旅 瀬戸内(たびせと)

世界遺産 姫路城ー黒田官兵衛ゆかりの地ー GoogleMap
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大手門と桜門橋
姫路城 姫路城石垣
姫路城大天守保存修理工事(2009〜2014)
姫路城の屋根瓦の葺き直しや漆喰壁の塗り直しの工事中。大天守は素屋根で覆われ雄姿は見えなくなっているが、素屋根内部から補修の様子を間近に見る事が出来る。
素屋根内部ではエレベーターでの見物もできる。

姫路城の歴史 GoogleMap黒田官兵衛ゆかりの地
播磨平野の中心,姫山の上に、白い高雅な姿を見せて姫路城がそびえる。
白鷺の飛び立つ様に似て白鷺城とも呼ばれ、西南の役で熊本城が、そして太平洋戦争で名古屋城も昔ながらの面影を留めていない今日、姫路城は名実ともに日本一の名城である。
姫路城の歴史は、遠く1333年(元弘3年)にさかのぼる。
播磨国の守護職、赤松則村が護良親王の令旨を奉じ北条氏討伐の兵をあげて、ここに砦を築き、1346年(正平元年)則村の子、貞範が城館を初めて築いたのである。
(最近の研究によれば、赤松築城説を否定し、築城は16世紀中頃の黒田重隆、職隆父子以前にはさかのぼれないとする説が出されている。
ー昭和63年(1988年)刊行・姫路史第14巻「別編 姫路城」−
その後、羽柴秀吉が黒田孝高(よしたか)の勧めに従い、毛利攻略の根拠地として1581年(天正9年)三層の天守を築いたが、関ヶ原の戦いのあと播磨領主に封ぜられた徳川家康の女婿、池田輝政が1601年(慶長6年)から8年の歳月をかけて完成したのが、現在の五層七階の天守である。
これは西国にある豊臣恩顧の諸将に対峙する西国探題職として家康がこのように大規模な城を築かせたのである。
そして池田氏のあと入部した本多忠政のとき、その子忠刻の室に千姫を迎え化粧櫓や西の丸を築き、1618年(元和4年)今日見られるような全容を整えた。
その後城主は松平、榊原の諸氏を経て酒井氏が世襲して明治に至った。
明治初代、この城も廃棄される運命にあったが、陸軍省中村重遠大佐の建言により保存された。
そして幸い太平洋戦争下の被爆もまぬがれた。
昭和6年(1931年)には大天守、西小天守、乾小天守、東小天守とこれを結ぶ4棟の渡櫓が国宝に、それ以外の建築物74棟の建物が重要文化財に指定され、昭和31年(1956年)中濠以内107haが特別史跡に指定され、また、平成5年(1993年12月日本で初の世界遺産に指定された。
(現地案内板より)
                                                                           世界文化遺産国宝姫路城案内図

黒田官兵衛孝高は、天文15(1546)年11月29日職隆の嫡子として、この姫路城の地で生まれている。(現在の池田輝政が築いた城となる前の、祖父重職と父職隆が築いた小さな城であった頃)
幼名は万吉、母は明石宗和(そうわ)氏の息女
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菱の門番所 西の丸 紅葉
  姫路城 菱の門番所
菱の門は、三の丸から二の丸に通じる大手門を固めた城門。
冠木には木製菱門が整備され、菱の門の名の由来を物語るよう。
この建物の西端には石塁にのっているが、扉の内側は通路をはさんで左側に番人部屋、右側に馬見所と納屋があった。
番人部屋は、現在の守衛室。
武者窓や武者格子戸建が、それを物語っている。
なお、北側に出入り口がある。
 現地案内板
  姫路城 西の丸
この庭園は、姫路城主本多忠政が、大坂夏の陣のあと将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻夫妻のために、元和4年(1618年)に立派な御殿を建てていたところで、中書丸(一名天樹院松)といわれていた。
御殿を囲むように築かれた300m近かい長大な建物は通称百間廊下といい、その右の方の部分は西の丸長局(ながつぼね)と呼ばれ千姫お付の女性達が住んでいたといわれている。
千姫なごりの貴重な建物。
 現地案内板より抜粋
     
井戸 いの門 ろの門
  姫路城 井戸
内曲輪には33ヵ所の井戸があったが、現在13ヵ所が残っている。この井戸は深さ8.4m、直径1.7m、水深約2m。 
         
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はの門 燈籠の台石 化粧櫓
      姫路城 燈籠の台石
築城のとき、石不足のため姫山などにあった佛石を多く石垣などに転用している
。この六角形の石も燈籠の台石を使用したもの。
  
     
  姫路城 燈籠の台石
築城のとき、石不足のため姫山などにあった佛石を多く石垣などに転用している。この六角形の石も燈籠の台石を使用。
 
はの門からにの門への通路 姫路城天守群 油壁(あぶらかべ)・ほの門
      姫路城天守群
直線と曲線の取り合わせ、優しいものと武張ったもの・粗雑さと巧緻、相反する二つのものが融けあって、純日本的な美を構成している。
様々の破風、夢の乱舞ともいうべき音楽的な構成。
 
  姫路城 油壁(あぶらかべ)
山土に豆砂利を加え、もち米のとぎ汁とかお粥(かゆ)などで練り合わせた土を仮枠の中で叩き締めて築いたもの。
この工法から見ると池田輝政築城よりも前に築かれたものと思われ、コンクリートのように固く、400年以上を堪えてきた。
 
 
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井戸 姥(うば)が石 下から見た天守閣
  姫路城 井戸 
総深さ15m
  姫路城 姥が石
羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していたところ、城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんが、そのことを聞いて、使っていた石臼を寄付しまた。
秀吉は喜んでこの石を使った。
この評判はすぐ町中にひろまり、国中からたくさんの石が寄付され、お城の建築は急速に進み、立派に完成したと語り伝えられている。
 
     
乾小天守・西小天守 西小天守・水五門 東・西大柱
  姫路城 乾小天守・西小天守・大天守
左から乾小天守・西小天守・大天守
  姫路城 西小天守・水五門
左から西小天守・水五門 
  姫路城 旧西大柱
旧西大柱で、この柱は、かって大天守の地階床から六階床までの各階を、もう一本の東大柱とともにつらぬき通し、木造の大きく複雑な重層構造を二本の大柱が構造主体となり、一本が百トンもの重量を支えて三百五十年もの長きにわたり大天守を守り続けてきた。
 
 
城内部 城の階段 ここにも大柱
      姫路城内の階段
階段は、攻められた時に容易に登ってこられないように急になっている。 
  大柱
東・西の大柱は、地階から最上階6階まで全長24.6mある。
(東大柱)・・・・樅(もみ)の一本材だったが、根元が腐っていたため、昭和の解体修理(昭和31年〜39年)のとき「檜(ひのき)」材で根継ぎをし、補強された。
(西大柱)・・・・3階から上部は「栂(とが)」材、下部は「樅(もみ)」材を用いて継がれていたが、芯が腐っていたので、昭和の解体修理のとき、新たに「檜(ひのき)」材を2本用い、以前と同様に3階で継ぎ、鉄輪で補強された。
上部の檜
兵庫県神崎郡市川町笠形神社地檜 (樹齢)約670年
下部の檜
岐阜県恵那郡木曾谷国有林木曾檜 (樹齢)約780年
 
現地案内板
奥の階段側には西大柱が見える。 
 
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鯱(しゃち) 天守閣 最上階 姫路駅方面
  (しゃち)
大天守閣には、11匹の鯱がある。
これは火災除けのまじないのためつけられたもの。
修理前に西大千鳥棟にあった最も古い貞享(じょうきょう)4年(1687)の刻名のある鯱を擬して復元したもので、高さは大棟の鯱で1.85mある。
現地案内板
  姫路城大天守の最上階には神社が祀られている。ここからの眺望は最高。
御祭神 姫路長壁大神  播磨富姫神
姫路刑部(おさかべ)大神は延喜式に、富姫神は播磨国大小明神社記に記され、古代より姫山に鎮座された由緒のある地主神である。
城主池田輝政が、城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手篤く崇敬する。寛延元年(1748)城主松平明矩(あきのり)のとき長壁(おさかべ)大神と改める。
明治12年(1879)総社に移されたが、のち勧請され天守楼上に祀る。
明治15年城内備前屋敷の火災・昭和20年7月3日(1945)大空襲には、奇跡的に炎上を免れた。
姫路城の守護神であり、火災・災害等に霊験あらたかで、人々の信仰が篤い。
毎年6月22日、ゆかた祭りとしてご神徳をたたえる。
        姫路城を守る会
現地案内板
  姫路駅方面
姫路城の大天守から南方を眺めると三の丸広場の向こうに姫路駅に通じる大通りが見える。
 
 
美術館方面 西の丸方面 シロトピア記念公園
  美術館方面
路城の大天守から東方を眺めるとレンガ造りの建物、姫路市立美術館が見える。
  西の丸方面
姫路城の大天守から西方には西の丸が見える。
  シロトピア記念公園
姫路城の大天守から北方を眺めるとシロトピア記念公園が見える
広峯神社
のあるのもこちら方面。 
 
天守の内側 忍者 井郭櫓
          姫路城 井郭櫓(いかくやぐら)
「ち」の門から備前門に通ずる天守の東側に搦手口を援護するように置かれたのが井郭櫓。
この櫓の内部は東室、西室、北室の三室があり、西室の中央部に井戸を備え、井枠を囲んで流しの設備をつくり、井戸の深さは16.0m、水深1.0mで、つるべを釣っている。
 
 
搦手門 搦手から見た大天守 搦手の紅葉
  姫路城 搦手門(からめてもん)
城の裏門を搦手門といい、「との一門」から、外へ向かって、「との二門」「との三門」「との四門」と急坂に頑丈な門を構えて、城の護りを固めていた。
現在「との三門」は無い。
「との一門」は城内の他の門とは異り、門櫓は板張りで二階の窓は突き上げ戸。
城の西北方の山上に築かれていた中世の置塩城の大手門を移築したといわれている。
         
との四門 武具掛 秋の姫路城
姫路城 濠と姫路城 姫路城
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姫路城
  姫路城 天守の特徴
この天守は、17世紀の初め将軍徳川家康の女婿池田輝政が築いたもの。
城郭建築史上からいえば、望楼型天守閣から層塔型天守閣への移行期にあたり、桃山文化の代表的な建造物。
外は五層、内は6層と地下1階の天守閣と、三層の小天守を渡櫓で連結した連立式天守で、軒隅の反転、千鳥破風・唐破風の配合、軒裏化粧、白漆喰総塗籠の外壁と相まって、類なく優雅で荘重な趣がある。
緑濃き自然林に浮かび上がった白亜の城は、あたかも空飛ぶ白鷺にも似て、気高く非常に美しい。
ところが、内部は荒削りの軍事構造で、まさしく日本随一の城郭である。  
姫路城案内図
         

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