献(たてまつ)ろうとしていた祇園の社僧であった。
雨を防ぐ為に被(かぶ)っていた蓑(みの)が灯(ともしび)の光をうけて銀の針のように見えたのであった。
忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところであったという。

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